ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

臨死体験 (出典:ウィキペディア)(2)アジア人の体験・脳内現象説・エンドルフィン・宗教イメージ説

2015年09月29日 | 好きな歌

アジア人の臨死体験

臨死体験研究の多くはアメリカで行われている。後にイギリスオーストラリアでも調査が行われたが調査結果はアメリカの臨死体験とほぼ同じ内容を示していた。現在のところ、非キリスト教圏であるアジアでは本格的な調査は殆ど行われていない。

日本では立花隆が243件の臨死体験例を収集し分析している(統計学的な手法によるものではない)。それによると、体外離脱やトンネル体験など、ある程度は欧米の臨死体験と同様の内容であった。ただし日本人の場合は三途の川やお花畑に出会う確率が高く、光体験に出会う確率は比較的低いという結果が出た。同じく、1976年の中国における調査では、欧米とほぼ同じ現象が確認されたものの、光体験や体外離脱体験の頻度はやや低かった。また、昔の日本人の臨死体験には閻魔大王がよく登場したが、現在は殆ど見られない。

スーザン・ブラックモアはインドで12例の臨死体験を収集したが、うち8例が西欧のものと同じだったと述べている[30]。しかし、インドと欧米の体験には相違点も見られている。バージニア大学生まれ変わりを研究したイアン・スティーヴンソンのグループはインド人の臨死体験を45例収集した。それによると「ヤムラージ」と呼ばれるヒンドゥー教の神が現れる体験が多くを占めた。カーリス・オシスらによるインドでの調査でも同様の現象が見られている。こうした文化による体験の違いについては長く議論の焦点となってきた(→#宗教によるイメージ説)。

文化的影響の少ない子供を対象とした研究から、「体外離脱」「トンネル」「光」の3つの要素のみが普遍的な「コア体験」で、残りは文化的な条件付けを受けた体験であると考える研究者もいる。

ネガティブな臨死体験

死にゆく者の中には、極わずかな割合で、ネガティブな臨死体験が起こることがある。そうした体験では、体外離脱により地獄的とも言える世界に向かい、自らが発した非常にネガティブな感情を味わう、という例もある。そうしたネガティブな現象は、体験者の「死因」が自殺である事が原因である事もある。ケネス・リングの調査によれば、自殺による臨死体験では「光の世界に入る」などの現象は殆ど見られず、体験は中途で途切れたものとなっている。自殺により地獄的な体験が起こるという研究結果が出たことはないが、多くの臨死体験者は、自殺が成功する場合、その結果は不快なものになるだろうとコメントしている。

一般的に臨死体験はポジティブなイメージも強いため、ネガティブな体験をした者は、他人に体験を打ち明けることに、より困難を覚える傾向にある。そうした体験者の中には、ネガティブな臨死体験自体を何らかのレッスンと捉え、前向きに解釈する者もいる。ある体験者は、自分本位の人間しかいない地獄的な世界に行くことで、「人間は他人を助けることでしか幸せになれない」ことが解ったという。カール・ベッカーはこうした臨死体験例が、自殺未遂者へのカウンセリングに有効であったと述べている。また、自殺で臨死体験をした者は、体験の無かった者に比べ、再び自殺を試みる割合が極端に減少する事が知られている[36]

臨死体験に関する解釈や仮説

臨死体験は多様性のある現象であり、様々な解釈仮説が可能となっている。

サム・パーニアは著書「科学は臨死体験をどこまで説明できるか」で、臨死体験の解釈を「脳内現象説」「心理的逃避説」「スピリチュアル説」の3つに区分している[23]。しかし、これはあくまで大別であり、厳密には「脳内現象説」は「科学的仮説」の一部にすぎない。

辞書的な説明

広辞苑などの辞書では、「の瀬戸際での体験のこと。死に瀕して、あの世この世との境をさまよう体験」といった説明がされている。

科学的な仮説・解釈

脳内現象説

代表的な科学的仮説として「脳に生理学的・化学的な変化が起きて、これが誘発する幻覚が臨死体験になる」という「脳内現象説」がある。この説に対して、臨死体験の全体を説明するまでには至っていないという批判もある(→#脳内現象説への批判)。

臨死体験では主観的で幻覚的なビジョンも現れる。また、欧米やアジアではその体験内容に差も見られるため、それらは客観的な体験とは呼べず、脳内の化学反応が生み出した幻想であるとする見方がある。レイモンド・ムーディが収集したエルヴィス・プレスリーが現れた体験例は、幻想の証拠として有名になった。また、子供の臨死体験には、まだ生きている者が登場する頻度が高いことを明らかにした研究もある。

臨死体験で起きる人生回顧現象については臨死時に限らず、交通事故や高所からの転落中など、危機的な状況にもよく起きる現象である。これは生命の危機を感じた脳が生存に役立つ情報を検索しているという説が唱えられている。臨死体験者の人格に長期的な変化が現れる現象は、体験者の脳に組成的な変化が起こったためだと推測出来る。

