昨日は東日本大震災から4年、当地ではその時刻にパンザマストからサイレンが流された。昔なら火の見櫓で半鐘を叩き鳴らすところだ。業務関連で滞在中の人は当然黙とうするが、実際の被害にあわれた方々はこの日が近づくごとにその所作以前に無念な思いをかみしめているだろう、ひとり黙って無表情にやり過ごすことだろうか。
ところで、パンザマストの放送は千葉のわが実家では朝、昼、夕方と三回のみ、それが通常のように思える。こちらでは朝の6時に「恋は水色」のメロディ、12時に「ウェディングベル」? 夕方の5時に童謡「 」のメロディ? それと午後の9時におやすみのチャイムと人声が流れる。パンザマストは緊急時に地震津波や地元の交通情報をひっきりなしに流す防災無線行政放送だが、各所に設置した大きな拡声器を付けた鉄塔である、よほど立地箇所を市が調査したのかここでは音が反響したり割れることはない。
季節や時候は変わる。こちらでは自生種の やぶ椿 が咲きはじめ、落葉樹の山々は裸梢のままでまだ芽吹かず、巷ではまったく花壇も草花も見ない地域だが、街中の庭先では春の花の 蠟梅 は終わり萌黄色の ダンコウバイ や ミツマタ だけが咲いている。
それはさておき、ここで、3年5か月前にUPし忘れた記事を公開する。東日本大震災のあった年、2011年11月6日のこと、過去の独立起業を振り返っている。ちょっと過激な文章もあるが。
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10月も中旬、朝晩は冷え込んでくる気候になった。北海道の山々では初冠雪の報せも入り、暦の上では寒露も過ぎて、この二十四日には霜降の時候である。
ところで、わたしがどうも金遣いが荒いと気づき始めたのはここ数年前のこと。新しくこのブログのカテゴリーをもうけてからなにも書き込まずそのままにしてしばらくたつ。間の抜けた話だが、ここで恥をさらすことになるが新しく書き込んでみる。
曲がりなりにも会社を設立して、というもの、その扱う金額の大きさに驚いたものである。すべて自分で判断するとはどういうことになるのか、それまでの月々の入ってくる給料でしか動かしたことのない身分であった。日常の金遣いがそのままに会社経営に反映する。今となって怖い思い出であった。
金なぞは天下の廻りもの、一万円、十万円が千円、二千円ぐらいの感覚ができてきて、大変大雑把な金銭感覚になった。しこうして、滑稽なほどに勘違いすることになった。
サラリーマン時代は周囲より給料は高かったとおもわれるが、手元にあったら使う、財布に現金があったら使うという生活であった。使い切るのは当然、というのであった。年齢分の給料はもらうべきものと嘯(ウソブ)いていた。街を歩いていても、三十四、十代以外は邪魔、二十代は面倒くさいし、五十代以上はなにも生み出さないし、という気概であった。
それまではそういう日常の感覚でいたのが、独立して経営のまねごとをおこなったらどうなるか。ふりかえってみて、結果的に借金を作ってしまった。会社の資金繰りはキャッシュカードに依存するようになる。
やがて、その使い道はみずからの性格に起因する虚栄心のみにしか見えなくなってしまう。
わたしは幸いにもサラ金や街金に縁がなくて、銀行もかれらの慇懃無礼な態度に嫌気がさして世話にならずにすんだ。担当してくれた若い行員の本人は前向きで元気が良くていいのだろうが、借り手の希望を忖度しない態度に、わたしは実質的に居丈高なふうにしか感じられなかった。仕事とはものをつくりだすこと生み出すことに意義を見い出すわたしにとって、まあ、今でもこの業種は嫌いである。極論するならば、農業や工業生産と建築業にしか存在価値を認められない。
話は余談になるが、「東日本大震災」以来、銀行・保険会社の動きがマスコミに報じられていない。彼らは被災地へ義捐金は出したのか、実際的な救助活動に動いたのか。誰か知っていたら教えていただきたいものだ。わたしには世情に聡い業界のこと、だんまりを決め込んでいて裏で金勘定ばかりをやり、会社収益をため込んでいるように感じる。長く生きてきたわたしにとって(?)、過去の例が数々思い浮かぶ。
この間まではマスコミ業界、特にテレビ業界だ。高収益、高給与を視聴者の前で隠していた。企業活動の沈滞にともなって広告の出稿量も減って、今は広告料のダンピングだろう。くだらない正論、啓蒙でお茶を濁しながらしたり顔の業界である。
新聞にはさみこんでいる安売りチラシを妻が毎日目を皿のようにして見ているのを、見るといぶかしげであったが、なんだかこの頃は申し訳ないような気分になってくる。そんなにも安いのがいいのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。肉や魚、野菜とかはあまり安いと生産者のことを考えてしまって、何とも言えなくなってしまう。そうなんだ、世の中は競争によってなりたっているんだ・・・。
