ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

知恵袋で公開された質問と回答・・・死後の世界は有ると思うか

2015年10月14日 | 好きな歌

この記事の最下段に、死後の世界・死後生存(体験者の証言)・死ぬ1秒前に人が体験することなど、3本の動画があります。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1263541662;_ylt=A2RAqR7crh1WqFgAbpVYAPR7?pos=3&ccode=ofv


無宗教の方に質問。 死後の世界は有ると思いますか? ヒトは死んだらどうなるのか?生きとし生けるもの全ては・・・?
 

c108_69さん 2011/6/110:22:46

無宗教の方に質問。
 死後の世界は有ると思いますか?
ヒトは死んだらどうなるのか?生きとし生けるもの全ては・・・?

-宗派論争やカルト攻撃ではない真摯な意見希望!-

はじめまして
知恵袋初心者です。
 最近見始めまして、特に宗教カテの荒れ様に驚いています。


ワタシは完全な無神論者でいかなる宗教も信じていませんが、
 宗教の原点である「死んだらどうなる」については時折夢想したりします。

また、浮世の不条理を折にふれ見聞き体現するに至って、
 信仰にすがって現世利益や来世への約束を願う人達の気持ちも良く分かります。
 (恥ずかしながら ワタシの両親もある新々宗教の熱心な信者です)

でもここの宗教カテを見てて、
このすごい暴言や挑発を匿名で発して悪びれない人達って、
 (恐らく教義そのものじゃなくて組織団体の反社会性やウザさに対する怒り・・・とは思いますが)
 宗教的観念を全く持ち合わせていないんだろうか?
とふと疑問に思いました。


 皆さんは
 ヒト、もっとミクロに言えば自分の「生死感」をどう捉えていますか? 


 織田信長の様に”ヒトは死ねば無になる”と大悟しているのか?
 (もっとも信長は自身が神であると捉えていた様ですが)
どんなに徳を積んでも、逆に懲りる事なく悪行を重ねても、
 酒池肉林の大金持ちも日々カップ麺をすするワタシの様な貧民も
死ねば帳尻が合わないまま御破算となる・・・で立脚していけるものなのか?
 (ワタシはどこかで必ず±ゼロに収束すると信じたい)

あるいは、集団で偶像崇拝する様なのは反吐が出るけど
自分なりに黄泉の存在をイメージされているのか?

あるいはモンノスンゴイ勝ち組で、もう人生十分プラスだから
 いつフケてもいいや♪と考えているのか?


ダラダラ長くなりましたが、

 特によくこのカテに極右な意見を書き付ける宗教アレルギーの方の
考えを聞いてみたい!

よろしくお願いします。
 
閲覧数:603 回答数:10

 
ベストアンサーに選ばれた回答
 

shizue_myaさん 2011/6/110:58:14
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親族も代々うちの家庭も無宗教です。幼いときから私も人は死んだらどうなるといった漠然とした疑問をもって育ち気になったので・・・・・私が直接人の死というものに待遇したのは母で、生前に母がよく言っていたのはやはり『人は死んだら無になる』でした。私はそのときなぜだかさみしそうにいう母にたいしてなんだか不思議な気持ちになりました。ですが一つわかったのが人は死んだら無になるのではなく忘れられてしまった時に無になるという言葉に本当にそう思いました。付き合っていた方のお父様がなくなった時それは会社の役員をされていてそれはお葬式は大規模なものでしたが、彼がいうにはそれ以降父は忘れられてかのようにお線香すらあげにもだれもこなかったと聞き
無になるかならないかはその人のいきてるうちに決まるんじゃないかと思いました。ながなが失礼しました・・・・・


質問した人からのコメント 2011/6/2 21:12:30
 

降参 忘れられた時に無になる・・・なんか胸のつかえが取れた気がします。
ワタシも普段はalnva1さまやwakie741さんと同じ考えでしたが、
 近しい人の死に直面してみるとそれでは余りに切なくて・・・
皆様ありがとうございました♪  

ベストアンサー以外の回答 

wakise741さん 2011/6/209:41:07
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>ヒトは死んだらどうなるのか?

ものを考えるのを止めます。 遺体、遺骨は小さな昆虫や微生物により分解されます。

 >暴言や挑発を匿名で発して悪びれない人達って宗教的観念を全く持ち合わせていないんだろうか?