以下の解釈は大別すれば脳内現象説に属するものである。

エンドルフィン説

臨死体験は、鎮痛作用と快感作用をもつ脳内麻薬物質であるエンドルフィンの分泌により起こる、という解釈がある。立花隆は臨死体験の数ある要素のうち「幸福感」や「恍惚感」についてのみエンドルフィンが関わるのではないか、と推測している。

低酸素症患者を対象にした実験では、血中の酸素濃度が下がるほど、エンドルフィン値が上がる事が明らかになっている。この事は死の間際にエンドルフィン値が上がる事を示唆している。

エンドルフィン説への批判

エンドルフィンの効果はゆっくり薄れていくため、多くの臨死体験者が「体外離脱中はまったく痛みを感じず身体に戻った瞬間に痛みが復活する」と報告している点を、エンドルフィン説では説明できないという問題がある。エンドルフィンの無痛状態は最大で数十時間続くが、臨死体験では無痛状態が数分で終わる。エンドルフィンでは注射針を刺された腕の感覚などの微細な感覚を患者は知覚できるが、臨死体験においてはそうした感覚すら残らない。

また、注射により人工的にエンドルフィンを注入すると患者の意識は曖昧になり、臨死体験時の意識のように覚醒することはない。けいれん大発作を起こす患者のエンドルフィン値は非常に高く、しばしば発作後もそれを保っていることが明らかになっているが、患者は幸福感どころか疲労感しか報告しない。心地良さを伴わない「ネガティブな臨死体験」ではエンドルフィンはそもそも関与していないとも考えられる。

酸素欠乏説

死に瀕した人の脳に供給される酸素の濃度が低下すると、低酸素に陥った脳の働きにより幻覚が生まれるという説がある。また、視覚野ニューロンが活性化し、幻覚や光の点、トンネルが見えるのではないかと推測する研究者もいる[23]

酸素欠乏説への批判

血中酸素が低下してきた患者が、必ず光の点やトンネルを見るという事実はない。酸欠状態にある患者はひどい興奮状態にあり、錯乱していることが多く、臨死体験の意識状態とは対極である[23]。低酸素状態では人間の意識能力は低下するため、臨死体験時に「明晰な意識」がある事や「鮮明なビジョン」を見る事を説明できない。実際に酸欠時の人間の意識を調査した実験があるが、いずれにおいても人間の知覚や思考能力などは格段に低下している。

こうした批判に対して、スーザン・ブラックモアは、酸欠にも様々な分類があるため、酸素が中くらいの速度で減っていく場合にのみ臨死体験が起こるのではないかと反論している。

しかし、こうした酸欠説の問題点は、臨死体験は酸欠でない状況でも起こるという事である。重症ではない病気や、日常で起こる臨死体験の場合、酸素濃度は正常だと考えられる。臨死体験は、酸欠により昏睡に陥る前の意識がはっきりした患者からも報告される。また、酸素欠乏でない状態の方が臨死体験が起こりやすいことを示唆した研究がある。

後頭葉が酸素不足になった時に見える光の点は、「スポットライトが少しずつ弱まり最後には消える」といった類のもので、最終的には暗闇に至るものである[2。酸欠で起こるトンネルも同様であり、あるパイロットは、高高度を飛行した際に無酸素症に陥ったが、酸欠によるトンネルと臨死体験のトンネル体験には共通点が何もなかった、と証言している。

Gロック説

ジェット戦闘機のパイロットは、飛行中に大きな重力がかかる事により、脳への血流が低下して酸欠状態になり失神する事がある。この「Gロック」と呼ばれる現象において、網膜が反応してパイロットの周辺の視野が徐々に失われ、視覚が狭まっていく「管状視野」と呼ばれる視覚障害が起こるが、これが臨死体験のトンネルだとする解釈がある。

一部のパイロットは多幸感や幻覚、浮遊感があった事も報告しており、ウェスト・テキサスA&M大学の教授ジェームズ・ウィネリーは、臨死体験と類似したGロックのケースが3件あったと述べている。

Gロック説への批判

臨死体験で起こるトンネル現象は「体験者が身体から浮かび上がり、トンネルの中を進んで光に出会い、帰還を決意すると再びトンネルを通り身体に戻る」といった類のもので、酸欠やGロックで見られるような単なる視覚的な欠損とは異なる。発展した文明社会においては、構造化されたトンネルの出現が報告される事もある。一部にはトンネル体験が報告されない地域があるが、生理学的な要因がトンネルを作るなら世界中で報告されるはずである[22]

Gロック中に幻覚が現れる事もあるが、これは睡眠中の夢に近いもので、ライフレビューや近親者との再会などの臨死体験の諸要素は見られない。逆に意識の混濁や記憶喪失など正反対の症状がみられている。

高炭酸症説

「臨死体験は血流中の二酸化炭素の濃度が高まることが原因で起きる」とする説がある。こうした条件では幻覚が起こる事が知られている。

精神科医であるL.J.メドゥナ英語版による二酸化炭素(炭酸ガス)を用いた治療では、患者が非常にリアルな幻覚を体験している[23]。その中には身体から遊離した感覚を覚えたり、神秘的な合一感を経験した者もいた[2]