ところで、パンザマストの放送は千葉のわが実家では朝、昼、夕方と三回のみ、それが通常のように思える。こちらでは朝の6時に「恋は水色」のメロディ、12時に「ウェディングベル」? 夕方の5時に童謡「 」のメロディ? それと午後の9時におやすみのチャイムと人声が流れる。パンザマストは緊急時に地震津波や地元の交通情報をひっきりなしに流す防災無線行政放送だが、各所に設置した大きな拡声器を付けた鉄塔である、よほど立地箇所を市が調査したのかここでは音が反響したり割れることはない。
季節や時候は変わる。こちらでは自生種の やぶ椿 が咲きはじめ、落葉樹の山々は裸梢のままでまだ芽吹かず、巷ではまったく花壇も草花も見ない地域だが、街中の庭先では春の花の 蠟梅 は終わり萌黄色の ダンコウバイ や ミツマタ だけが咲いている。
それはさておき、ここで、3年5か月前にUPし忘れた記事を公開する。東日本大震災のあった年、2011年11月6日のこと、過去の独立起業を振り返っている。ちょっと過激な文章もあるが。
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10月も中旬、朝晩は冷え込んでくる気候になった。北海道の山々では初冠雪の報せも入り、暦の上では寒露も過ぎて、この二十四日には霜降の時候である。
ところで、わたしがどうも金遣いが荒いと気づき始めたのはここ数年前のこと。新しくこのブログのカテゴリーをもうけてからなにも書き込まずそのままにしてしばらくたつ。間の抜けた話だが、ここで恥をさらすことになるが新しく書き込んでみる。
曲がりなりにも会社を設立して、というもの、その扱う金額の大きさに驚いたものである。すべて自分で判断するとはどういうことになるのか、それまでの月々の入ってくる給料でしか動かしたことのない身分であった。日常の金遣いがそのままに会社経営に反映する。今となって怖い思い出であった。
金なぞは天下の廻りもの、一万円、十万円が千円、二千円ぐらいの感覚ができてきて、大変大雑把な金銭感覚になった。しこうして、滑稽なほどに勘違いすることになった。
サラリーマン時代は周囲より給料は高かったとおもわれるが、手元にあったら使う、財布に現金があったら使うという生活であった。使い切るのは当然、というのであった。年齢分の給料はもらうべきものと嘯(ウソブ)いていた。街を歩いていても、三十四、十代以外は邪魔、二十代は面倒くさいし、五十代以上はなにも生み出さないし、という気概であった。
それまではそういう日常の感覚でいたのが、独立して経営のまねごとをおこなったらどうなるか。ふりかえってみて、結果的に借金を作ってしまった。会社の資金繰りはキャッシュカードに依存するようになる。
やがて、その使い道はみずからの性格に起因する虚栄心のみにしか見えなくなってしまう。
わたしは幸いにもサラ金や街金に縁がなくて、銀行もかれらの慇懃無礼な態度に嫌気がさして世話にならずにすんだ。担当してくれた若い行員の本人は前向きで元気が良くていいのだろうが、借り手の希望を忖度しない態度に、わたしは実質的に居丈高なふうにしか感じられなかった。仕事とはものをつくりだすこと生み出すことに意義を見い出すわたしにとって、まあ、今でもこの業種は嫌いである。極論するならば、農業や工業生産と建築業にしか存在価値を認められない。
話は余談になるが、「東日本大震災」以来、銀行・保険会社の動きがマスコミに報じられていない。彼らは被災地へ義捐金は出したのか、実際的な救助活動に動いたのか。誰か知っていたら教えていただきたいものだ。わたしには世情に聡い業界のこと、だんまりを決め込んでいて裏で金勘定ばかりをやり、会社収益をため込んでいるように感じる。長く生きてきたわたしにとって(?)、過去の例が数々思い浮かぶ。
この間まではマスコミ業界、特にテレビ業界だ。高収益、高給与を視聴者の前で隠していた。企業活動の沈滞にともなって広告の出稿量も減って、今は広告料のダンピングだろう。くだらない正論、啓蒙でお茶を濁しながらしたり顔の業界である。
新聞にはさみこんでいる安売りチラシを妻が毎日目を皿のようにして見ているのを、見るといぶかしげであったが、なんだかこの頃は申し訳ないような気分になってくる。そんなにも安いのがいいのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。肉や魚、野菜とかはあまり安いと生産者のことを考えてしまって、何とも言えなくなってしまう。そうなんだ、世の中は競争によってなりたっているんだ・・・。