ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

知恵袋で公開された質問と回答・・・聖書の矛盾点その4. 【聖書主義の終焉】

2015年10月14日 | 好きな歌

http://bit.ly/1LMp5cu

 聖書の矛盾点 mithreamsさん

2012/11/3020:42:34


聖書の矛盾点 その4. 【聖書主義の終焉】

1 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1097217985
 2 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1397267338
 3 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1197466466

聖書=小説に反論できる方、お願いします。

■引用元のミス?
ユダの銀貨30枚で畑が買われると、「エレミヤの預言が成就した」(マタイ27:9)。
ところがエレミヤ書のどこにもそのような記述はない。
 「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を。」
ゼカリヤ書(↑11:13)の引用と思われるが、ユダとは無関係に思われる。

■ラザロの復活
"ラザロの復活"は最も後発の『ヨハネ』福音書にしか登場しない。
この重大な神の子の証拠を3福音書が徹底的に見落とした理由が見当たらず、この話は創作ではないか。

■イエスの逮捕
 『ヨハネ』では11章のラザロ復活がイエス逮捕の契機になる。
3福音書では神殿での暴行が逮捕に繋がる。『ヨハネ』では神殿事件は2章で既に済んでおりストーリーが別。

 「祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」」(ヨハネ11:47-48)


≫ユダの首吊り→落下?
 首吊りは足場が大事。落下できる様な場所の上にどう紐をかけたのか。優に200mは落下できる場所なら何故飛び降りを選択しないのか。

≫家系図
 「ヨセフもマリアもゼルバベルの子孫」と言った時点でゼルバベルの血統に矛盾がある事は認めてしまっている。(聖書は作為・誤謬を含む)
http://www.sevenz.com/sevenZ/religion/familyLineOfJesus.html

 ≫出生物語
ナザレ→ベツレヘムへ移動(ルカ)
ベツレヘムは一時滞在なのにそこを「家」として三賢者が訪ねたり、ヘロデ王が襲う(マタイ)事が可能だろうか? 天使が現れてまでベツレヘム→エジプト逃避行が始まる(マタイ)のに『ルカ』の一家は普通にナザレへ帰っていく。「そこは省略した」では全く調和しない物語に思われる。


 取り合えず言い繕った、では駄目です。
ユダヤ教徒殺害を続けたキリスト教は「旧約は何らイエスを預言していない」と主張するユダヤ教に真摯に応える義務がある。

 謙遜も誠実も愛も投げ捨て矛盾を取り繕う事が“主”への忠誠???


補足
史実と対称の高い架空性が小説の条件
 処刑日まで違うヨハネ福音書は特に創作性が強いと思われます。

 聖書が小説と理解されていたならこれ程の異教徒、ユダヤ人の殺害が起きたでしょうか。無理なこじつけをしてまだ聖書=歴史だと言い張るエホ証の態度はどう思われますか。
≫系図
ゼルバベルの祖父がエコニヤ(マタイ)、ネリ(ルカ)と別々。URL参照
 (片方はマリアの系図だという言い逃れ自体も苦しい)

 

ベストアンサーに選ばれた回答
 


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kokomosky2012さん
 .

2012/12/200:13:36
.

PS
キリスト教徒(特にアホの福音派)の説明を観ての特徴は
好き勝手に更なる尾鰭を創作することでしょうか?
アホの福音派信者が想像する事なんだから、まぁいい加減な
憶測で創作するよね。それが幼稚に過ぎるから聞いてて
笑いすぎてお腹が痛くなってしまう事だよ。
 質問されてる事は、聖書の記事の矛盾であり、聖書の編者による
食い違いなんだから、その矛盾や食い違いの事情を説明することで
 あり、幼稚な言い訳じみた創作話ではない。

 本文
アホの福音派の反応は何時もこういう形にもって行くんだよ。

①腐った論理で引っかき回して、逆攻撃に転じる。
②追求された疑問点には一切まともに答えない。

 自分などはこう言う光景を何百回見せられたか判らない。
これも前にも書いたけど、オツムの弱い福音派信者への
 プロパカンダで、オツムの弱い信者は立派に跳ね返しているかの
様に見えるらしい。
 話が判ってる人が見たら、まだアホの福音派はそんな対応しか
 できないんだと思うだけなんだけどね。

