最後の誘惑
★ネタバレしても観る価値のある筆者の一押し映画の分析感想文集★
批評は原則避けて作品をよりよく理解いただけるよう書いています。
記事を読んで興味をそそられた映画がありましたら是非ご覧下さい。
尚、重要な部分のネタバレはせずに書いていますのでご安心下さい。
最後の誘惑
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すべての疑問を解決する斬新なキリスト像
私が通っていた中学・高校は、いわゆるミッション系と呼ばれる私立校だったため、当たり前のように『聖書』の授業を6年間通して受けざるを得ない羽目になった。プロテスタント系だったので、神父ではなく牧師が主に『新約聖書』について取り上げていた記憶がある。『新約聖書』とはユダヤ教の経典でもある『旧約聖書』と異なり、主に‘神の子’としてのイエスの生涯を描いたゴスペルだ。しかし、そこに納得行かないイエスの行動が記されている場合、例え牧師先生に何らかの回答なり解説を求めても、ひとえに「信じなさい&祈りなさい&感謝しなさい」の一点張りで、実に無責任な対応しかしてもらえなかった。そんな調子だから、必然的に私を含めた生徒達は試験もあるので、そのためだけに仕方なく『聖書』を学んでいたに過ぎない。ミッション系と言っても、ほとんどの生徒はご先祖様が寺の墓に眠っていたり、元旦には神社に初詣に行くような一般的な者がほとんど…真剣に『聖書』の授業を受けていたのは、親がクリスチャンだったほんの一部の生徒達だけ。他には誰も真剣に『聖書』などに興味を示すはずもない。だが私には、‘神の子’ イエスの言動の数々の中で、個人的にどうしても疑問を抱かずにいられないものが一つだけあった。全人類を救うため、ゴルゴダの丘で磔刑にされた際に彼が天に向かって叫んだ言葉…「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか)」についてだ。『聖書』の授業でも、週一回行われていた全校礼拝においても、牧師や教員らが語って聞かせていたイエス像は、神に対して絶対的な信仰心を抱き、それに従って人々を苦しみから救わんとする、博愛者にして信者の鑑とも称すべき存在だった。そんな彼が正に世界に救済をもたらそうとしている最中に、何故に‘神に見捨てられた’等と口にしたのか?しかも、そのしばらく後には打って変わって、‘これですべては成し遂げられた’という意味合いの満足したような一言を残しては死んでしまうのだから、尚更のこと全く理解不明だったのだ。
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