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私のメモ帳・・・文部省唱歌

2017年01月07日 | 音楽

 文部省唱歌 - Wikipedia
http://bit.ly/2iMLxbA

下記の情報について崎山言世様から次のようなコメントを頂きました。 

  • 間違いだと思います (崎山言世)2017-01-07 22:29:09

    『尋常小学唱歌』の編集が委嘱されたのは16名というのは間違いだと思います。小学唱歌教科書編纂委員会の12人がそのまま『尋常小学唱歌』を編纂したのです。16名の誤記は1934年から繰り返されてきたものです。後藤による岡野の楽曲の音楽的解析といっても、具体的な根拠に基づくものではなく単なる推論にすぎません。『尋常小学唱歌』の研究最前線は思いのほか先に進んでいます。

 

『尋常小学唱歌』
全6冊 文部省編集 (1911(明治44)年5月~1914(大正3)年6月) 





『尋常小学唱歌』表紙


明治の悼尾を飾るのが『尋常小学唱歌』(全6冊)である. これまで小学校では文部省の検定を通った民間の教科書を使用していた.しかし1902年に,教科書疑獄と呼ばれる教科書採用に関する大規模な贈収賄事件(教科書会社側の贈賄と政界・財界・教育界関係者の収賄)が起こったため,その弊害を防ぐ意味もあって,文部省は教科書を国定にすることにした.
このような動き中で, 文部省はまず国定教科書に準ずるものを作ることにした.
編纂にあたった小学唱歌教科書編纂委員会の委員長は湯原元一、そして委員は

  歌詞関係委員会:吉丸一昌(主任),富尾木知佳,乙骨三郎,高野辰之,武笠 三,
  楽曲関係委員会:島崎赤太郎(主任、歌詞委員会委員を兼任),小山作之助,上 真行,
            岡野貞一,楠美恩三郎,南 能衛

の面々で,1909年6月に第1回の会議が行われた.まず程度を示すものとして,尋常小学読本から韻文を選び曲譜を付け,先行的に1910年7月『尋常小学読本唱歌』(全27曲)として発表した.作曲に当たったのは,小山.楠美,南,上,島崎,岡野の楽曲関係委員で,作曲が完了したのは1910年2月下旬である.

引き続き慎重に歌詞曲譜の選定を進め,先行作成した曲に加えて総計120曲の教材を順次作成した.[『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第二巻』同編集委員会編(音楽の友社、2004年1月)pp. 749-772].最終的な案は合議で決まったため,作詞作曲に個人的なクレディットは与えられていない.
『尋常小学唱歌』の編集が委嘱されたのは、次の16名である.

  作詞委員長:芳賀矢一(1867-1926) 「三才女」「鎌倉」など作詞
   作詞委員:上田万年(1867-1937)
        佐佐木信綱(1872-1963) 「水師營の会見」
        武島又次郎(羽衣)(1872-1967)
        吉丸 一昌(1873-1916)
        高野辰之(1876-1947) 「故郷」「紅葉」「春の小川」
        八波則吉(1876-1953)
        尾上八郎(柴舟)(1876-1957)

  作曲委員長:湯原 元一(1863-1931)
   作曲委員:上 真行(1868-1937)「一月一日」など作曲
        楠美恩三郎(1868-1927)
        田村虎蔵(1873-1943) 「キンタロウ」
        島崎赤太郎(1874-1933) 「田舍の冬」
        岡野貞一(1878-1941) 「春が来た」「日の丸の旗」
        南 能衛(1881-1944) 「村祭」「村の鍛冶屋」
        小山作之助(1887-1927) 

初め外国曲でもかまわないことになっていたが,最終的には全て日本人の手になったようである.ここに至って,明治中期に音楽教育を立ち上げた伊沢修二の目標

  一 東西二洋の音楽を折衷シテ新曲ヲ作ル事,
  一 将来国楽ヲ興スベキ人物ヲ養成スル事

がやっと達成されたと言えよう.
中には,「日の丸の旗」「鳩」「かたつむり」などに始まり「春が来た」春の小川」「故郷」「朧月夜」など,今でも歌われている歌がある.
この教科書が使われた期間は1911年4月から新訂版が用意される1932年3月までの21年間である.

