キリスト教の繁栄経緯
【313】 キリスト教公認
【392】 キリスト教国教化 --- 布教Byローマ教皇 グレゴリウス1世は英をカトリック化
【529】 布教By修道院:ベネディクトゥス修道会@中部伊-カッシーノ
⇒教会とは違ってキリスト教を研究するために都会から離れて集団生活をする
⇒10世紀には仏ブルゴーニュ地方でクリュニー派修道院のネットワークが広がる
⇒修道院からロマネスク様式(古代ローマ方式)が生まれる
⇒木造天井から半円アーチ石造 火災防止
⇒壁分厚い 窓小さい 内部は暗い
⇒複合半円アーチ(交差穹窿)により窓大---明るくできる
⇒10-12世紀に巡礼流行
⇒聖遺物侵攻----奇跡
⇒教会、修道院の巨大化
⇒12-16世紀にゴシック様式(都市で開発)
⇒半円アーチを尖らせる発明(尖頭アーチ)
⇒リブ補強----後期ゴシック様式では装飾
⇒飛び梁 ----フライングバットレス
⇒幅を変えずに高くする
⇒多くの窓可能:ステンドグラス
⇒大聖堂の時代 教会のトップは司祭 多くの司祭を管轄するのが司教
⇒教会規模競争
【726】 聖像禁止令 : 西ローマ教皇孤立---ゲルマン民族のカール/ピピン
【800】 カール戴冠 : 政治&宗教
ローマ皇帝の地位は中イタリアへ---やがて中伊断絶
【955】 東伊にマジャール人(ハンガリー騎馬民族)が侵攻 ---- オットー1世が撃退
【962】 オットー戴冠 --- 以降、キリスト教布教拡大---ローマ教皇の権力大
一方でキリスト教腐敗 --- 修道会立直運動:ドミニコ、フランチェスコ、シトー修道院
【1077】 カノッサの屈辱-ローマ教皇権限大@カノッサ城(城主:マチルダ)
┣神聖ローマ皇帝東西分裂
┣ゲルマン民族カール戴冠@800
┣フランク王国分裂
┣東フランク王国カロリング家断絶
┣オットー1世が騎馬民族排除・戴冠---神聖ローマ皇帝成立@962
┣100年経過・・・
┣叙任権争奪戦:司祭を任命する権利---公文書はラテン語 司祭は重用される:
┃ ┣教会--1/10税特権 情報特権
┃ ┣ローマ教皇か?:グレゴリウス7世
┃ ┗国王か? :ハインリッヒ4世
┣ハインリッヒ3世死去@1056---ハインリッヒ4世は6歳でドイツ王
┃ ┣ケルン大聖堂大司教アンノ2世が国王誘拐軟禁--数年
┃ ┣諸侯が強く、ハインリッヒ4世自由無し
┃ ┗ザクセン王と戦争:ハインリッヒ4世劣勢
┣グレゴリウス7世就任@1073---教会改革
┃ ┣叙任権の代わりにザクセン戦争集結約束
┃ ┗教皇に逆らうわけにいかないザクセン諸侯
┣ハインリッヒ4世---国内教会の司教を息のかかった者を任命
┃ ┣グレゴリウス7世に歯向かう
┃ ┣グレゴリウス7世の弱点---トスカーナ伯マティルデとの関係
┃ ┗グレゴリウス7世廃位宣言
┣グレゴリウス7世---ハインリッヒ4世を破門→キリスト教徒でなくなる位宣言
┃ ┣ドイツ諸侯に根回し
┃ ┗諸侯はアウクスブルクで会議:国王追放議決
┣ハインリッヒ4世---グレゴリウス7世に使いを送る--却下
┃ ┣軍隊とともにローマへ
┃ ┣カノッサ城へ@1077-1月
┃ ┗教皇に会うため城外で3日懺悔
┣グレゴリウス7世---身を守るためにカノッサ城へ:愛人マティルダ1046-1115の居城
┃ ┗破門を解いた ┗兄はハインリッヒ3世に殺された