だから幾ら追及しても無駄じゃないかと言ってるんだよ。
ネズミ講や詐欺商法を幾ら追及しても、手を変え品を変え
新たな武器を持ち出して無くならないだろ。

アホの福音派の様な如何様宗教もなくならないよ。

 

質問した人からのコメント

2012/12/5 20:55:01
 

笑う 「マタイもルカも互いを知らず別々に物語を創作したんだよ(系図もばらばらさ)」位の事も言えず、ユダヤの父系社会を無視して盛んに"母系"を持ち出すのも論外。

この紙を手に祈ると恐ろしく独善的で奇妙な精神性を発揮する事は皆さんご理解頂けたのではないだろうか。キリスト教は史上最大の災害。
※下が穴になった場所で首は吊りません(常識的観測)


ベストアンサー以外の回答


  

 

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castella_caritasさん
 .

編集あり2012/12/316:26:32
.

質問者様がユダの首つりについてよく言及されるので、そこを解説しましょう。

 

 「首をつって死んだ。」(マタイ二十七章五節)

 「ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。」(使徒一章十八節)


 >>優に200mは落下できる場所なら何故飛び降りを選択しないのか。

200メートルという数字がどこから出たのかわかりませんが、「何故飛び降りを選択しないのか。」はただの感情論で反論になっていません。マンションの高層階に住んでいる人が首つり自殺をしたら、警察は「何故飛び降りを選択しなかったのか」ということをわざわざ検証するのでしょうか?


これは飛び降り自殺か首つり自殺かという要素は全くありません。確実に言えることは「ユダは首を吊った」ということと「ユダの死体が落ちた」ということ。

まず1つめの考え方は他の回答者が仰るように、ユダは崖の上にある木に縄をくくり付け、首をつったものの、その木の枝が折れたか、縄がちぎれたかして、死体が落下したという考え方。


もう1つは人為的に死体を落とされたという考え方です。

ユダヤ人には汚れたもの、神に反するものを聖なる都エルサレム城内から除くという発想があります。

 「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。」(ルカ四章二十八~三十節)


つまり、首をつった人間の死体をそのままエルサレムに放置しておくなどユダヤ人には耐えがたいことだということです。福音書の他の個所で十字架の死体も早く下ろすようにと言われていました。ですので、イエスが崖から落とされそうになったように、ユダの死体も発見した誰かが人為的に崖に落としたという可能性があります。


このように、この問題を矛盾として挙げるのは厳しいものがある。

 他の事項はすでに回答されておられる他の回答者にお任せしましょう。


 余談

あと、ヨハネ福音書の信頼性に関してですが、

 例えば、ヨハネ5章1~15節にベテスダの池でイエスが病人を癒す奇跡の記述があります。また、そこに5つの回廊が存在したとありますが、長い間このような遺跡は何1つ一切発見されていなかったので、完全に地理的・考古学的正確性を欠いた後代の創作の1つとして取り上げられていましたが、地下およそ12メートルあたりで遺跡が発見され、またちゃんと5つ回廊が確認さました。他には、9章7節のシロアムの池、4章12節のヤコブの井戸、19章13節でイエスがピラトに引き渡された美しの門近くに敷石が存在したと思われる場所などが確認されています。

 聖書が書かれて約2000年と言えますが、聖書を明らかに否定する考古学上の発見は今のところありません。


 偉大な業績を残した著名な学者達の言葉をお借りしましょう。

 「現存する新約聖書と他の古代文献とを比べた場合、新約聖書が実に正確であることを認めざるを得ない。・・・(中略)・・・正確に伝えられ、使用されてきた文章として、新約聖書の純粋さは他の古代文献の追随を許さないものである。」 聖書学者ベンジャミン・ウォーフィールド

「聖書は内容において他のすべての宗教文学を越えている。 メッセージの簡潔性と時間と場所を越えて、人類に訴える普遍性において他の文学書を遥かに越えている。」 考古学者ウィリアム・オルブライト

「理性的な信仰をさまたげうるようなものは何一つ見出されず、個々の神学上の説を誤りと断定するものも、全く発見されなかった。聖書の言語、その民族の生活と慣習、その歴史とその倫理的・宗教的な表象はすべて、考古学上の発見によって数倍も明確にされている」 考古学者ウィリアム・オルブライト

 

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yangmask_yangmaskさん
 
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編集あり2012/12/210:44:16
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■引用元のミス?

