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教えて!goo ・・・人間が神、宗教を創りだした理由(1)

2015年12月30日 | 好きな歌

 

 人間が神、宗教を創りだした理由人間が神、宗教を創りだした理由

質問者:piano-sonata
  • 質問日時:2014/08/12 00:41
  • 回答数:20件



    人間はなぜ、神や悪魔のようなものを創り出したのですか?



    科学がまだ未熟だった(というか、皆無に近かった)大昔から、
    人間はどこの国のどんな人種でも、
    神々や悪魔、鬼、
    場合によっては一神教の神様などを必要としてきたのでしょうか?


    暗闇や天変地異、病気や死、恨みつらみなど等、
    色々なものに恐れを抱き、苦しめられてきたのは、今も昔も同じ。

    今は様々な分野の研究が進み、医学も日進月歩、
    月だけでなく、常時、宇宙空間に人間が常駐している時代、
    太陽系だけでない、広い宇宙のことも、徐々に分かってきている。

    そんな時代でも、信仰心は忘れたくないものですが。


    たぶん、ほとんどの人が、神や神々が大地や空、月や太陽、
    星々を創った、なんて信じていないと思います。

    アマテラスオオミカミも神話の世界だけで、
    ギリシャの神々も神話の世界の住人です。
    キリスト教も、神話という形をとっていませんが、
    旧約聖書の創世記は完全に神話です。


    必ずと言って良いほど、どこの地域のどの民族も、
    何かしらの神を「創造」し、祀ってきました。

    神が人間や世界を「創造」したというより、
    人間が「神々」や「神」を「創造」したのでしょう。


    宇宙には何か計り知れないものがありますし、
    私も無神論というよりは、不可知論者なので、
    自分なりに色々考えてきましたし、
    何か偉大なものへの畏怖の念や信仰心のようなものもあります。


    ご意見、ご回答をいただけますと嬉しいです。

>人間が神、宗教を創りだした理由




それは人の遺伝子の中に組み込まれた情報(DNA)だからではないでしょうか?

人間以外の動物は神とか、死んだらどうなるかの(死後)を考える意識は無いと思います。それは情報が組み込まれていないからです。

人の遺伝子の中には神、死後を思う遺伝子が組み込まれているようです。

人間は神を造る事はできませんが、都合の良い宗教を造る事は可能です。それは神を意識する情報を持っているから
だと私は思います、だから世界の人々は自分に都合の良い宗教をつくり、拝んでいるのです。と思います。

とするなら私たちにその情報を組み込んだ方がおられるのでは、と私は考えています。

人の作った造形物には素晴らしいものがたくさんありますが、設計図の無い物は存在しません。


この世で一番素晴らしい設計図、それは人体の設計図DNAです。設計図が存在する:現実があるなら誰かが作ったのです。

もちろん人が作ったのではありません、人以外の知性を持った方が人のDNAを作ったと考えるのが妥当ではないでしょうか?
参考文献
http://www5c.biglobe.ne.jp/izanami/iihanashi/mur …
       

 俗にゆう糞ボーズですが、これは私の副次的な専門の認知科学の視点からお話しさせていただきます。



>>人間はなぜ、神や悪魔のようなものを創り出したのですか?

