映画「ザ・メッセージ」(1976)ムハンマドを主人公とする映画
The Message 1976 Islam and Christian
THE MESSAGE (1976) ENTRY TO MECCA - ÇAĞRI (1976) MEKKE'YE GİRİ
Last Scenes from The Message Movi
The Message in English 1976 Traile
ロシアの動画共有サイト(ロシア語吹き替え版)クリック→The Message (1975)
The Message (1976)解説
出典→http://www7b.biglobe.ne.jp/~yappi/eiga/EB-01themessage.html
イエス・キリストの生涯を描いた映画は、「キング・オブ・キングス」「偉大な生涯の物語」など数多くありますが、イスラム教の創始者ムハンマド(マホメット)を描いた映画を探すのは大変難しい。
そのなかで、この「ザ・メッセージ」は、ムハンマドを主人公とするほとんど唯一の映画ではないでしょうか。この映画の製作費を出したのは、モロッコ 、クウェート、リビア、サウジアラビアといったイスラム諸国。撮影はリビアとモロッコで行われ、イスラム教徒とメッカの戦い(625年のウフドの戦い)のシーンには、リビアの軍隊が全面協力しているそうです。
監督のムスタファ・アッカドは、シリア生まれのアラブ系ですが、スタッフ、キャストはほとんどがヨーロッパ人によって占められているため、「オイルダラーで作られた映画」と言われました。この作品は、英語版のほかに、アラビア語版が作られていますが、そちらにはアンソニー・クインなどの西欧スターは出ていないとか。アラブの人々にとっては、ムハンマドの「メッセージ」さえ描かれていれば無駄なストーリーはいらないというわけですね。
映画の最初にクレジットが出るとおり、偶像崇拝を禁ずるイスラム教の教義にのっとり、この映画にはムハンマドの顔や姿はいっさい出て きません。弟子たちがムハンマドに語りかけるときは、カメラに向かって(ということは見ている私たちに対して)話しかけるのです。このパターンってなんとなく落ち着いて見てられない気分にさせますね。あ、なんか答えなきゃ~!と思ってしまいませんか?
西暦600年、メッカ。当時メッカは、クライシュ族をはじめとする富裕な貴族たちが利己的な物欲主義にこりかたまり、奴隷を持ち、貧富の差が激しかった。
彼らはカーバ神殿に300以上の神を祀り、偶像崇拝に明け暮れていた。
その頃、メッカ近郊のヒラー山の洞穴で、一人の男が、天使ガブリエルによって啓示を授かったという噂が流れ、クライシュ族の若者に大きな反響を起こしていた。唯一絶対の神アッラーの使徒として、神の前の平等を説き、現状のままでは、世界終末の日も近いことを予言し、道徳的退廃とそれから生じる社会矛盾を改めるための正義を説くムハンマドの教えに、若者たちはしだいに共鳴していく。
大商人たちにとって、ムハンマドの一神教の教えが広まることは、カーバ神殿の大祭にともなう定期市がすたれ、大きな収入がなくなることを意味した。そこで、彼らは、マホメットと、彼の教えを信じる者への迫害を加えた。目の前で、アッラーの神を信じる母を残酷な仕打ちで殺される若者、石の下に敷かれて拷問される黒人奴隷───。信徒への迫害は目を覆うばかりの残酷さで、家族が引き裂かれる悲惨な光景があちこちで見られた。
メッカで完全に孤立したマホメットたちは、メッカでの伝道を断念し、メッカの北方480kmの町メディナに移った(ヒジュラ/聖遷,622年)。彼らはレンガを積み上げ、ささやかな聖堂を築いた。信徒のなかには、黒人奴隷ビラルもいた。彼は、礼拝時刻の告知者となり、聖堂の上に立ち、朗々たる声で信者たちに祈祷を呼びかけるのだった。
ところが、メッカに残してきた家族が迫害され、所有物が押収されていることを知った信者たちは、自分たちの信念を守るためにメッカと戦わなければならないことを悟る。
624年、紅海沿岸のバドルで、イスラム軍はメッカの大軍を破るが、翌年のウフドの戦いでは、逆に敗れてしまう。過酷な戦いの連続は、イスラム教徒たちの団結をさらに強め、かつて一国家にまとまったことのない多数の部族のあいだに、初めて、統一の動きが現れてきた。
628年、1400名の信者を引き連れてメッカに向かったムハンマドは、メッカとの間に10年間の休戦条約を結び、メッカに凱旋する。そこでムハンマドが最初にやったことは何か。それは、カーバ神殿にまつられていた300余体の邪神の像を破壊することだった。
神殿の屋上によじのぼったビラルは、「アッラーは唯一絶対の神なり。アッラーに祈りましょう」とうたい、ここにカーバ神殿は、唯一神アッラーへの礼拝の場となった。
ビラルがカーバ神殿によじのぼりアラーを讃える。こうした祈りのうたがコーランのルーツになります。イスラム圏に旅すると、朝方、どこからともなくコーランの声が響いてきたものです。神への敬虔な祈りが込められた声は、それ自体ある種の力を持つような、そんな気持ちがしたものでした。コーランはアラビア語で唱えなければならない、ということも、実際にコーランを聞けばすんなり理解できます。
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