┃ バイエルン公ヴェルフ2世1072-1120と結婚
┣ハインリッヒ4世がドイツに戻ると・・・
┃ ┣シュバーベン公ルドルフが王立
┃ ┣両者闘争---ルドルフ戦死@1079
┃ ┣対立教皇宣言:クレメンス3世
┃ ┣グレゴリウス7世から二回目の破門@1081
┃ ┣ローマ皇帝になりたくてクレメンス3世とローマへ@1084
┃ ┣グレゴリウス7世はヴァイキング・グイスガルドに応援要請するがローマ脱出
┃ ┗グレゴリウス7世憤死@パレルモ
┣ハインリッヒ4世がマティルデを包囲するが敗退---
┃ ┣妻&長男コンラートが反乱
┃ ┣コンラートを追放し次男を後継
┗ ┗教皇パスカリス2世がハインリッヒ4世を破門--3回目---死去@1106
ローマ教皇権威最大(諸侯)◎ VS ✖ドイツ皇帝
グレゴリウス7世 ハインリッヒ4世
一気に全土をカトリックに!!という流れが起きる ⇒ 十字軍派遣に繋がる
【1080年頃】 西ヨーロッパではノルマン侵略やフランク王国の分裂騒動が落ち着き、農業生産量がアップ、人口も増加しつつあった。
【1095年】 クレルモン公会議
┣この頃聖地エルサレムがイスラム勢力(トルコ・セルジューク朝)に占領され
┣東ローマのビザンツ帝国に助けを求めてきた
┣アレクシオス1世1048-1118は神聖ローマ帝国に兵を要求
┣グレゴリウス7世1020-1085:東ローマからの要請に応じるが、民衆立ち上がらず
┣当時のローマ教皇ウルバヌス2世1042-1099はレコンキスタ演説
┃ 聖地エルサレム奪還宣言+参加教徒は完全免罪
┗クレルモン教会にて行い十字軍の派遣を呼び掛けた
┃
┗貧民十字軍Byピエール?-1115:壊滅
【1096年】 十字軍派遣始まる
【第1回 1096】 十字軍勝利 異教徒は殺戮
┃
┣当時の神聖ローマ皇帝はハインリッヒ4世 :カノッサの屈辱でローマ教皇の呼びかけには答えず
┣フランス国王はフィリップ1世 :ローマ教皇から破門されていたので参加せず
┣仏独の有力諸侯が参加
┣南仏トゥールーズ伯レイモン :レコンキスタ経験
┣南伊ターラント公ボエモン :ヴァイキング--ロベルト・イル・グイスガルドの息子
┣仏ロートリンゲン公ゴドフロワ:ハインリッヒ4世のローマ進軍メンバ
┣ニケーア集合突破:兵站概念ないので現地略奪調達→皆殺し
┣アンティオキア(五本山)攻略 ⇔ ヤギ・シヤーン処刑 →アンティオキア首領にボエモン
┣エルサレム攻略 ---聖地奪還→残虐の極み
┗エルサレム王国建設---ゴドフロワが聖墳墓協会守護者第一号
【第2回 1149】 十字軍敗退
┃
┣ヨハネ騎設立@1070--- 巡礼・医療団体が祖
┃ マルタ島に移動 : マルタ騎士団ともいう
┃ 騎士・バレッタがオスマンの侵攻を防御
┣テンプル騎士団創設 --- 今の銀行の役割 ユダヤ人との連携(投資)@1119
┣エデッサ伯国がイスラムの侵攻受ける:イスラム軍屈強
┣レコンキスタ最中@イベリア半島
┣①ドイツ王コンラート3世 :神聖ローマ皇帝になれなかった
┣②シチリア王ルッジェーロ2世:ヴァイキング---両シチリア国王
┗ ①②対立
1430 金羊毛騎士団 --- フィリップ3世(ブルゴーニュ公国善良公1396-1467)創設
ハプスブルグ家が引き継ぐ
金羊毛:アパレルのブルックスブラザーズのマーク
ブルゴーニュのカデレン書体
