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出雲王朝36-素戔嗚命と卑弥呼

2017年07月27日 | 記紀創世紀

 二世紀の初頭に出雲に生まれた素戔嗚命は出雲最大の豪族・八岐大蛇を倒して出雲を統一。その勢いで九州に進出し支配下に治める。素戔嗚命は日向の卑弥呼つまり天照大御神を現地妻として3人の女子をもうけた。また、素戔嗚命は第5子ニギハヤヒを大和に派遣し瀬戸内海の制海権を得た。ところが素戔嗚命の死後に相続問題がこじれて、出雲勢と日向勢がお互いの相続権を主張し、九州勢が武力で出雲を占領した。いわゆる国譲りである。こうして西日本は大和に残った出雲王朝と日向の九州王朝に分裂した。この日向の九州王朝が魏志倭人伝にでてくる邪馬台国なのである。その後大和に勢力を誇っていたニギハヤヒが死ぬと、卑弥呼の孫神武をニギハヤヒの孫娘・イスケヨリ姫に婿入りさせること、つまり神武東征で両王朝は合意して大和王朝を発足させた。

 この説では出雲王朝は弥生人国家になるが、8世紀まで弥生人国家に反発し縄文人社会を維持してきた東国の地で出雲王朝が重要視されてきたことに矛盾が生じる。しかし弥生文化の発達によって縄文文化が滅亡したとは限らない。朝廷は東国を蝦夷地として蔑んできたが、この東国が縄文人であり、劇的な人口増は稲作技術の発達によるものと考えれば符合する。この時の指導者が素戔嗚命だったかもしれないことは、各地の神社に素戔嗚命の稲作技術指導の伝承が残っていることからわかる。つまり弥生人である九州王朝の敵である素戔嗚命はまさに8世紀に至るまで弥生人を苦しめた縄文人に他ならないのである。

 日本の神道は太陽神を崇高な神として祀ってきたが、この習慣は主に狩猟民族のものだと言われている。一方農耕民族は主に月のリズムに合わせて暮らした。だとすると、縄文国家を滅亡に追い込んだ弥生人は本来男性神であり、太陽神をむりやり女性にして農耕民族の神にしたことになる。何故弥生人はこのようなことをせざるを得なかったのか。この秘密こそが出雲王朝の姿でありスサノヲと卑弥呼の関係であったのである。スサノヲは大陸からの侵入者により衰退した縄文人社会を復興させようとして、日本海側から出雲に入った。そして稲作技術を吸収するために九州を制圧した。このときスサノヲは縄文人の崇拝形態である太陽崇拝を重要視し、シャーマンの力のある女性を重用した。これが日の出を拝むのに適した日向の日巫女と考えてよい。こうして縄文人による統一国家が誕生し、この出雲王朝を築き上げた祖がスサノヲなのである。

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