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神は妄想である ウィキペディア(2)・・・利己的遺伝子論・創造論批判

2015年09月11日 | 好きな歌

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業績 

進化生物学

 

 
アメリカ無神論協会の34回大会で講演するドーキンス。2008年3月21日

 

 

科学的な業績において最もよく知られているのは利己的遺伝子論、すなわち進化における遺伝子中心の視点を広めたことである。この視点は1976年の著書『利己的な遺伝子』で明確に示されている。彼は「自己複製する実体の生存率の差によって全ての生命は進化する」と述べた。続く『延長された表現型』(1982)では自然選択を「自己複製子が互いよりもより多く増殖するプロセス」と表現した。動物行動学者としては、動物の行動と自然選択の関連に関心を持っている。また「遺伝子を進化の原理的な単位と見なすべきだ」と提唱している。

 

ドーキンスは進化における反適応主義(たとえばS.J.グールドとR.レウォンティンのスパンドレル主義、生物の形質には適応的な物もそうでない物もあり、適応主義[彼らはしばしば適応万能論と呼ぶ]のような作業仮説は不適当だとする立場)、および遺伝子より高次のレベルでの選択に懐疑的である。特に利他行動の理解の基盤として群選択を用いることに対して強く疑いを抱いている。

 

利他的行動は、他者を助けるために自分の適応度を低下させるという行動がどのようにして進化するのかという点で、当初は進化上のパラドックスであった。以前は多くの生物学者が群選択的な視点、つまり「個体は自分自身の利益にならなくても群れや種のためによいから利他行動を取るのだ」と解釈していた。イギリスの進化生物学者W.D.ハミルトンは包括適応度と血縁選択という概念(個体の利他的な行為は遺伝子を高い確率で共有している近親者に向けられている)を提唱し、遺伝子中心の視点から利他行動を理解する道をひらいた。 同様に、ロバート・トリヴァーズは遺伝子中心のモデルを発展させ、「個体が将来の返報を期待して他個体へ利益を与える」とする互恵的利他主義を提唱した。 ドーキンスはこれらのアイディアを『利己的な遺伝子』で発展させた。

 

ドーキンスの批判者は「選択の単位として遺伝子はふさわしくない」「個体が繁殖に成功するか失敗するかのみでそれ以外はない」と述べる。しかし「長い時間をかけ集団中で対立遺伝子の頻度が変化する」という進化の定義の元で、遺伝子は進化の説明に広く用いられている。『利己的な遺伝子』でドーキンスは「遺伝子」の定義にG.C.ウィリアムズの「自然選択の単位として役立つだけの長い世代にわたって続きうる染色体物質の一部」を用いている。 他の一般的な批判には、「遺伝子は単独では生存できず個体を作るために他の遺伝子と協力し合わなければならないのだから単独の単位たり得ない」、がある。『延長された表現型』でドーキンスは「遺伝子の乗換え有性生殖が存在するために、個々の遺伝子の視点に立てば他の遺伝子は環境の一部と見なせる」と述べた。

 

リチャード・レウォンティン、デイビッド・スローン・ウィルソン、エリオット・ソーバーのような、より高次レベルの選択の支持者は「遺伝子に注目するだけでは生物の現象の理解に不十分だ」と批判している。1970年代以降、断続的にドーキンスを批判している哲学者メアリー・ミッジリーは、「遺伝子選択」、「ミーム」、社会生物学を極端な還元主義だと批判している。

 