名門貴族の国際的親睦団体---日本の明治、大正、昭和、今上天皇も団員
ブルゴーニュ公国宮廷画家:ピエール・クスタン --- 貴族紋章作成@騎士団総会
マルタ騎士団
【第3回 1174】 十字軍敗退 異教徒は啓典の民
┃
┣ローマ教皇エウゲニウス3世、ルイ7世出動 ダマスカス攻撃失敗@1149
┣アイユーブ朝(サラディン王)成立@1169
┃ サラディン1137-1193(サラーフ・アディーン アイユーブ朝創始 スンナ派)
┃ シリア・エジプト統一 テンプル騎士団を撃破
┃1187 エルサレム王国攻撃@1187
┃ 5月 テンプル騎士団、ヨハネ騎士団を殲滅@クレッソン泉の戦い
┃ 7月 十字軍主力を壊滅@ヒッティーンの戦い
┃ 10月 エルサレム奪還
┃ サラディン城@シリア VS クラック・デ・シュバリエ城@シリア
┃ サラディンは何万人もの十字軍捕虜を解放
┃ エルサレムの土地は我々のものであるが、納税すればキリスト教徒の巡礼は許す:ズインミー
┣1189 十字軍、、 VS サラディン軍
┃ ┣神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世:赤髭王バルバロッサ ┓---道中で溺死
┃ ┣リチャード1世 :ライオンハート ┣ ヨーロッパ覇権争いの3人
┃ ┗仏王フィリップ2世 :尊厳王 ┛---仮病で帰国
┃
┣十字軍はアッコン奪還するがフィリップ2世帰国
┃ フィリップ2世はリチャード1世の弟ジョン(最も不人気)に吹き込んで英国内を混乱
┃
┣1191 ヤッファ港が焦土となるByサラディン軍
┣1192 ベイト・ヌバ廃墟街
┣ リチャード1世は休戦条約結んで早々に帰国(ジョン問題)
┃ 十字軍が遠征途中のキプロス島で略奪(キプロス島問題)
┃
┣1192/7 ジョンの謀反@英国により講話&帰国(エルサレム奪還はできなかったが巡礼は許された)
┗1193 サラディン病死@ダマスカス
【第4回 1202】 十字軍敗退
┃ ローマ教皇イノケンティウス3世が声をあげる(権勢 英国王ジョン、仏王フィリップ2世、独国王オットー4世を破門)
┃ 海路にて進軍提案
┃ 目指すのはカイロ:ベネツィアに集結
┃【十字軍の目的逸脱】
┃ 西地中海の商業圏を持つヴェネチアが十字軍を唆す
┃ ┣ブロア伯ルイ
┃ ┣ボードゥアン9世 :ラテン帝国王(約60年)
┃ ┗エンリコ
┃
┃ 東地中海の商業圏を持つギリシャ正教派・コンスタンティノープルを陥落 → ラテン帝国建設
┃ ┗東ローマ帝国の首都
┃ ローマ教皇イノケンティウス3世は東西ローマが統一として祝福
┗ 東ローマ帝国は壊滅的になったが、以降1453年迄続く
【第5回 1218】 エジプト・アイーヴ軍に敗退 : 図には記載なし
【第6回 1228】 勝利 : 図では第5回
フリードリッヒ2世:無血十字軍 --- イスラム語堪能・交渉成功
グレゴリウス9世によって破門される
【第7回 1248】 敗退 : 図では第6回
ルイ9世 VS バイバルス@マンスールの戦い ルイ9世が捕虜となる
【第8回 1270】 敗退 : 図では第7回
チュニジアを攻撃・敗退 ルイ9世病死
バイバルスは十字軍を徹底破壊 エルサレム奪還 ヨハネ騎士団2000人死亡
アントオキア公国滅亡 キリスト教徒は奴隷となる
【1291年】 ローマ教皇権限少 敗退