 まず、認知心理学者ジャスティン・バレット氏は人間は生まれながらに神のような宗教的概念を持ち合わせているといいます。詳しくは
http://oka-jp.seesaa.net/article/216966709.html
こちらをどうぞ。
 では、それを生み出す人間の機能はどのようなものかについてバレット氏は「行為者の過剰検出」と言うことが神という概念を作り出すために必要な能力の一つ挙げておられます。この「行為者の過剰検出」というのは、私達現生人類は約20万年前のアフリカに出現したそうですが、当時のアフリカには人間の食べ物である「獲物」や、逆に人間を食べてしまう「捕食者」が存在していました。この獲物や捕食者について、私達人間は「居ないのに居る」と感じるように私達は進化しています。「居ないのに居る」と感じるように進化したのは、「獲物はこっちにいそうだ」とか、「捕食者が向かって来ているのではないか」と、「居ないものを居る」と感じるほど敏感な直感を持つものの方が生存する確率が高かったからです。
 例えば真っ暗な山小屋の一軒家で一人で一晩明かさなければならなかったとして、物音や影の動きなどから、何か居ると直観します。これは「行為者の過剰検出」のなせる業です。これが、宗教で言えば、「幽霊」「神」等々の宗教的行為者の概念に繋がるのではないかというのです。
 ただ、そのとき「風の音であった」とか「木の動きであった」とか確かめると、行為者の過剰検出と言う直観は捨てられるはずです。しかし、宗教的概念は行為者の過剰検出と言う直観を、霊や神と言った安定した形で保ち続けています。山小屋に一人でいる人で言えば「こちらからは見えないが、誰かに見られているかもしれない」という思いを安定した形で持ち続けるのと同じです。

 では、「行為者の過剰検出」を安定した形で保ち続ける能力はなにかと言えば、何をもって優れているかという事が議論はさておき良くも悪くも人間が「万物の霊長」と名乗っているのは前頭葉の発達が大きく関わっているようです。この前頭葉の発達は、高次の推論システムの中核をなしています。
 私達の推論は架空のものに関しても、正確に働くことが出来ます。心理学者トム・ウォード氏は被験者に「どのような変な特徴でもでっち上げてよいので、想像上の動物を描いて言葉で説明しなさい」と課題を出しましたが、注目すべきはほとんどの被験者が動物の身体的構造はある原則に従っていることです。全ての絵が左右対称のシンメトリーが維持されていました。十本脚の動物は、右足が五本、左足五本に描かれており、また目がたくさんある動物も正面には目が二つ描かれていました。一見自由奔放な想像であっても、推論としては現実の動物かけ離れてはいない非常に真っ当な推論であることがわかります。
 また宗教的な推論について、バレット氏の別の研究においては、被験者であるキリスト教信者に「迫り来る危険から他の人々を救うために神に祈らなければいけない状況」を想像させました。例えば、外洋を航海中に船が氷山に衝突して今にも沈んでいくとして、この時神に祈るのは「その沈没する船の人たちを助けてほしい」ということですが、神はどのように人々を助けると推論するでしょうか?「船は壊れても、沈まないようにしてくれる」「他の船の計器が狂わせて、沈没した船のほうに進ませる」というような物理的な変化による救い、「乗客が凍りそうな海の中に落ちても耐えられる肉体にしてくれる」生物的な変化による救い、キリスト教の全知全能の神であればどれも出来そうなことですが、被験者はどれも選びませんでした。物理的生物的なことをどうにかしてもらうのではなく、「沈没する人々の心を変えて欲しい」という選択肢をほとんどの人が選んだそうです。この推論も、推論としては非常に真っ当なものと言えます。つまり、宗教的な概念であっても推論としては、現実に存在するものへの推論と差はほとんどないのです。

 このようなことから、「行為者の過剰検出」を安定した形で保つのは、前頭葉の発達によって生み出された高次の「推論システム」ではないかと考えられます。人間が宗教を生み出す根本にあるのは、宗教的なものを「感じ」「推論する」という事にあると考えられます。神のようなものを感じるのに霊感とか神通力のような特別な能力は必要はなく、人間として普通に持っている「行為者の過剰検出」や「推論システム」といった当たり前の能力があれば充分なのです。

 どうも、時間の関係でこんなところで失礼します。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦を。
合掌 南無阿弥陀佛
     

”人間が神、宗教を創りだした理由”


     ↑
不可思議なモノや死に直面したとき、人間は
人間を超えるモノに頼りたくなります。
そういうように造られているのでしょう。
こういう基礎があるところに、次のような
理由が加わって、神や宗教を創りだした
のだと思います。