 悪びれないと倫理観、常識は別物です。宗教の有無とは関係ありません。

 >もっとミクロに言えば自分の「生死感」をどう捉えていますか?

 肉体が事故、病気で力尽きたら脳に血液、酸素が送り込まれなくなるのですべての思考はストップします。つまり嬉しい、悔しい、悲しいなどはありません。

 >ワタシはどこかで必ず±ゼロに収束すると信じたい

価値観にもよりますが企業で同期入社より先に、又上級の役職に就いたり、事業で成功する人もいれば交通事故で障害を持って不自由な生活を強いられる人もいます。人間に限らず一匹の鮭は何万個と卵を産みますがその大部分は卵か稚魚の段階で食物連鎖として他の魚などのえさになります。それによって鮭が増えすぎて鮭が餓えないようにバランスが取れています。
つまり誰でも何でも±ゼロとはなりません。

 宗教アレルギーではありません。 ほとんどの宗教の生まれた時代は天動説の時代です。ニュートンもダーウインもニーチェもコペルニクスもいない時代です。地震や雷の原理が分からなければ目に見えないも物=神ととして恐れたのは当然です。

 近代の自然科学、遺伝学、考古学、地質学、天文学は生命に期限は何十万年前、太陽の寿命はあと何年、クローーン技術などかっては神の領域を解明しています。 皆分かっていますが占いとか予言とかお守りとか面白くて生活に潤いができるので興味を示すだけでしょう。
 

hansin_keibaさん 編集あり2011/6/121:59:40
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無心論者です。

あの世とこの世は地続きだ。(誰かの御言葉)
死ねば終わりならこの世の道徳も宗教も全て崩壊します。
但し、この世にある宗教、道徳全て洗いなおさないと無間地獄と化す。