┣イスラエル・アッコンの陥落にて200年に及ぶ戦いは終結
┣ほとんど成果はあがらなかった。
┣東ローマ帝国壊滅によりイスラム勢力拡大
┣イスラムはハンガリー、オーストリア領まで侵攻
┣ウルバヌス教皇の宣言(神の力あり)は嘘だった・・・
┣これによりローマ教皇の権威は失墜し、諸侯は没落する。
┃
┣一方で十字軍遠征による交易で商業が発展
┣ハンザ同盟@ヨーロッパ商業圏
┣ロンバルディア同盟@地中海商業圏
┣シャンパーニュ地方の都市化
┣マウクスブルグ@南ドイツ商業圏
┣コミューン運動:中世都市--貨幣経済
┗商人が力を持つ :商人ギルド(市参事会)>職人ギルド(手工業者)
ローマ教皇の衰退
【1303 アナーニ事件】
┃ 聖職者課税問題でローマ教皇が憤死
┃ フランス国王フィリップ4世1268-1314〇 VS ✖ローマ教皇ボニファティウス8世1235-1305
┃ 仏王:教会に課税---フランドル地方を巡って英と戦争で財政難 三部会開催(僧、貴族、市民)
┃ 教皇:聖年祭@1300---お布施 ウナムサンクタム宣言(対仏王)
┃ ローマ教皇の権威が低下したことを表す代表的な事件
┃ ローマ教皇はフィリップ4世を破門するが、フィリップ4世はこれを無視
┃ フィリップ4世の側近・ギヨーム(両親火刑)とシアッラ・コロンナがローマ侵攻@アナーニ市
┃ ローマ教皇は3日間監禁・・・ローマ軍に救済されたが・・・一月後に憤死
┃ 前教皇ケレスティヌス5世1210-1296---ノイローゼで5か月で生前退位(初)
┃ 【ボニファティウス8世の素顔】
┃ ノイローゼの原因はボニファティウス8世
┃ ボニファティウス8世はキリスト教教義無視
┃ 伊名門貴族コロンナ家が大批判の後、ケレスティヌス5世殺害
┃ 伊名門貴族コロンナ家は財産没収--仏亡命
┃ ダンテ・神曲:ボニファティウス8世を地獄に落としている
┃
【1309 アヴィニオン捕囚:エグザイル】~1377迄続く
┃ 次の教皇選挙(コンクラーヴェ)でヴェネディクトゥス11世1240-1304毒殺?
┃ 教皇不在1年間
┃ 次の教皇は仏ボルドー大司教クレメンス5世1264-1314(当時は伊人が常:フィリップ4世根回し)
┃ フランス国王は教皇庁を南フランスアヴィニオンに移す
┃ 1309から70年間に渡ってフランスは教皇を干渉
┃ アヴィニオン城はフランス革命時に略奪発生
┃ これによりローマ教会は分裂し、教会への批判が高
┃ 独ハインリッヒ7世1273-1313がローマ侵攻
┃ クレメンス5世仏にとどまる
┃ ヴィエンヌ公会議(ローマカトリック全体会議)@仏リオン近傍
┃ 教会側を批判した者を異端者扱い (テンプル騎士団解散:財産没収)
┃ 団長ジャック・モレー1244-1314火刑@シテ島 ┗十字軍国家と巡礼者保護
┃
┃
【1378 協会大分裂:大シスマ】 ~1417迄続く
┃ アヴィニオンの教皇グレゴリス11世1329-1378がローマに脱走By100年戦争の戦火
┃ 14Cには国王(フランス国王フィリップ4世)の権限が大だったが、仏内では100年戦争勃発:1339-1453
┃ 新ローマ教皇はウルバヌス6世1318-1389@ローマ教皇庁
┃ アヴィニオンにも教皇クレメンス7世
┃【問題解決のつもりが恐慌3人】
┃ ピサ教会会議---アレクサンデル5世1339-1410
