ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

ヤハウェ ウィキペディア(3)

2016年04月28日 | 語学

エホバ[編集]

歴史的仮名遣で書かれたヱホバを現代仮名遣いに直したもの。の差異に注目されたい。

俗に、エホバの証人を指して単に「エホバ」と呼ぶことがあるが、公式な略称ではなく、蔑称に近い。ひとりのエホバの証人は、「エホバの証人は自分たちのことを『エホバ』などと言ったりはしません」とこの用法を強く否定し、「エホバ信者」などというものは「差別的な表現」であると述べている[25]

「エホバ」はエホバの証人が考え出した名前でもなければ、登録商標でもない[26]。しかしながら今日、エホバの証人は盛んに「エホバ」を使用するのに対し、教会では(教派によってまちまちであるものの)一般に、新約聖書の福音をより強調する傾向にある。新約聖書には本来、「エホバ」およびそれに類する固有名詞は登場しない。

エホバの証人の翻訳による『新世界訳聖書』は、「ヘブライ語-アラム語聖書」(一般にいう旧約聖書)のみならず、続く「クリスチャンーギリシャ語聖書」(一般の新約聖書)でも「エホバ」を用いる。『新世界訳』側は、新約のそのような訳し方について「神のみ名を復元して」いるとし、「これらの訳し方を支持する様々な資料」なるものを挙げている[27]が、専門家は懐疑的な見解を寄せる。

文献のひとつは、信頼ある校訂本文や古代訳、また教父文書にもエホバの名がないことなどを指摘した上で、『新世界訳』の「資料」に問題があることを5箇条にまとめて示しており、要約すると、新約で「エホバと訳したこと、これは正当な根拠がな」い[28]

エホバの証人と源流を同じくする灯台社(燈臺社)員は戦時中、明石順三主幹の訳によって「エホバの證者」と称された。そして戦後しばらくして、この名はエホバの証人と改められ、現在に至る。

「エホバ」もしくは「ヱホバ」の読み(表記)は、日本の文学においても古くから好まれてきた。例として、カトリック俳人・阿波野青畝銀河季題とする俳句を鑑賞されたい。

銀河より聴かむエホバのささやきを

青畝

なお、前掲句の底本はその弟子である日本イエス・キリスト教団 明石人丸教会プロテスタント俳人・やまだみのる氏によるウェブサイトの秀句鑑賞のページによったが、この句には次のような形もあり、同サイト青畝俳句研究のページでは後者の鑑賞が行われている。細部の差異に注目されたい。

銀河より聞かむエホバのひとりごと

青畝

エホウァ[編集]

日本語の文献ではあまり見られない。

ユダヤ教成立後のヤハウェ[編集]

旧約聖書に於けるヤハウェは唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。ただし、広義では他の生物、物質も人類と性質が似ており、人類がヤハウェに似ていることは宇宙空間全体の事象に帰納できる。また、『創世記』第32章第31節~や『出エジプト記』第4章第24節~などには自ら預言者たちに試練を与える場面もあり、ヘブライ人たちがヤハウェを決してはっきりしないというだけではなく、預言者を通じて実在感のある存在と捉えていた事がわかる。

キリスト教におけるヤハウェ[編集]

Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν”(エゴー・エイミ・ホ・オーン)=「私は在るものである」はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。 正教会において、イエスのイコン、とりわけ自印聖像においてその光輪にギリシア文字 "Ο・Ω・Ν"(ὁ ών 『在るもの』) を記す習慣もこれに関連する。

三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある[誰によって?][29]

最近の動向として、2008年6月29日付でバチカンの教皇庁典礼秘跡省は「教皇の指示により神聖四字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示した[30]。教皇庁はこの指針の中で、近年の神の固有名を発音する習慣が増加している事態に対して懸念を表明し、神聖四字については「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」などではなく、「主」と訳さなければならないと述べ、神の名を削除するよう求めている。これを受けて日本のカトリック司教協議会は、祈りや聖歌において「ヤーウェ」を使用してきた箇所を原則として「主」に置き換えることを決定した(一例として「主ヤーウェよ」と呼びかける部分は「神である主よ」とされた)。

異教由来説[編集]

ユダヤ教成立以前の信仰をヤハウェ信仰、あるいはエロヒム信仰とよぶが、両者は必ずしも同一の信仰ではなく、四資料説において、エルやエロヒムを神の呼称とする「E資料」、ヤハウェを神の名とする「J資料」が想定されている。両者はかなり性質の異なる別系統の神々だったが、唯一神教化する過程で混同され、同一神とみなされるようになった。エロヒムはヤハウェに比べてより古い信仰であり、もともとはセム系の諸民族にみられる多神教における最高神で、抽象的・観念的な天の神であった。イスラエルにおいてはサマリアガリラヤなど北部で信仰された。これに対し、ヤハウェの起源はエロヒムの起源に比べるとやや時代が下り、元来は暴風の神だったとする説が有力であるが、の神だったという説、あるいはシナイ山で信仰された火山の神だったのではないかと考える者もいる。[要出典]ヤハウェは、抽象的なエロヒムと異なり、具体的な人格神で、慈愛だけでなく怒りや妬みも表す感情的な神であり、もともとはヘブロンを中心としたイスラエル南部の信仰で、王国時代にはエロヒムと異なりヤハウェの祭儀は祭司階級であるレビ族に担われた。あるいはアシマとアナトという2人の女神を后としていた上、アナトとは兄妹でもあったことから、古代オリエントバアルと同系の神ともされる。後にヤハウェとエロヒムは混同され、バビロン捕囚キュロスによる解放などを経てゾロアスター教の影響を強く受け、ヘレニズム時代にユダヤ教が成立していく過程で[要出典]唯一絶対神の性格を帯びるようになった。ただし、唯一神教化した時代をより古く見積もる説では、出エジプトの頃のヘブライ人は古代エジプトのアテン神を信仰しており、そのためアテン信仰が廃された後に弾圧され、エジプトを脱出したのではないかとする説もある[31]

 


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