平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

100年後の大気

2006年02月18日 | 明治維新以降

100年後の大気

 今大気中の二酸化炭素CO2の量が問題になっているのは周知のことです。 金魚が酸欠になるとあっぷあっぷしてきますが、人間も同じで一般事務所における二酸化炭素濃度は1000PPM以下になるように、空調・換気の設計基準で決められています。 つまり部屋の換気を怠ると息苦しくなるということです。 今大気(新鮮な空気)の二酸化炭素濃度は150PPM程度です。 これを室内に取り入れることによって快適な生活ができるのですが、100年後には950PPMになるという計算だそうです。 京都議定書にもとづきエネルギーの節約を行い、環境に優しい発展をしたとしても、100年後には800PPMになってしまうそうです。 そして気温は4.2度上昇します。 今熱帯夜は年に40日程度あるそうですが、これが年に100日を超えます。夏は5月から10月までになり、冬はなくなります。 そして四季を織り交ぜた風物を楽しめる世の中はなくなるのです。

 気温に変調をきたすと、雨の降り方にも異常が発生し、雨不足と豪雨が両極端になるそうです。 すざまじい勢いで襲ってくる熱帯低気圧は、巨大な台風をもたらし、温暖化による海水の蒸発も激しくなり、ますます熱帯低気圧の勢力が世界各地で増すのだそうです。 100年後は、くろうは生きていません・・・っまいいか。 ということもふと思うのですが。 

 今の地球は13回目の地球だ、ということも言われていることから、いずれ人類・地球は滅び、14回目の地球があらわれるのでしょうか。  ということで、益々今のうちに平安三昧をしておこうと思うのでした^0^。

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角川文庫 大鏡

2006年02月18日 | 明治維新以降

平安・藤原時代の栄華を記した大鏡

 平安時代も末期の院政のころ、栄華物語の後を受け、今昔物語と前後して「大鏡」が作られました。 作者は不明ですが殿上人の仲間らしい。 藤原道長の讃嘆を主に、二人の翁が昔話をするという趣向で綴られています。

 くろうが購入したこの本は尾張徳川家の国史大系に収められている原文にできるだけ近づけ、特に必要と思われる部分以外は『 』は使わずに・・・・となっている。 大鏡は上中下に分かれており、下ではそのすべてが藤原道長についての記述である。 

 この大臣は、法興院のおとどの御五男、御母従四位上摂津守右京大夫藤原中正の女なり。 と始まるのです。 藤原中正の女といわれても・・・時姫と書いてくれないと・・・わからんっ。 

 中略・・というか前略・・  『その年の祭りのまえより、世の中極めてさわがしきに、またの年、いとどいみじくなりたちにしぞかし。まづは大臣、公卿多くうせたまえりしに、まして四位、五位のほどは数やは知りし。まずその年うせたまへる殿ばらの数、閑院の大納言殿三月壱八日。中関白殿四月十日。これは世のえにはおはしまさず、ただ同じをりのさしあはせたりし事なり・・・・・』 という具合である。 とにかく前へすすまない・・・。 意味がわからないのである。

 解説もすこしはあるが、全部はない。 以上をわかりやすく解説すると 『その年の賀茂祭の前より、世の中、疫病が流行し、大臣・公卿がたくさん亡くなった。 その数わからないくらいである。 まづ、大納言朝光が、そして中関白の道隆が亡くなるが、これは流行の悪役ではなく、ただ同じ時期の疫病のせいである・・・』 考えて解釈しても、意味がわからないので、解説になっていません・・・・。ということで、この本はギブアップし、解説版を購入しようと思います。

 

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謹賀新年

2006年01月01日 | 明治維新以降

あけまして おめでとう ございます。

2006年もよろしくお願いいたします。

ということで、お正月らしいスナップをどうぞ♪♪

今年も平安三昧するぞぉ~~

京都・下賀茂神社 桜門

 

京都・川原町での舞妓さん

 

白拍子に立烏帽子

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県人チェック

2005年12月30日 | 明治維新以降

地域性は面白い♪♪神戸のクロウはこれでチェックしてみました。いきなり出てきたのが「大阪より京都が好き」・・・。当たってる^0^

愛媛のあなたどぉ?  高校の自販機はポンジュースだった。ほんとかよ・・。

富山のあなたどぉ?  結婚式の引き出物といえば蒲鉾以外にない。ほんとかよ・・。

名古屋のあなたどぉ? トーストといえば、あんこをはさんだ小倉トーストだ。ほんとかよ・・。

新潟のあなたどぉ?  薬といえば「薬のコダマ」だ。ほんとかよ・・。

沖縄のあなたどぉ?  道で野良ゴキブリに出会ったことがある ほんとかよ・・。 

奈良のあなたどぉ?  鹿せんべいを食べてみたことがある。ほんとかよ・・。

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氷の華

2005年12月21日 | 明治維新以降

氷の華

誰かから送信して頂いた写真です。クリスマス・イヴらしくない?