1,食物連鎖の頂点にある人間に天敵らしい天敵は
 おりません。
 それでとかく傲慢になりがちな人間を謙虚にさせる
 存在として神を創り出したのです。

2,何故、人を殺してはいけないのか。
 これを理論的に立証することは出来ません。
 治安が乱れるから、というのは理論の説明では
 ありません。
 都合が悪いから、というだけに過ぎません。
 しかし、神を持ち出せば話は簡単です。
「神がそう定めたからだ」
 で終わりです。
 かようにして、神、宗教は人間に倫理、道徳を教え
 秩序を維持するに役立つようになります。

3,人間は、死を予想出来る唯一の動物です。
 であるが故に、死を恐れます。
 その死への恐怖を緩和する技術として神、宗教が
 あります。

4,神や宗教にはこういった優れた機能があります。
 アタマの良い人が、こういった宗教に着目して
 金儲けを考えました。
 かくて、宗教は産業化し、今日の隆盛を見るように
 なったのです。

 
 

かつて宗教が哲学であり科学であった時代があった。


世界観そのものだったのだ。
意識が芽生えて以来、身の回りの環境認識は必然的に、
その延長としての「世界の起源」や「生きる意味」、「死ん
だ後」などについて、日常的感覚の敷衍において仮説し、
人力では及ばない天災について祈ったり、死後の霊を
祭ったりしたのだ。
いったん発生した意識は、分からない事を行うのを嫌う。
日常レベルの認識で、現代物理がようやく至りつつある
“究極の原理”など及びもつかず、オールマイティな全知
全能の第一原因(神)に押し付けるのが、唯一の解決策
であったのだ。

そうした原始宗教のアニミズムに対し、キリスト教やイス
ラム教、仏教などが世界宗教として勃興した時期は、
分業化による市場の拡大と、それに応じた都市国家から
国家への組織性の拡大と一致する。
それまでのファミリーの延長的な助け合いとしての原始
共産制から、社会生命性(分業&組織化)の発達に対し、
そうした自己の生の社会的拡張をフォローして自律的に
社会行動を導き得る認識の発達を怠り、自己チューな
意識のまま他律的に社会行動をとらせる“お金や出世と
いった馬車馬の目の前のニンジン”を発達させる方法を
とったのだ。
そうした自己チューな自由競争による歪みは、「お金や
出世」といったアメだけでなく、「法規やモラル」といった
ムチを必要とした。
その結果、儀式宗教的な多神教のアニミズムが、強力な
教義を持つ一神教にとって代わられたのだ。
 

 こんにちは。




 ★ 人間が神、宗教を創りだした理由
 ☆ つまりおそらく

   じんるいはどの民族言語においても 《かみ》という言葉を持つ。
   それは なぜか?

 といった問いに代えてみると答えが出ると考えます。


 すなわち この《かみ》を 経験合理性によって誰もが理解できる内容として説明し得れば済みます。


 こうです。つまり 質問者さんは
 ★ 不可知論者なので、
 ☆ と言っておられますが この《不可知》という概念にしても じつは あいまいなままであると考えられるのです。


  ○ かみ とは何か?――《非知》である。 ~~~~

    経験事象
      可知
       既知
       未知
      不可知(知り得ないと知った)

    非経験の場
      非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ)

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ すなわち 《不可知》なるものは ひとつのナゾですが それでもこれは 経験事象に属します。不可知を神とすれば それは人間がつくった神になります。

 《非知》は 神と言わざるを得ないナゾです。
 

>人間はなぜ、神や悪魔のようなものを創り出したのですか?