その後も改訂はあったが,国定の制度は太平洋戦争敗戦直後まで30年以上にわたって続く.これらのシリーズは『文部省唱歌』と総称されている.

国定の唱歌教材のため,唱歌の偏重で和声の感覚がつちかわれなかったとか「レレミレド」というマンネリ化した終止形で音楽芸術の進歩を妨げた,などの批判があるし,外国の曲を全て排除してしまったことも残念なことであった.

しかし,明治中期に西洋音楽教育を導入し,ゼロからスタートした日本人が,それなりに日本の伝統も生かしながら,消化吸収した結果の到達点という意味で歴史的な意味を持っていると言えよう.その結果得られた何よりも重要なことは,国民の誰もが一緒になって歌うことができる愛唱歌が誕生したということではないだろうか.

インターネットで歌詞とか音源は多数見つかつが,元の形の旧仮名遣いの歌詞と楽譜のまとまったものは案外見つからない.屋上屋を重なる感はあるが,全曲を元の形のまま載せた.また,馴染みが薄くなった故事を題材にしたものも多いので,注を加えた.

[2011. 5. 22 付記] 最近,後藤による岡野の楽曲の音楽的特徴が解析が進められ,いくつかの楽曲が岡野の作品と推定された.[Cf. 後藤丹,「音楽」8, pp. 49-66 (2010. 11. 30)]:『岡野貞一の旋律構造―作品特定の手掛かりとして―』] 書誌的な手掛かりが乏しい中,きわめてユニークな研究方法と言えよう.

その1 第1学年用~第3学年用
http://bit.ly/2j0Iaf7 


その2 第4学年用~第6学年用

私の好きな尋常小学唱歌
http://bit.ly/2hT80ox

 

明治の唱歌
http://bit.ly/2i2Bb6G

 

♪ 伊沢修二の『小学唱歌』
   その1 第一巻~第二巻
   その2 巻之三~巻之六

滝廉太郎の合唱組曲『四季』

『新撰 国民唱歌』

我国初の女学生用教科書『女学唱歌』

言文一致歌詞の『幼年唱歌』

『教科統合 少年唱歌』

伴奏付きの『幼稚園唱歌』

不思議な幼稚唱歌集

『おらしよ』または隠れ切支丹の伝えた音楽

洋楽事始

オペラと明治の唱歌

『荒城の月』が聖歌になった

『私家版 鈴木米次郎』 (改訂版)

♪ 『明治唱歌』
  その1 第一集~第三集
  その2 第四集~第六集

宮内省雅楽部の作った『保育唱歌』

日本初の官製『幼稚園唱歌集』

日本初の『小学唱歌集』

『祝日大祭日唱歌』

♪ 東京音楽学校編纂の
  『中等唱歌集』(1889年)
  『中学唱歌』(1901年)
  『中等唱歌』(1909年)

♪ 『尋常小学唱歌』
  その1 第1学年用~第3学年用
  その2 第4学年用~第6学年用

♪ 文部省編集の
  『新訂 高等小学唱歌 伴奏付』
  第一学年用
  第二学年用
  第三学年用

 


2 コメント

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間違いだと思います (崎山言世)
2017-01-07 22:29:09
『尋常小学唱歌』の編集が委嘱されたのは16名というのは間違いだと思います。小学唱歌教科書編纂委員会の12人がそのまま『尋常小学唱歌』を編纂したのです。16名の誤記は1934年から繰り返されてきたものです。後藤による岡野の楽曲の音楽的解析といっても、具体的な根拠に基づくものではなく単なる推論にすぎません。『尋常小学唱歌』の研究最前線は思いのほか先に進んでいます。
返信する
崎山言世様 (平哲也)
2017-01-12 19:38:03
崎山言世様
貴重なコメント有難うございます。
早速、このページの本文でご紹介させて頂きましたのでご確認お願い致します。
今後ともよろしくお願いいたします。
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