それとも煌神羅刹の如く?

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嵐山周辺の花灯路

2005年12月17日 | 明治維新以降

12月9日から18日まで「灯りと花の路」と題して、渡月橋でライトアップ

総延長:約5km  露地行灯等照明器具:約2,500基

残念です。折角ちかくにいたのに・・・。たしか、そのころは食事の後ケーキを買ってホテルでゆっくりしておりました。来年は見逃さないようにするか。。

 

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平安同好会発足!

2005年12月17日 | 明治維新以降

平安同好会参加者募集!

1.参加方法

このブログに「参加した~~い」と意思表示する。

2.参加資格

平安時代に興味ある御方、御前殿

源氏物語に興味ある御方、御前殿

京都散策に興味ある御方、御前殿

陰陽座・陰陽師に興味ある御方、御前殿

ここらへんに関わってみたいと想う御方、御前殿

3.同好会行事

年一回、京都を散策して平安時代の満喫し、堪能し、語ります^^

クロウのブログに一言頂ければ、もぉ参加になっております。

平安を満喫できそぉな「謂れ」・「場所」などご教示願えれば最高。

平安当時の恋愛物語などを考え、今に蘇らせましょう。

4.その他

随時追加予定

 

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5帖 京都料理

2005年12月17日 | 明治維新以降

京都 四条川原町の先斗町のほど近くの黒潮丸

日も暮れて 舞妓踊りと 京料理

 舞妓さんの踊りを堪能した後は、もちろん京料理で舌鼓^^です。たまのことですから、奮発して行っちゃいました。タクシーで最寄までいって降りたのはいいが、店が無い・・・。目の前を通っているのに見過ごすか・・。看板もなく・・この暖簾だけですから仕方ないかな。

やはり、京都料理はクロウには似合いませぬ・・・・。

お上品すぎまして^^でも、絶品でございました。

 最後に、大将の写真も撮ったのですが、掲載は堪忍なっ。ということで割愛させていただきます。

 ホテルに帰ると、メンバーの一人が少し前に誕生日(ご愁傷様・・)ということで、こんなタルトケーキを買いました。四条川原町の隣の筋の京極通りでは、ちと有名なお店なのかな・・。後半からは、ちょこっと早めのクリスマス気分です。

ところで・・クロウ、ケーキはチョコ専門です。モンブラン・・・、チーズケーキ・・・、イチゴタルト・・・、グレーピフルーツタルト・・・、っま 仕方ない・・。くだものだけ頂きました。

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4帖 京都・舞妓さん

2005年12月16日 | 明治維新以降

京都・舞妓さん

 京都・四条川原町 先斗町でよく見かける舞妓さんですが、まじかで見たのは初めてです。しかもすぐ横です。遠めにみますと綺麗ですが、30cmの距離でみると、化粧がすごいです^^。このあと2曲の踊りを鑑賞致しました。

花街について

 舞妓といえば「花街」。京都には、祇園、先斗町、宮川町、上七軒、祇園東の5つの花街がある。祇園は京都花街の一番手で、大石蔵之助が遊んだという一力茶屋もここにある。八坂神社の近くにあり、四条よりも南にある。 先斗町は祇園から西に行き、鴨川をわたってすぐのところにある細い通りだ。 宮川町は祇園よりも南にあり、人数では他の追随を許さないが、格式の点で一歩劣るといわれている。上七軒は五花街のなかでも最も古く、由緒格式が高いとされている。しかしその規模の点では他の花街に著しく劣り、北野天満宮の近くにある。 祇園東は、祇園乙部といわれることもあるが、それは歴史上はもともと祇園の一部だったことに由来する。お茶屋とは、座敷を貸し出すところで、置屋と呼ばれる事務所から借りてくるのが普通。そしてその置屋と呼ばれる家では、女将さんと舞妓さんがあたかも親子のような擬似親子関係を結び、舞妓さん、芸妓さんは女将さんのことを「おかあさん」と呼ぶそうです。