 全ての、ご本尊,象徴、対象物など焼き払ってしまおう。(病気の原因)
 今の時代は何万の宗教団体が存在し各団体は自分ところが救い主と言う。

 自然淘汰まとめないと疲れますね。
 

dogen_tonさん 2011/6/119:03:22
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下記のとおり、ブッダは、「死後の世界」を論理的に全否定し。しかも、そこから「ソクラテスの提起した課題・『人間いかに生きるべきか?!』の回答」を導出しました。
 (「死後の生」の否定)
ブッダは、「人間は死後も生存するか生存しないか」とか、「宇宙は常に存在するか存在しないか」といった「形而上学上の問い(十四難)」を問われた際、回答を与えませんでした(増谷文雄訳・筑摩書房刊・「阿含経典」の「箭のたとえの経」)。
が、「同じ問い」を受けた本経の「ヴァッチャゴッタの問い」では、同じ回答を与えた後。さらに、「解脱した心をもてる比丘は、いったい、いずこに往きて生まれるであろうか」と問われた際、まず、「人間のその色(肉体)が捨てられて、その頭を伐られその根を断たれたターラの樹のようになる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。……」とし。続けて、「人間のもう一つの構成要素」である「精神的要素(受・想・行・識)」のそれぞれについても全く同じ解答を与えました。
 「死後の生」を全否定した、のです。
 同じく、前掲書の「沙問の果報 その二」においても、まず、「〈私のこの身は、色(物質)より成り、四大(地・水・火・風)より成り、父母の生むところにして、飯と粥との養うところ。したがって、詮ずるところ、無常、破壊、粉砕、そして壊滅するところのものであり、したがって、またわが意識もこれに依存し、これに関連するものである〉と知るのであります」とし、「肉体」だけでなく、「意識」。すなわち、「霊魂」なり、「精神」の「無常」を説きました。
 前経より詳細に、「死後の生」を全否定したわけです。
それだけでなく、ブッダは、「この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえているのを、わたくしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く(中村元訳・岩波文庫・「ブッダのことば」)」としました。
ブッダは、「論理的に死後の生を否定した」 だけでなく、死後の生を説く人々が、本心では、「“死の恐怖”に震えおののいていること」を見抜いていた、のです。
 (「人間いかに生きるべきか?!」の回答)
①「意義ある人生」を送る必要
そして、ブッダは、同じ「無常」という「真実」から、「たったこれっぽっちの“色(物質)”だって、常住し、恒存し、永住して、変化しないものはないゆえに、よく清浄の行を修して、まさしく苦を滅し尽くすことができるのである(「阿含経典」の「爪頂」)」とし。あわせて、一切の疑問の余地が生じないように、「人間のもう一つの構成要素」である「精神的要素(受・想・行・識)」のそれぞれについても、一々、同じ指摘を繰り返しました。
 考えてみますと、カントの妄想とは異なり、もし、人に「“不死の魂”といった“永遠の生”」が与えられているのであれば、サルトルが指摘したとおり、我々には「永遠の価値も基準」も存在せず、何をしていてもよくなります。
 「二度とない人生」。だからこそ、「ブッダが究明・実践した清浄の行を体現して生活する必要」。普遍的にいいますと、「有意義な人生」を送る必要が生ずる、ことに気づきます。
②道徳の理論的根拠
しかも、ブッダは、「『われらは、ここにあって死ぬはずものである』と覚悟をしよう。――このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる (中村元訳・岩波文庫・「真理のことば」)」としました。
カントは、「人間には不死の魂がある」と仮定することは、「実践的要請(人間が道徳的にふるまうために仮定すべきこと)」である、としました。一方、ブッダにすれば、「不死の魂があるのであれば、また生まれてくるので、人を殺してもよくなる」 「二度とない人生だから殺すな!」 さらには、「争いすらなくなる」とした、のです。
 以上、ブッダは、その存在論をバラモン教の存在論・輪廻転生を否定する「無常(生じたものはまた滅するものである)」とし。そこから、「『人間いかに生きるべきか?!』の回答」を導出した、ことが判明します。
 (対機説法)
ところで、ブッダは、輪廻転生を始め、「死後の生」も(大々的に)説きました。
 理由は、第一に、わずか数十年前、当時すでに偉大であったビートルズが、キリストを茶化しただけで、「自由と平等の国・アメリカ」に入国できなくなったことを考えれば明らかです。が、バラモン教全盛時代。しかも2500年前の迷信深い古代のインドで、伝道を行うための対機説法です。
 第二に、ブッダが「死後の世界」を説いたのは、文章の前後関係から、「在家者用」であることに気付きます。「出家者」とは違い、「在家者」は、「“死の恐怖(精神的苦しみ)”を制圧する具体的手段」を持っていません。当然、「死後の世界」を否定するのは可哀想過ぎる、からです。
 第三に、日本仏教でもいう「地獄・極楽この世!」の意味で用いました。

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over_killer666さん 2011/6/117:03:28
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無宗教です。

 死後の世界はありませんし、死んだら消えるものだと思っています。
また、人生は不平等です。
 最後に幸せだったと思える人がいれば、不幸だと思ったまま死ぬ人もいます。
 人生は「プラスマイナスゼロ」とかいう方もいますが、そう言う方は間違いなく幸せなほうの人間です。
 不幸な人間には少しぐらい良いことがあったって、これまでの不幸が帳消しになるとは思いません。

 mumonbonpさん 2011/6/112:17:49
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>>酒池肉林の大金持ちも日々カップ麺をすするワタシの様な貧民も
>>死ねば帳尻が合わないまま御破算となる・・・で立脚していけるもの
>>なのか?
>>(ワタシはどこかで必ず±ゼロに収束すると信じたい)

その通りです。帳尻を合わせるために、死後には地獄界・畜生界・餓鬼界があるのです。

 kattkun1941さん 2011/6/112:05:11
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結論から言いますと、死後の世界はありません。死後の世界があると誰が言ったのか分かりませんが、多分、死ぬ恐怖を和らげる為にそういう話が出来上がったのだと思います。人間死んだら“無”です。だからお葬式にお金を掛けるなんて全くナンセンスです。戒名とかに高額な金銭が取られる宗教何て、それこそいりませんね。
 

iganostarさん 編集あり2011/6/111:31:09
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一向宗やキリスト教に悩まされた戦国時代から安土桃山時代の教訓から、徳川幕府によって宗教は厳しく統制され、民衆は地元のどこかの寺の檀家になることを強制されました。
 江戸時代の寺(仏教)は宗教施設というより町役場のような行政施設の役割をになってきました。
 日本の仏教は宗教性はかなり弱まり、冠婚葬祭、特に葬式のための寺、僧となりました。