進化の解釈とメカニズムに対する一連の論争(「ダーウィン・ウォーズ」と呼ばれることもある)は社会生物学論争の一端として、ドーキンスと彼のライバルであるアメリカの生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドの間で行われた。二人は特に社会生物学進化心理学の論争において、ほとんどの場合ドーキンスは擁護者として、グールドは批判者として論陣を張った。
ドーキンスの典型的な立場はスティーブン・ローズ、レオン・カミン、レウォンティンの『遺伝子の中にはない』に対する酷評によくあらわされている。ローズらやグールドの主な批判は「社会生物学者は遺伝子決定論者で還元主義者である」「現在の社会的不公平は遺伝子の不可避的な現れであると正当化している」であった。これに対し、「ローズらの批判は単なるウソである。遺伝的な効果の不可避性神話は社会生物学とは何の関係もなく、ローズらのパラノイア的で悪魔神学的な科学の中にしかない」と述べた。また「社会生物学者が「遺伝子」について多く語るのは、行動であれその他の形質であれ、それに関わる遺伝子を想定しなければ進化の文脈で扱えないからだ」とも述べた。ローズらが遺伝子決定論の代替案として提示した「弁証法的生物学」のたとえ話はケーキであった。ケーキは材料の質や焼く温度や、それらの複雑な相互作用の結果であって、各要素に分離することはできない。ただし、この喩えはすでに1981年にドーキンスが用いていた。ドーキンスとパトリック・ベイトソンは、遺伝子の働きをレシピに、材料を環境に喩えていた。しかしこの比喩は個体発生に対するものであり、「ローズらは個体発生と進化を混同している」とも述べた。

 

ドーキンスの側に立つ代表的な論者にはスティーブン・ピンカーダニエル・デネットがあげられる。デネットは遺伝子中心視点を支持し、生物学における還元主義を擁護している。ドーキンスとグールドは、学問上の意見の不一致にもかかわらず、敵意は個人的な関係にまでは及んでいなかった。ドーキンスはグールドの死の翌年に出版された『悪魔に仕える牧師』でグールド追悼のために一節を当てている。

 

ドーキンスのその後の著作は進化の経験的な証拠をまとめた内容で、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』出版のちょうど150周年に当たる 2009年11月24日に出版が予定された。

 

創造論批判

 

ドーキンスは創造論、すなわち「人間性や生命、世界は神によって創造された」という宗教的信念に対する熱烈な批判者である。
彼は創造論を「不条理、知性の減衰、虚言」と表現している。1986年の著書『盲目の時計職人』と2006年の『神は妄想である』では創造論における重要な主張であるデザイン論の時計職人アナロジー(およびフレッド・ホイルのジャンボジェット・アナロジー)に反論を行っている。時計職人のアナロジーは18世紀のイギリスの神学者ウィリアム・ペイリーが『自然神学』で用いたもので、「時計のように非常に複雑で高い機能性を持つ存在がただの偶然で生まれるわけはなく、生命はそれ以上に複雑なのだから、それは意味深遠なデザインの証拠なのだ」とした。
しかしながら、ドーキンスは、「自然選択の累積的な力は生物の世界の機能的で非ランダムな複雑さを説明することが可能である」とした。「自然は自動的で、無知性的で、"盲目の"時計職人の役割を果たしている」と述べた。また同書では「中間型の器官や行動は役に立たない」とする創造論の主張に対しても、「中間型の眼や翼が役立たないという前提に根拠はない」と述べた。

 

1986年に行われたオックスフォード協会のハクスリー記念討論で、ドーキンスとジョン・メイナード=スミス若い地球の創造論者(「地球は6000年前に創造された」と主張している)のA.E.ワイルダー=スミス、および聖書創造協会の会長エドガー・アンドリューズと討論を行った。しかしそれ以降、ドーキンスはスティーヴン・ジェイ・グールドの忠告に従って公的な討論を拒絶している。「創造論者は"社会的認知を得るための酸素" として討論を渇望しており、議論で打ちのめされることを意に介しない。公的な場で討論したという事実が、彼らを認めていることになるからだ」とグールドは述べた。

 

ドーキンスはまたインテリジェント・デザインを理科教育に含めることを「それは科学的な主張ではない。宗教の一つだ」と述べ、猛烈に反対している。創造論を公立学校の教育に持ち込もうとするイギリスの団体「科学における真実」の強力な批判者であり、そのような試みは「教育のスキャンダル」だと述べた。

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