http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2010884 の後半参照。つまり、エレミヤ書から始まる一まとまりの書の中にゼカリヤ書も含まれ、当時それを「エレミヤ」と呼んでいた、という事情があるとのこと。

■ラザロの復活

 4福音書とも、すべてイエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城した出来事を記述しています。これは、当時のエルサレムをひっくり返すような大変印象深い出来事でした。多くの人はイエスがメシアとしてまたイスラエルの王として統治し始めるのでは?とさえ考えたでしょう。死人を復活させる奇跡はそれまでにも何度かありました。しかし、このエルサレムへの勝利の入城は極めて特筆すべきことであり、最初の3人の福音書筆者はそこに重点を置いたのでしょう。最も後発のヨハネがラザロの復活を付け足しているのは、その勝利の入城をさらに深く掘り下げた背景情報として提出したととらえてよいでしょう。いずれにしても、ラザロの復活<勝利の入城というのが最初の3人の印象だったのでしょう。

■イエスの逮捕

 上でも述べたように、イエスの逮捕に踏み切ろうと考えたのは、イエスの勝利の入城によります。それは、ユダヤ人の支配者からすれば、クーデターまがいの出来事だったからです。神殿事件というイエスが神殿から商売人を追い出したのは一度だけではなかったでしょう。毎年、祭りの度にそのような商売人を見たら、同じようにしたでしょう。

≫ユダの首吊り→落下?
ユダは崖の上にある木に縄をくくり付け、首をつったものの、その木の枝が折れたか、縄がちぎれたかして、死体が落下したのでしょう。足場は関係ないのでは?

≫家系図
どのように矛盾?? もっと具体的に。

≫出生物語
 子供を産んで、しかも親族のたくさんいる故郷で、いつまでも家畜小屋で生活したということはないでしょう。ただ、出産時には登録手続きで人が混雑し、家畜小屋しかなかった、しかし、しばらくして親切な親族・知人が家か部屋の一部を貸してくれた、イエスが赤子のうちはそこにとどまるつもりでいたが(近くのエルサレムにも行った)、その後、み使いの指示でエジプトに逃げた。それから、帰ってきてナザレに定住し、子供時代はそこで成長した。そういう感じでは?
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それから、真のキリスト教徒は、ユダヤ教徒を含め他の人を殺すようなことをしません。十字軍の遠征などを行なったのは、政治勢力と結びついた偽のキリスト教です。彼らは神とキリストの名をかざして悪行を行なう者です。しかし、イエスは「汝の敵を愛せよ」と言われた方であり、その教えに固く従う真のクリスチャンも少数ながらいます。ですから、非難すべきなのは、聖書とキリストの教えに背いた偽キリスト教徒で、聖書そのものではないと思います。イエスはマタイ13章の小麦と毒麦の例え話で毒麦、つまり偽のクリスチャンが生じることをあらかじめ予告していました。

もし、だれかが、mithreamsさんの本名を使って悪事を働いた場合、mithreamsさんはその責任を負うべきだと思いますか? いいえでは? 同じように、サタンはキリストの名によって人々を誤導し、悪事を働いているとしたら? その場合、偽のキリスト教徒の悪事の責任をイエス・キリストは負うべきですか? 彼らが本当にイエスの教えに従っていたなら、あのような悪事は働き得なかったとは思いませんか? そうです、彼らはキリストの名を(政治的に)利用した偽のキリスト教徒なのです。

それに、ユダヤ教に質問ですが、結局、メシアは現れなかったのですか? ダニエル9章にある70週の預言はどうなった? エルサレムの城壁が再建されてから、つまり総督ネヘミヤの時代から69週後にメシアは現れるはずでは?

さらに、西暦70年にエルサレムの神殿はローマ軍に完全に破壊されました。後に再建されたことは聞いていないのですが。神殿もなく、そこで動物の犠牲も捧げていないのに、どのようにして、正当に神に近づくことができるのでしょうか? 旧約に基づけば、レビの祭司が動物の犠牲を捧げないなら、罪は許されず、そのような罪人は神に近づくことが許されていません。


 補足:

 >処刑日

すでに1で述べました。

 >ユダヤ人の殺害

Wikiの「エホバの証人とホロコースト」の項を参照。今でも、エホバの証人は兵役を拒否します。ゆえに、彼らは異教徒、ユダヤ人殺害には関与していません。先回も述べましたが、それは偽りのクリスチャンの所業です。

 >系図

 詳しくはhttp://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/1200001647にて。

 >聖書=歴史か?