舞妓さんについて

 最初は、仕込みさんと言って舞妓の基本の修行や教育を受け、1ヶ月間「花いらず」といい、花代を取らずにお茶屋で舞妓のリハーサルを行い晴れて舞妓としてデビューします。 お座敷や稽古を経験し、様々な京都の行事をこなしていき、一人前の舞妓を目指し日々精進していきます。 そんな華やかでいて、厳しい世界が京都の舞妓の世界なのです。

 今の舞妓さんは、15歳から20歳が普通で、成人過ぎると芸妓さんになります。写真の舞妓さんは18歳くらいでしょうか。耳元で巣の声を聞いてしまいました。「よぉ~いいはるわぁ~」 舞い上がってしまって・・・よく覚えてません・・・。

 舞妓さんの髪ですが、1週間は頭を洗わず・・・昔の硬い枕で髪が崩れないようにして寝るそうです。帯には舞妓さんが所属する置屋の紋が形どられています。その昔、幼い舞妓さんが迷子になっても、すぐにわかるように置屋の紋を付けた名残がのこっているそうです。8歳くらいの舞妓さんがいたそうな・・・。

クロウ初体験でした^0^。

舞妓さんを堪能した後は、京都・四条川原町の黒潮丸にて食事。^^

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冬は温泉でのんびり

2005年12月06日 | 明治維新以降

今日は今年一番の寒さ

こういうときは、やはり温泉ですね。写真は四国の愛媛・道後温泉♪♪ 温泉の湯気の絵がほしいところです。

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奥津温泉・渓谷

2005年11月27日 | 明治維新以降

紅葉も最後かと、おもいつつ奥津温泉へ

岡山県の山の奥にある奥津渓谷は紅葉で有名です。このなかでも部分的に紅色鮮やかに葉をたたえる秘密のスポットがあるのです。ということで、いってきました。

ご覧のとおり・・・紅葉は見事に落ちていました。残念 (撮影;クロウ)

来月の京都も・・紅葉は無理だなぁ。

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京都・名所・史跡

2005年11月23日 | 明治維新以降

京都の名所・史跡

六波羅蜜寺 源平の史跡 応和3年(963)空也上人が開いた古刹で、西国三十三ヵ所第17番札所。本堂(重文)は、南北朝時代の再建。寿永2年(1183)の兵火で本堂を除いて焼失。空也上人像、平清盛と伝える僧形坐像(ともに重文)など平安、鎌倉時代の優れた彫刻が多い。京都市東山区五条大和大路上ル東

京都国際ホテル 二条城前の豪華ホテル

二条城 慶長8年(1603年)徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)完成したものです。豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康がたてた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができます。徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城。世界文化遺産!!

直指庵 嵯峨野にあるひっそりとした庵。1646年(正保3)隠元禅師の高弟独照性円禅師が草庵を結んだのが起こり。直指人心の黄檗の正統を守り寺号をつけず直指庵とした。荒廃したが、幕末に近衛家老女村岡の局が再興。現在は浄土宗

儀王寺 京都・嵯峨野の北西に祇王寺があります。女性に人気のスポットです。祇王・祇女・仏御前が仏門にはいったところ。『平家物語』に名高い白拍子・祇王ゆかりのお寺です。. 平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前の出現によって捨てられ、祇王は母と妹とともに嵯峨野に庵を結び、尼となります。

平安神宮 平安遷都1100年を記念して明治28年(1895)に建立された。桓武(かんむ)天皇を祀り、京都全市の総社といわれる。社殿は平安京の大内裏、朝堂院の様式を模したという壮大なスケールで朱の列柱、緑の瓦屋根、広々とした白い庭…色彩のコントラストの鮮やかさ、きらびやかさは平安の昔をしのばせて華麗だ。

京都御所 794年(延暦13年)、桓武天皇により定められた平安京の内裏(皇居)は現在の京都御所から約2kmほど西にありました。しかし、度重なる内裏の焼失により、主に摂関家の邸宅を一時的に皇居とする里内裏が置かれるようになり、1227年(安貞元年)の火災以後は、元の位置に内裏が再建されることはありませんでした。現在の京都御所は、里内裏のひとつであった東洞院土御門殿に由来するもので1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。

