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わが家へのいつも行き来した道のり、こんな風にアスファルト舗装までしているとは、わたしは思わずとまどう。当時はでこぼこの土の里道で、右側に雑木林があり、3mは低くなった片側には小石混じりの畑があり、日当たりが良くて大麦、大豆、小豆、それに養蚕用に桑畑があった。その隣地には沢を挟んだ小高い山は萱が生えて萱刈り場になっている、その叢生している合い間に山百合が咲いていて、百合根はよくここで掘ったもの。この山の今は薄暗い杉林に豹変した。
当時の高低差や立体感が記憶と意識の上で生々しくもよみがえる。
たまに道の溝には砕石が敷かれる。変な話だが、学校帰りには車の通った轍を確認しながら歩いた。当時は自動車が珍しくて単車(オートバイ)のみ、リヤカーや大八車や牛車などの荷車しかなくて、新しくなにかいいものを運んできたのか、だれか来たのかという子供心の思いだ。他愛もない。今は枯れ葉が散り敷く。
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これは地元ではありきたりの柿の木だが、昔、旧正月のころの風習、父と“果樹責め”のやり取りをしたことを覚えている。こんなにも渋くて貧弱な果実だったのか、あれから60余年、同じ木だが、太らない。なんだか、うらぶれ感がする。
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柿の木に隣り合った水木(ミズキ)であるが、やはり太らない、日照状態が悪くなっているせいか。もともと成長の早い木のはずだ。わたしにはこの水木の樹姿や枝ぶりや一年枝の赤みはいいものだと、ここで刷り込まれて来たような気がする!
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燐家のなつめだ、やはり残っている。今が食べ頃、しかし外聞をはばかりわたしには拾えない。これは、なつかしい味覚である。
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当時は沢水をせき止めて飲み水につかった。確か、ここに共同作業で、砂や砂利を組み合わせて水を漉して水源を造り塩ビ管を剥きだしで各家に配管していた。今は小さな砂防ダムになっている。
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“後三年の役”の戦場跡は刈田になる。後景は、改築を重ねて新築した三階建てのわたしの母校・小学校である。併設してあった中学校校舎は統廃合により他所に移った。