京都の名所・史跡
六波羅蜜寺 源平の史跡 応和3年(963)空也上人が開いた古刹で、西国三十三ヵ所第17番札所。本堂(重文)は、南北朝時代の再建。寿永2年(1183)の兵火で本堂を除いて焼失。空也上人像、平清盛と伝える僧形坐像(ともに重文)など平安、鎌倉時代の優れた彫刻が多い。京都市東山区五条大和大路上ル東
京都国際ホテル 二条城前の豪華ホテル
二条城 慶長8年(1603年)徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)完成したものです。豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康がたてた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができます。徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の歴史の移り変わりを見守ってきたお城。世界文化遺産!!
直指庵 嵯峨野にあるひっそりとした庵。1646年(正保3)隠元禅師の高弟独照性円禅師が草庵を結んだのが起こり。直指人心の黄檗の正統を守り寺号をつけず直指庵とした。荒廃したが、幕末に近衛家老女村岡の局が再興。現在は浄土宗
儀王寺 京都・嵯峨野の北西に祇王寺があります。女性に人気のスポットです。祇王・祇女・仏御前が仏門にはいったところ。『平家物語』に名高い白拍子・祇王ゆかりのお寺です。. 平清盛の寵愛を受けていた祇王は、仏御前の出現によって捨てられ、祇王は母と妹とともに嵯峨野に庵を結び、尼となります。
平安神宮 平安遷都1100年を記念して明治28年(1895)に建立された。桓武(かんむ)天皇を祀り、京都全市の総社といわれる。社殿は平安京の大内裏、朝堂院の様式を模したという壮大なスケールで朱の列柱、緑の瓦屋根、広々とした白い庭…色彩のコントラストの鮮やかさ、きらびやかさは平安の昔をしのばせて華麗だ。
京都御所 794年(延暦13年)、桓武天皇により定められた平安京の内裏(皇居)は現在の京都御所から約2kmほど西にありました。しかし、度重なる内裏の焼失により、主に摂関家の邸宅を一時的に皇居とする里内裏が置かれるようになり、1227年(安貞元年)の火災以後は、元の位置に内裏が再建されることはありませんでした。現在の京都御所は、里内裏のひとつであった東洞院土御門殿に由来するもので1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。
鞍馬寺 太古からの霊気に充ちあふれた山です。また人々は「天狗さんがいはるお山」と親しんでいます。宝亀元年(770)鑑真和上の高弟鑑禎(かんてい)上人により鞍馬寺が開かれました。牛若丸が天狗に武術を習ったエピソードは今も語り継がれています。
二尊院 阿弥陀如来と釈迦如来のふたつを本尊とするのが由来。
祇園 先斗町 三条と四条、鴨川と高瀬川に囲まれたこの狭斜の地が、先斗町と名づけられた由来は、明確にされていませんが、元禄15年(1702)刊『万宝節用集町名鑑』にはぽんと町と記されており、一説によると、織田信長時代ポルトガルの教会が、この辺りにあって、ポルトガル語のポント(先端)・ポントス(橋)によると言う説もあります。いづもやでうなぎ!
晴明神社晴明神社は晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所です。晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の遺業は非常に尊いものであったこと、そして晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで寛弘4年(西暦1007年)、そのみたまを鎮めるために晴明神社を創建されたのです。