 聖書にある具体的な地名と年代、それに調和して発見されてきた考古学的な発見等は、聖書が単なる神話や作り話ではなく、史実であったことを示しています。古代イスラエル王国があったこと、エルサレムという都市があり、そこに唯一まことの神の神殿があったことなど、それが創作であると、どうしたらいい得ますか?

 

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カテゴリマスター
 

 

rishorusさん
 .

編集あり2012/12/120:08:44
.

それで「小説」になるのなら、古代の歴史書から現代の○○新聞に至るまで、そしてあなたの投稿さえ「小説」になりますが。歴史書の「矛盾」を取り除く方法を、福音書に適用すると、どうなるのか。そもそも、「小説」にも歴史小説・時代小説・私小説・SF などいろいろありますが、あなたの「小説」とは何を意味しているのか。

 「何に対して」反対をしているのかを明確にしないと、相手は何とでも言い逃れできてしまいます。だから、あなたの目的を鑑みれば、最初に「無謬」と「誤謬」は違うぞ、という所から足場を固めろ、と申し上げたのに。言葉が行き過ぎて、収まるべき場所からズレていますので、話が噛み合うはずがありませんやな。まあ、それであなたが満足なら構いませんが。


---
でね、そもそも、あなたは「ユダヤ教」の代表者ですか。何の権威をもって「ユダヤ教に真摯に応える義務がある」などと傲岸不遜に取り繕っているのですか。

 自分の差別感情を覆い隠すのに、第三者を盾にする。そうやって宗教・民族対立を煽る。こういうのが一番、質の悪い扇動者です。はっきり申し上げますが、二度とこのような卑怯な行為をなさらぬよう、お願い申し上げます。


 【追記】
> 聖書が小説と理解されていたならこれ程の異教徒、ユダヤ人の殺害が起きたでしょうか。

 起きなかったんですか? 全く関係のない話を『無理なこじつけ』をしているのは、あなたでしょうに。私だってエホバの証人には良い印象を持ってはいませんが、あなたの差別感情と論理の飛躍はちょっと酷いです。

あなたは「聖書主義が争いを生んだ」と言いたいのでしょうが、基本的には無関係ですよ。むしろあなたのように、さもユダヤ人の代表者のような顔をして、宗教対立を煽る人がいると、争いが生まれるわけで。争いを生むのは、常に人間です。

あなたの正義感は分かりますが、そういうのだけは本当に止めて下さい。重ねてお願いします。

 

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holy_engels2006さん
 .

編集あり2012/11/3023:15:15
.

■引用元のミス?
マタイ27:9に登場する「エレミヤ」は
 シナイ写本、アレクサンドリア写本、バチカン写本1209、シリア語フィロ
 クセヌス・ヘラクレア訳欄外では「ザカリヤ」と訳していて、
シリア語ペシタ訳とシリア語シナイ写本では「エレミヤ」という語を省い
 て訳しているようです。

そして、ゼカリヤ11:12、13にはその「預言」が書かれています。
その時わたしは彼らに言った、「それがあなた方の目に良いとされるなら、
わたしの賃金をわたしに下さい。そうでないなら、やめてください」。
そこで彼らは、わたしの賃金として銀三十枚を支払った。
するとエホバはわたしにこう言われた。「それを宝物庫に投げ入れよ―彼ら
 の見地でわたしが値積もりされたその立派な価を」。そこでわたしはその
銀三十枚を取って、エホバの家の宝物庫に投げ込んだ。

ご存知のとおり、ユダ・イスカリオテが報酬として受け取った銀30枚は結
 果としてユダヤ人たちにより、神殿の宝物庫に投げ入れられましたから、
それも預言されていたことがわかります。さらに、イエスの死は、贖いと
 して神に捧げられたものですので(アブラハムとイサクはこの点で予型と
 なっている)、エホバの神殿の宝物庫に「立派な値」として投げ込まれる、
というのは意味深いことです。

 様々な疑問を持つ事は立派ですが、それが聖書やイエスを弾劾出来る
材料にはなりません。一部に疑問を持って全体を否定しないように
 する方がよいと思います。言われている疑問は、全て自分で解決され
 る方がいいと思います。せっかく、そこまで矛盾を見つけるには相当読み
込んでいると思うので、矛盾点に気付かれているのですから最後まで
勉強してください。

 

 

 


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