Dear Rithy

リティは
みんなをお空から見守っています♪

母のこと

2011-11-15 21:12:26 | ペット

Air

母が11月10日、午前2時30分に永眠しました。79才の生涯でした。夜中の3時30分に母の訃報を受けて、パソコンをあけて、飛行機の空席情報を確認。姉も私と一緒に行けるかどうか、確認したかったが、姉は、夜中の携帯に気がつかず寝ていた。やっと朝の6時に電話がつながり、飛行機の予約ができた。15時発の羽田発 すぐにリティのホテルの手配、こういう時、誰に連絡するべきなのか?お茶のお稽日だったので、キャンセルのメールを入れる。身支度をして、私は、12時過ぎに家を出た。姉は、12時には、羽田に着いていた。いくこ、来るのが遅いよ!

って言われた。だって、国際線じゃあるまいし、3時間前についてどうするの?姉は、手荷物を4つも持っていた。服は、既に喪服。靴下がハートのピンク色。慌てて家を飛び出してきた。っていう様子がわかった。17時に鹿児島空港に到着。義理の姉が空港に出迎えてくれていた。えいじ兄さんが、大阪での仕事を終えて、帰るところに私たちも合流できた。兄は、鹿児島空港に18時到着だったので、飲んで待っていました。車で、40分 母の元へかけつけた・・・  朝、3時半に連絡をもらってから、会えたのが夜の19時過ぎだった

その日は、仮通夜ということで、お坊さんに来ていただき、枕経が終って帰るところだった

母は、お布団の上に寝ていて冷たくなっていた・・・

こんなに早くお別れが来るとは・・・

私、11月18日~22日まで、母に会いに帰るはずだった

待ってくれると信じてたのに・・・  まさか!

11月3日に母の友人である雅子さんが92才で亡くなる

11月3日、母は、高熱39℃、点滴を始めて病院に入院

11月4日  深夜1時に食べ物を誤飲して肺炎をおこす。呼吸が乱れ危なかった様子

11月4日 母が危ないことを友人の博子ちゃんに相談すると、法華経 全巻あげるくらいの気持ちで、頑張れ!とアドバイスを受ける。いくちゃん、今、やらないでいつやるの? 全巻か・・・

5~6時間以上かかるひと仕事なのです 頑張ってみようかな? 11月4日達成!!

11月5日 この日も6時間以上かけて、頑張ってみた

11月6日  さすがに疲れた~~ 昼間にプールに行きリラックス

11月7日  あ~~なんだか、今日も疲れてるな~~ 家事に専念

11月8日 熱も下がり、落ち着いてるとの報告を受けて安心した

11月10日  訃報の知らせを受ける

しまった~~!!母は、人一倍の根性の持ち主。肺炎にかかったくらいで、死ぬような人ではない。どうして、こんなことになってしまったのか?私は、数日間、考え続けた

おそらく3日に亡くなった友人の雅子さんが、母にもう、なみちゃん、よかよ!14年も寝たきりで辛かろう。もう、よかよ。あなたは、よく頑張ったと思う。思い残すことがあるのはわかるけど、あとは、子どもたちがやってくれるよ。一緒に行こう!母は、そう雅子さんに説得され、もう、いいのかな?確かに自分が頑張るより、逝った方が、子供たちが必然的に私に向けて手を合わせてくれるようになるね・・・

子供たちのことを信じよう

と母は、生きることを自らやめた(あくまでも私の想像ですが

これでよかったのだと思う。母も1人じゃないし、雅子さんがどこかで待ってくれて、一緒に逝ったのだから・・・ 母は、私たち5人の子供たちに法華経行者になってほしいという願いを持っていた。 その思いを託されて、しんどい 世界一 根性のない私だよ

みんな知ってると思うけど・・・ 弱い人間なのです

葬儀の時に浄土真宗のお坊さんでお経をあげてくれたのは、同級生のだいちくんだった。彼もきっと、ただ、おとうさんがお坊さんだから、実家を継がなければいけないということで、やっているのだろうと思う。親というものは、自分の思いや希望を子供に置いていくものなのかな・・・

亡くなってから分かったことがある

親が言うことは、正しかった

(葬儀の時に自分は、なみさんと出会ったことで幸せになれたとある方に言われた)

私もこの親だったおかげで幸せになれたんだと思います

親に感謝です!  いつも反発してて申し訳けなかった・・・

素直な娘じゃなくて、ゴメンなさい

やっとおとうさんのところにいけるし、これでよかったのだと思います

葬儀では、弔電、お香典、お花など、ありがとうございました

たくさんの方に見送っていただき、母も幸せだったと思います

母からおしえてもらったことは

すべて受入れる心をもつ

許す心をもつ

日々、愚痴や不平不満でいっぱいにならないようにする

感謝の心を忘れないこと

 母をお手本に生きていきたいとおもいます