思考停止することで安楽を得られるからです。
 

死んだ後の世界において天国と地獄があると仮定し


よい行いをすれば天国へ
悪い行いをすれば地獄に行くと
しておくことで

現世をまっとうに生きる理由づけができるからです
 

必要だとか、理由だとか、創り出した、というようなものではありません。


死というものがあるが故に生まれてきてしまったと言うか、存在するものだという言い方もできます。

>今は様々な分野の研究が進み、医学も日進月歩、月だけでなく、常時、宇宙空間に人間が常駐している時代、
太陽系だけでない、広い宇宙のことも、徐々に分かってきている。
そんな時代でも、信仰心は忘れたくないものですが。

科学というのは、一つの思考形式であって神仏と対立するものではありません。
第一線の科学者は、科学と言う思考方法では解決も理解もできない事柄が無数にあると考えています。
アインシュタインも相対性理論を確率論者から問い詰められて返答に窮した時「神はサイコロをふらない」と友人に書き送っています。
コペルニクスも、天動説に対して、「神はそのような複雑なことは考えない」と言いました。
科学という思考方法はもともと神の摂理をよりよく知るための思考方法として考え出されたものです。
現在は自然の摂理と言い換えているだけです。
欧米の科学者の多くは敬虔なキリスト教徒です。
決して神仏を蔑ろにはしません。
「科学的でないから信じない」というのは、「信じる、信じない」つまり宗教です。
いわば科学教という新興宗教の狂信的信徒だ、と言えます。

ピアノの鍵盤をたたかれた際に、この音は〇〇の周波数の音で、それをミと呼ぶ、しかるに音楽と言うのは周波数の異なる音の組み合わせである。とお考えでしょうか。
人の情感の表現であり、単なる音の集合体ではない、とお考えでしょうか。

音楽は、理由があって存在しているものとお考えでしょうか。
風の音、小川のせせらぎ、小鳥のさえずりなどを自然の音楽と受け取られませんでしょうか。
空気が一定速度で移動する際の振動を三半規管が感知しているだけだとお考えでしょうか。

人間というのは言語だけでものごとを理解してわけではありません。
この曲は素晴らしい曲だということを、曲を聞いたことの無い人に言語だけで説明できますでしょうか。

神仏というのは全く同じ類のものです。
死というものに対する畏怖の情感の表現の一つだ、とでもいう以外に表現の仕方が分かりません。

聖書や神話というのは、人間の情感を集大成して言語として書きあらわしたものです。
仏教経典は如是我聞で始まり、無数の経典があります。
個々の経典を比較すると矛盾だらけになります。
これでも一向に差し支えありません。
場合によっては言語道断、不立文字といって言語による理解を破棄してしまいます。

以上分かったような分からない説明になりました。
本人の学力言語能力の限界です。申し訳ありませんでした。、

蛇足
キリスト教圏やイスラム教圏の人に対して、私は無神論です、いうと私はあなたが信じる神の存在を認めませんという意味にとられますので注意して下さい。
不可知論というのもキリスト教を基盤とする西欧哲学に基づいていますので、時として誤解を受けますので注意して下さい
 

原理的に自分のことだけはわからないということだろうと思います。

自分以外のことは原理的にはわかるものですが、分かろうとしている主体そのものは関心の対象になりえません。これを神としているのだろうと思います。ただし対象化された神は本当の神ではありません。神話が本当のことでないのは。対象化された神が本当の神ではないのと同じことではないでしょうか。みだりに神の名を口にするなとか偶像崇拝するなとか、あるいは西洋の神学者の言うゲハイムニスなども同じことを言っているように思います。また、人間だれでも自分のことだけはわからないというのが人間平等論の根拠になっていると思います。アインシュタインが宇宙の秘密を深く理解していても、自分のことがわからないという意味では一般の人と全く変わらなかったのは、そのよい実例ではないかと思います。
 

人は確率論が苦手で、かつ物事を因果関係で理解するようにできている上に


知的好奇心が存在するから
神が生まれたのだと思います 
 
 

続き→教えて!goo ・・・人間が神、宗教を創りだした理由(2)


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