┃ 英の侵攻により仏弱体
┃ これにより教皇はドイツの後押しもあってローマへ逃げ帰った
┃
┃
【1414 コンスタンツ公会議】 ~1418
┃ 神聖ローマ皇帝ジギスムント1368-1437 ---教皇1本化
┃ マルティヌス5世1368-1417擁立
┃ 教皇庁はローマにもどる
┃ 仏は脱ローマ化@シャルル7世
┃ 1438--ブルジュの国事詔書Byシャルル7世---ガリカ二スム
┃ 以降教皇の権力急上昇:ルネッサンス
┃
【1517 宗教改革 Byルター】
┗ ローマ教皇の復権方法に物申す
ジャック・ド・モレー1244-1314は第23代テンプル騎士団総長は、カペー朝・フィリップ4世により異端審問にかけられて火刑。何故かフィリップ4世と時のローマ教皇クレメンス5世も1314年に急死。テンプル騎士団は旅の巡礼者の財をあずかる詰所(銀行のようなもの)を各所に設置した。これによって巡礼者も助かるし騎士団も多くの富を得るようになる。当時財政難に困っていたフランス王族・フィリップ4世も騎士団の顧客であった。絶対王政を目指すフィリップ4世は返済するどころか、借りる一方。やがて債務帳消しを目論んだフィリップ4世は、テンプル騎士団に対して謀反の罪などを並べ立てて、総長および団員15000人を拘束逮捕@1307-10-13-金曜日。このときに使われたのがタンプル塔。逮捕されたものは全員火刑に処されたという。この時にジャックが発したのは「誰が悪いのかは神は知っている。フィリップの家系はまもなく途絶えるであろう」と。かくしてフィリップ4世は1314年に病死。1328年にはフィリップの家系は全員死んでカペー朝は断絶する。
【魔女狩りの多くは16世紀末】 実は最も魔女狩りが多かったのは1580年から1620年頃で、教会ではなくて市民が市民を裁くものが多く(魔女裁判)、女性ばかりではなく男性や子供にも及んでいる。しかも裁判で裁かれているだけに過酷な拷問による自白が必要であった背景も見逃せない。自分の気に入らない人を陥れるために魔女に仕立てた例も多いという。ヨーロッパは小氷河期、30年戦争などで鬱積が溜まっていたというのもある。魔女の対象となったのは金持ち、美人、有識者、権力者などというから妬みにほかならないが、一番多いのは未亡人、孤児、障碍者など復習される恐れの無い人だという。これは現在の弱者に対するいじめに酷似している。
13世紀 この頃にケルン(ドイツの西、ベルギーに近いライン川沿いの交易都市)に建てられたケルン大聖堂(ローマカトリックの教会)は完成までに600年(なお、初代は4世紀で、16世紀の宗教改革の時は財政難で建設中断)、ゴシック様式の建造物では世界最大。第二次世界大戦では被弾したが修復された。
1419-1435 ウイクリフやヤン・フスはキリスト教の改革をすべく神聖ローマ帝国とたたかう(フス戦争)
14世紀 一方で交易は発展する①ヨーロッパ商業圏、特にフランドル地方は毛織物が発達。ハンザ同盟がブレーメン(ブレーメンの音楽隊--ロバ、犬、猫、鶏:グリム童話)、ハンブルグ、リューベックといった都市で結ばれた。②地中海商業圏では香辛料が東方貿易で盛んとなり、ロンバルディア同盟が結ばれる。③またシャンパーニュ地方は都市化し南ドイツ商業圏も発展する。
14世紀-16世紀 これら交易が拡大するとともにルネサンス文化が広がる