 一方、明治維新で神道が国教のように扱われますが、一般市民にはなじみが薄く、敗戦によって、一宗教に戻ります。
 戦後、政教分離や教育界からの宗教締め出しによって、特に新しい子どもたちは、「みんな宗教をタブー視している」、「宗教は学んではいけないものなのだ」、「信仰は普通ではない人が行うものなのだ」という暗黙の常識が生まれる。

 簡単に言うと、現在の日本には、得体の知れないものへの気味悪さが宗教に付きまとっているのです。
 世界で、「私は無宗教です」と言うと、秩序を認めない、破壊主義者、金や物にしか興味を示さない危険な人物とみなされます。

 逆に日本で、「私は熱心な信者です」と言うと、宗教団体にだまされて、金を巻き上げられて、家族を省みないで教祖のために朝から晩まで走り回っている精神不安定、意志薄弱な精神障害者とみなされるようです。

そこまで極端ではなくとも、何か敬遠される、少し距離を置かれる存在にされるのだと思います。
したがって、日本の宗教信者は公の場で自分の信仰を表明することは少ないようです。

さて、話を本題に戻します。
 私自身は、宗教にある程度の縁を頂き、多くの書物を読んできましたが、特定の団体には入信することなく、現在も迷いを続けています。

 死後の世界については、私自身に霊能力がありませんので、わかりません。
 書物や霊能力者の話での知識しかありません。

 釈迦は信者の誤解や邪説の流布を恐れて霊や霊界の話は極力控えたそうです。
 釈迦自身は高度な霊能者だったそうです。
 孔子も霊能者でありながら、弟子の教育を考えて、霊界の話はほとんどしなかったそうです。

しかし、仏教でも方便として、悪い魂は地獄へ行って苦しむ、良い魂は極楽浄土に行って永遠の幸福に包まれると教えています。
 現世の物欲に執着するのを戒めるためです。

 人間はその魂の品格によって、死後行く世界が決まるそうです。
 霊界は魂だけの世界ですから、自分の品格を隠すことができません。
 自然と同じような類の魂が寄り集まってきます。

 肉体で隠すことができないので、自分にも他人にもその品格がすぐにわかります。
 穢れた魂が、尊い光り輝く魂といっしょにいることができないのです。
 自然と、下の方へ、薄暗く湿った世界に落ちていきます。
そのほうが居心地がいいのです。

そこで反省を繰り返し、磨かれて、垢が落ち、光り輝いてくると、少しずつ上方に上り、やがてまたこの世に生まれ変わってくるそうです。
 地獄にいる間はこの世に生まれ変わってくることはできないそうです。

ほとんどの赤ちゃんが天真爛漫で、まるで天使のようなのは、霊界である程度魂が清めれれているからだそうです。

しかし、成長するに連れて、物欲や他の穢れた人々の影響などを受けて、自分の魂にも垢がこびりついてくるそうです。
この世で清らかな魂を維持するのは相当大変なことだそうです。

 私もはっきり信仰心を持たなければいけないと思いつつも、踏ん切りがつかない今日この頃です。


 alnya1さん 2011/6/111:04:25
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無信仰者であり、たまたま無宗教者です。

 >死後の世界は有ると思いますか?
 answer・・・死とはコンピュータでいえばスイッチを切るのと同じこと。脳細胞という意識の媒体が活動が停止するので、意識も消失する。それだけです。死後の世界? 媒体もなく、消失した意識がどうやって存在し続けるのでしょうか?あまりにも馬鹿げています。

 >ヒトは死んだらどうなるのか?生きとし生けるもの全ては・・・?
 answer…医学的な変化が訪れるだけです。


 >宗教の原点である「死んだらどうなる」
・・・信仰の原点かも知れませんが、宗教の原点では絶対にありません。ただ、宗教が信仰を取り入れているからそう感じるだけのことです。

 >このすごい暴言や挑発を匿名で発して悪びれない人達って、宗教的観念を全く持ち合わせていないんだろうか?