鞍馬寺 太古からの霊気に充ちあふれた山です。また人々は「天狗さんがいはるお山」と親しんでいます。宝亀元年(770)鑑真和上の高弟鑑禎(かんてい)上人により鞍馬寺が開かれました。牛若丸が天狗に武術を習ったエピソードは今も語り継がれています。

二尊院 阿弥陀如来と釈迦如来のふたつを本尊とするのが由来。

祇園 先斗町  三条と四条、鴨川と高瀬川に囲まれたこの狭斜の地が、先斗町と名づけられた由来は、明確にされていませんが、元禄15年(1702)刊『万宝節用集町名鑑』にはぽんと町と記されており、一説によると、織田信長時代ポルトガルの教会が、この辺りにあって、ポルトガル語のポント(先端)・ポントス(橋)によると言う説もあります。いづもやでうなぎ

晴明神社晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の遺業は非常に尊いものであったこと、そして晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘4年(西暦1007年)、そのみたまを鎮めるために晴明神社を創建されたのです。

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龍頭龍尾 陰の巻

2005年11月23日 | 明治維新以降

陰陽座 2005秋ツアー 「龍頭龍尾 陰の巻」

いって来ました。2005年秋ツアー「龍頭龍尾」です。今回は「陰の巻」と「陽の巻」の二日で1セットのツアーでした。11月22日大阪BIG-CATでは「陰の巻」ということで、しっとりした曲目もあり良かったわっ。

曲目紹介(一部です)

氷の楔

黒猫の世界・バラード曲!その歌詞は哀しく切ない内容で,人間や浮き世の儚さが感じられるしっとりとした曲です。透明で清涼感があり細いながらも説得力のある黒猫の唄声が強烈に心に染みます。

陰陽師

緩急のあるメロディーラインが印象的。イントロと中間部で、黒猫の語りが入り、妖艶且つドラマティックな曲

羅刹

クロウが最も好きな曲。テクニカルなギターのイントロで幕を開けるスピードナンバー。ツインヴォーカル,間奏での合いの手のような掛け声が歌舞伎風♪♪

組曲「黒塚」

黒猫ワールド^^。能の演目としてある安達ヶ原の鬼婆の話を基とした,妖怪になっていく様の狂気を壮大且つドラマティックに表現した曲。 後半の鬼哭啾々がすごすぎて、前半の安達ヶ原がイントロに聴こえてしまうほどです。 エモーショナルな唄声が目立つ瞬火が,この曲で見せる艶やかな情感溢れる唄声は,黒猫のシャープな唄声と絡み合い至高の名曲を創り上げています。

組曲「義経」 

義経ファンのクロウとしてはたまりません!!。鳥肌がたつほどの壮大なドラマを思い描きながら興奮しておりました。ちょうどNHK大河の進行部分をテーマにしており、頼朝に対する義経の葛藤、静御前殿の悲哀・・見事としか言いようがありませんっ。

アコスティック曲を初めて聴きました。陰の巻きにふさわしい、なんとも優しい曲です。シンセサイザーの音の広がりとアコスティックの優しいメロディに、黒猫の透き通る歌声がかぶさってきます。大満足でした。♪♪ 来年もまた、はせ参じます^^いよぉ~~~

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11月22日は”龍頭龍尾”

2005年11月19日 | 明治維新以降

2005年11月22日は陰陽座 ”龍頭龍尾” コンサートライヴ

いざ!陰陽座!大阪らいヴだ!  1回目の 臥龍點睛(がりょうてんせい)に引き続いていってきます。今回の選曲が楽しみです。ということで、本日23:00からインターネットライヴを行います。そのタイトルは”白光乱舞”

今回はこのへんに出陣

ほぼ目の前で”黒猫”の神声を。

 ”瞬火” の激しさを感じてきます。

      ”狩姦”の指技にみとれてきます。 

 ”黒猫”の神声。音の広がりを感じてきます。

素顔は別人です。握手してこよ。

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グラチャンバレー1日目

2005年11月15日 | 明治維新以降

ポーランド戦

は、結構愛称いいのですが、最終セットまでいって負けました。しゃーないなぁ。2回戦にかけるか・・・。

2003年クロウはここで見てました♪♪向こうには大林が。。関西TVのアナウンサーとかも大勢いましたよ。横に^^

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