高炭酸症説への批判

メドゥナの研究以来、二酸化炭素の上昇が精神に及ぼす影響について多くの研究が行われてきたが、臨死体験が起きたという報告はない。また、メドゥナの実験では、知覚の著しい歪みや恐怖感。幾何学模様や楽譜の幻覚など臨死体験とは無関係の症状も見られている。

実際の手術中に心停止が起きた場合には、患者には酸素が送られ二酸化炭素の増大を防ぐ措置が取られる。多くの場合、高炭酸症は低酸素症を伴うため、混乱や見当識の喪失、急速な失神を引き起こすが、これは臨死体験とは正反対の症状である。高炭酸症で起こる「けいれん」などの症状も臨死体験では見られない

スロベニアマリボル大学にて、ザリーカ・クレメンク・ケティスが患者52人を対象として行った研究では「臨死体験をした患者は、体験しなかった患者に比べて、血中の二酸化炭素濃度が著しく高かった」という結果が出ている。これは高炭酸症説を支持する結果である。これに対して、幾人かの研究者が、酸素不足(ハイポキシア)も二酸化炭素の増大(ハイパーカプニア)も見られなかった臨死体験者がいた事を報告しているただし、こうした酸欠説や高炭酸症説で用いられるデータは、あくまで末梢的な値であり、脳内の血中濃度を直接に測定した数値ではないので注意が必要である。

薬物説・脳内幻覚物質説

臨死体験と幻覚剤を使用した時の精神状態には共通点がある。幻覚剤などの物質が脳に作用して幻覚を引き起こすということは、脳に何らかの幻覚物質が内在する事実を示唆しており、これが臨死体験の原因であるとする解釈がある。例えばケタミンを使用した際には体外離脱的な感覚が得られるとされる。

薬物説・脳内幻覚物質説への批判

幻覚剤により起こる幻覚と臨死体験に起こるビジョンとでは異なる点が多い。幻覚剤体験はかなりの割合で「不快な体験」であり「不安や恐怖」を引き起こすものだが、臨死体験はその逆である。幻覚剤では人間の知覚作用に歪みが生じ、体験者自身も「これは正常な体験ではない」と認識する事が多い。しかし臨死体験では逆に普段よりも精妙で澄み切った意識になるため、日常の現実以上の体験になると述べる者が多い。一般的に言えば、幻覚剤体験は精神異常時の体験に近く、臨死体験は精神正常時の体験に近い。

また、幻覚剤体験の内容は人により千差万別であるが、臨死体験ではその体験の中核の要素に共通性がある。ある調査では、何らかの薬物を処方されていた臨死体験者は全体の14%に過ぎなかった。薬物投与はむしろ臨死体験を妨げるのではないか、とみる研究者が多い。

ケタミンで起こる体外離脱と思しき感覚は、自己像幻視と呼ばれる「自分が二人になる」感覚であり体外離脱とは異なる。また、臨死体験のような物語性のある体験も引き起こさない。特に、知覚の歪みや万華鏡のイメージ、化け物の幻覚などが特徴的に見られ、多くの体験者は疲労感を訴えている。こうした懐疑的な見方もある一方で、一部の体験者は臨死体験と似た現象が起きたと語っている。

宗教によるイメージ説

臨死体験の内容には共通性があるが、欧米とアジア文化圏では内容に違いも見られる事から、宗教による脳内イメージによるものとする解釈がある。アメリカとインドでの比較研究では、その体験内容の違いが一部は宗教に、一部は国民性に起因していた。

ただし、宗教的な臨死体験者をした者が、後に既成の宗教を離れる傾向がある事、キリスト教文化圏で神の審判、地獄や煉獄などのイメージが殆ど現れない事などは説明が難しい。レイモンド・ムーディは最初の著書の中で「宗教的教育の中で期待するように導かれてきたものと、実際の臨死体験がいかに違っていたかを、多くの人達は強調していた」と記している。自らの信仰に反する体験を報告した者も少なくなく、無信仰である共産主義国で宗教的な体験が報告された例もある。文化・宗教的にはこの世とあの世の仲介に立つはずの牧師バラモンラビ等が頻繁に現れてもおかしくないはずであるが、そうした例はほぼ無い。日本文化においては、共に衰退したはずの「閻魔大王」と「三途の川」のイメージが、後者だけ現れるのは何故かという謎が残る。

臨終時のビジョンが、仮に宗教による迷信に基づく現象であるとすると、高等教育を受けている者ほど死者や宗教的人物の姿を見なくなる事が予想されるが、実際にはそうした関連性は見られなかった。セイボムやリングによるアメリカ国内における調査では、宗教的信念と臨死体験の間に相関関係は見られなかった。宗教性は、臨死体験そのものではなく、「体験の解釈」に影響があるとされた。


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