 海南島のヨハネさんID: kainann8225
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=ka...
 PANIRICO イパネマの娘ちゃんID: graceparis77
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=gr...
お二人とも信仰者ですが、このすごい暴言や挑発を匿名で発して悪びれない人達(組織団体を守りたいがための怒り・・・とは思いますが)です。かれらは幼稚ながら宗教的観念の塊で、合理的判断など夢のまた夢です。
ということは、暴言と宗教的観念とは関係なく、精神の発達の問題ですよね。

 >ヒト、もっとミクロに言えば自分の「生死感」をどう捉えていますか?
ごめんなさい。“ミロクに言う”の意味がわかりません。
 生死感ではなく、生死観ですか?


“ヒトは死ねば無になる”そうですね。私の申し上げたことと同じでしょう?
それに帳尻は合うでしょう?
誰だって死ぬのです。どんなに金を積み上げようと、借金を積み上げようと、名声・恥・・・・すべてパア。
 残った人々にはそれなりに影響わ与えるでしょうが、死ぬ本人には関係ありません。
 消失で終わりです。
ああ、頑張った!! と満足しても くそっ、まだだ!! と残念がっても意識のある間だけのことです。
でも、最後の最後に意識の消える寸前までは、満足していたいものですね。

 >自分なりに黄泉の存在をイメージされているのか?
 answer・・・いいえ、まったく。
 

kyujikanesadaさん 2011/6/110:38:51
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私は人間も動物も植物も「死んだら土に還る」と思ってます。死後の世界もあるわけ無い、幽霊も見たことない(なれるもんならなりたいですが…)
とにかく死んだら終わり。
 宗教も個人の自由ですが、結局群れて他の宗教を批判、攻撃してウサ晴らししたり優越感に浸っている…実際は何の解決にもならずムダに時間と金をつぎこんでるだけ。

死んだらどうなる?死後の世界 仏教,キリスト教,ユダヤ教,イスラム教,神道

永遠の命
作者: dreamcb1962
21 本の動画

死後生存( 体験者の証言 )--51 Ngo未来大学院=NFS=NGO FUTURE SCHOOL
2014/08/19 に公開
説明 身近な人が この世から死去されて天国へ旅立つ時に体験する二つの事例を紹介します。
  死は 肉体だけで 心は死なずに 生前中に学んだ知識や技術 生活体験 職場体験等 ほとんど そのまま あの世へ持っていくとの体験事例が 報告されています。 
  死んでまもなくトンネルに入る前後に生涯展望( Life OverView=誕生から現在までの )を見せられて 四十九日までは あの世==死後生存の世界へ旅立つ準備期間であり その後に天国へ旅立つとされます。     いずれにしても この世 と あの世 とを何度も行き来するという転生( Reincarnation )は 物欲とは何かということを体験や学び そして 自他との内面的な苦しい体験を含む学習をし自身の心の質を向上させるために すなわち この地球という物欲スクールで学ぶ場とされます。
 あの世は この世での生涯の内容を反省・吟味・検討する場のようであり 審議する精神性の高い方々の存在も指摘・報告されています。
   いずれにしても 死後の世界は 確実に存在し 転生が 繰り返されること 死後の世界の体験の記録は 日本が世界で一番古くから( 奈良時代から臨死体験した人たちの聞き取り調査の記録が発見 )存在することが カール・ベッカー博士により科学的に解明されています。
   生きるということは いずれ確実に やってくる死後の世界へと展開していくこと さらに その後の人生の質によっては 何度も転生するコースが 存在するとされます。
  この分野の科学研究は 1960年代からI.スティーヴンソン医学博士(バージニア大学)国際的な生まれ変わ­り(転生)の研究が 開始されましたが 世界で始めて本格的な「死の科学」の視点から研究した方は キューブラロス( シカゴ大学医学部教授等 )博士であり「死の科学( Death Science または Thanatology )」という新しい学問分野を開拓されました。     現場の医師や看護婦等の方々が 死に行く患者さんに関わっていると 死する人々の諸現象を具体的に体験する機会が多くなります( 矢作直樹教授 E.アレグザンダー医学博士などの科学研究等 )。 なお  Ngo未来大学院では 総合科学や未来科学の研究成果等を踏まえた 1000年以上 先の文明を想定した学術研究を展開しています。    今後とも よろしく お願いします。

閲覧注意【死ぬ1秒前】に人が体験すること。
 

 


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