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第94代後二条天皇 北白河陵

2007年04月11日 | 天皇・皇后陵

第94代後二条天皇 北白河陵

 京都 今出川通り沿いの吉田山北側にあるのは第94代後二条天皇 北白河陵です。大覚寺統の世仁親王(後宇多天皇)と堀河(源)基子(西華門院)との間にうまれ、後醍醐天皇とは異母兄弟になります。御陵正面の左手には藤原(五辻)宗子との間に生まれた邦良親王の墓がひっそりと寄り添うようにありました。 邦良親王は、後醍醐天皇が即位したときに皇太子として立したのですが、即位することなく死去するのでした。また、親王の長男である康仁親王(1320年-1355年)は後醍醐天皇が再度の倒幕計画に失敗して流罪となり、持明院統の光厳天皇が即位すると大覚寺統の嫡流として皇太子に立てられたものの、翌年の幕府滅亡と後醍醐天皇の復帰とともに光厳天皇ともども廃位されています。(撮影:クロウ)

 

立太子するが即位することはなかった邦良親王の墓

 ここ後二条天皇陵を訪れたとき、事務所に人影を始めて発見しましたので、前々から気になっていた御陵印について聞いてみました。 昔は各御陵の事務所に御陵印というものがあり、押印できたそうですが、今はあるところで集約管理されているらしく、そこへいかないと押印できないということです。 しかしながら、そこへいけば一気に多くの御陵印を押してもらえる、という利点があるということです。 ここ後二条から最も近いところはというと、なんと前回訪れた泉涌寺の監区事務所。 この際再度行ってみようと思い、足をのばしました。 そこで押印してもらったのが、この印(月輪陵後月輪陵)です。 普通は、掛け軸などに押印するらしいのですが、そのようなものは持ち合わせておりません。 で、押印の台紙に使ったのは「歴代天皇辞典 PHP文庫」です。 御陵参拝の時にはいつも携帯している文庫本ですが、やむなしというところです。 実はこのブログの内容はかなり、この文庫本に頼っております。 御陵制覇と同時に、御陵印制覇を、この日決めてしまいました。 

 

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