ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

旧・日本の情報収集組織「東機関(とうきかん)」ウィキペディア

2016年02月07日 | 好きな歌

東機関(とうきかん)ウィキペディア

東機関

 

東機関(TO機関、とうきかん)とは、大東亜戦争時、アメリカの戦争遂行能力や軍事作戦、国内世論等の情報収集を目的として大日本帝国(当時)外務省がスペインにて創設した情報収集組織である。『東』の命名の由来は、「情報を盗みとる」の『盗』からきているといわれる。TO(諜報)機関とも。 

概要

1941年12月8日の真珠湾攻撃ののち、アメリカやカナダの日本の在外公館を次々と閉鎖させられたことにより情報収集に著しい支障をきたした日本外務省は、親枢軸的な中立国スペインを拠点にアメリカの情報を収集することを構想した。同年12月末の「東機関」創設には、当時の須磨弥吉郎駐スペイン公使、三浦文夫一等書記官らが深く関わったとされ、その組織はユダヤ系スペイン人アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコを中心に十数名によって構成されていた。ただし、末端の諜報員までを含めると、その数は数倍になるともいわれるが、正確な人数は把握されていない。

開戦の約半年後には、ワシントンD.C.ニューヨークニューオリンズロサンゼルスサンフランシスコサンディエゴといったアメリカの主要都市にスパイ網を構築し、収集した情報をアメリカ国内からメキシコ経由でスペインへ送り、それをマドリッドの公使館より東京ベルリンローマへと打電するというルートが確立された。

アメリカによる1942年夏以降の南太平洋での反攻作戦の実施や、1943年夏以降の作戦の成功、原爆開発計画(マンハッタン計画)など、貴重な軍事情報を収集する成果をあげる。中には教会の神父に化け兵士の懺悔から軍事情報を聞き出すという離れ業を行うスパイもいた。しかし日本側はもたらされた情報を全く活用しなかった。

アメリカは暗号解読によってマドリッドからの「東機関」による情報をその後把握するようになった。その後1944年半ば、アメリカによってその実態が把握されたことで、「東機関」は壊滅に追い込まれた。

1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」が放映され広く知られるようになった。

関連項目

同名で登場。戦局に十分貢献している。
「"E"工作」というタイトルで同機関をモデルとしたエピソードを掲載。

私は日本のスパイだった・・・秘密諜報員ベラスコの証言
声の出演 : 永井一郎 


 ベラスコの告白 作成 1998.1

ベラスコの告白 第1章



親日家であり、またヒトラーから厚い信頼を
得ていた大物スパイ・ベラスコ
(ユダヤ系スペイン人)

彼は「ナチス」の実態について驚くべき証言を残している
 

目次

第1章
はじめに
(現在いるページです)
第2章
20世紀情報戦争の舞台裏
第3章
ヒトラーは死ななかった
第4章
ベルリン脱出と
ナチス地下組織の真相
第5章
2つの世界大戦は
ユダヤ内部抗争が原因
第6章
和平は戦争の
一時的中断でしかない
第7章
広島原爆はナチス製だった
おまけ
マルチン・ボルマンの謎
第2章

 ──はじめに── 

●1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」が放送されたので、ベラスコの名前を知っている日本人は多いだろう。

この番組は「昭和57年度芸術祭大賞」「第15回テレビ大賞 優秀番組賞」「第22回日本テレビ技術賞」を受賞し、

現在は「NHK特集名作100選」に選ばれている。 

 
「NHK特集名作100選」に選ばれ、ビデオ化されたベラスコの特集 

●第二次世界大戦中、一流のスパイとして活躍したべラスコは、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であった。
本名は、アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコである。


●大戦中、スペインは中立国だったので、連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍していたが、ベラスコは「TO諜報機関」という対英米スパイ機関を創設。

日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎に、英米情報を提供していたのである。組織の資金は日本公使館から送られていた。

(スペインのフランコ政権は中立政策を取っていたが、ドイツ、日本には友好的だった)。

 


スペインのフランシスコ・フランコ将軍

1939年8月に「ファランヘ党」の党首・国家主席に就任、
一党独裁体制を敷く。第二次世界大戦ではヒトラーの
再三にわたる参戦要請を退けて「中立」を守り、
多くのユダヤ人をかくまった。戦後は
唯一のファッショ国家の終身主席
として天寿を全うした。

 

「TO諜報機関」の組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーしていた。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の情報員を配して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配したという。

 

 

 

●ベラスコは完全な職業スパイで、ドイツの諜報機関のためにも働き、ヒトラーから厚い信頼を得ていた。そういうこともあって、ベラスコはナチスの秘密や第二次世界大戦の真相(舞台裏)、そして世界権力の実態について知り尽くしていたと言われている。

ベラスコは1945年4月までドイツにいたが、ベルリンにソ連軍が侵入する直前にミュンヘンに脱出、リヒテンシュタイン経由でスイスに逃げた。広島、長崎への原爆投下と日本の敗戦はスイスで知ったという。


●戦後になってスペインに舞い戻ったベラスコは、「スペイン陸軍省情報部」の特別顧問に迎えられ、優遇されている。ドイツ側のベラスコに対する対応も同様で、元ナチスの大幹部たちはベラスコに南米逃亡の手助けを委ねている。

(残念ながら、ベラスコは数年前にスペインで亡くなっている)


●以下(次章から)のテキストは、高橋五郎氏がベラスコを直接取材してまとめた「ベラスコ語録」(インタビュー)から、興味深い部分を抜粋したものです。(読みやすくするため、かなり文章を組みかえています)。興味のある人は高橋五郎氏の著書『超スパイ ベラスコ──今世紀最大の“生証人”が歴史の常識を覆す』を読んで下さい。なお、高橋五郎氏以外の別ルートからのベラスコ情報も加味してあります。予めご了承下さい。 

●注意 :

いちおう念のために書いておきますが、
当館は、ベラスコがどこまで真実を語っているのか明確な判断が
下せない状態です。特に「広島原爆はナチス製だった」という話は、
にわかには信じがたい話です。賛否両論大きく分かれるでしょう。
「ベラスコの告白」の内容の判断は各自にまかせます。
あくまでも“参考”程度にご覧になってください。
 

 

第2章

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