今日、5月14日の夕方、中将姫伝説の残る当麻寺で「練供養」が行われた。
極楽浄土への入り口は…
空を茜色に染めて夕陽が二上山へと落ちていく。
大和では古来より二上山への道は葬送の道そして浄土への入り口と考えられていた。この二上山を背にして建つ当麻寺の練供養式は、極楽浄土を連想させる夕刻を待って行われる。
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四月末から5月中旬にかけて長谷寺では“ぼたんまつり”が開催されている。
長い回廊の両側に7000株、150種類ものぼたんが植えられているのだ。
四国遍路をしていると、遍路のお寺で“長谷寺のポスター”をよく見かける。
“四国まで来て 自宅近くの長谷寺なぁ~”って思いながらポスターを眺めるときがある。たしか長谷寺の末寺は全国に3000ほどあると聞いたことがある。
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「直径7mの見事な球体。推定600t。注目すべき点は赤道、子午線とおぼしき謎の十字ベルトがあり、夏至の太陽との関係があると考えられている。また建物の側面には・・・」
平成7年の運動公園の造成工事の際出土した岩に、こんな解説をつける人たちもいるのですね。
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京都などの観光地で“人力車”を見かけますよね。
この写真は奈良・東大寺付近の“人力車”。
奈良の町でも、何度か乗らないかと声を掛けられたのですが、
私はまだ乗ったことがありません。
雨の日などは、お仕事の方も乗る方も大変そうですよね。
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奈良国立博物館の北側に“氷室神社”がある。
この神社で毎年5月1日に“献氷祭”が開催されるようだ。
天平勝宝8年(756)の年号が記入されている正倉院御物の古地図には、吉城川の上流に、“氷池”が明記されている。
ここで厳寒期に張った氷を氷室に貯蔵し、奈良に都があった70年間、春分の日には氷室開きと献氷の祭祀が営まれ、毎年4月1日から9月30日まで平城京に氷を献上していたそうだ。
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昨日行った奈良国立博物館
“神仏習合―〈かみ〉と〈ほとけ〉が織りなす信仰と美―”展の説明には、
“古来、日本人は山や河あるいは雷など、あらゆる自然現象の中に神の存在を見いだしてきました。しかし6世紀頃、大陸から仏教が伝来すると、神と仏は互いに影響し合い、融合しながら「神仏習合」という新たな信仰世界を生み出してゆきます。神と仏の信仰が折り重なる様子は、仏教の影響を受けて神の姿を造形化した「神像」をはじめとして、さまざまな造形品や文献史料のなかに残されています。”とあった。
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飛鳥・石舞台から南へ行くと、稲渕と栢森という集落が谷沿いにある。
その2つの集落には“綱掛神事”が残っていた。
解説板によると、
“綱掛神事”は、毎年正月11日に行われ“カンジョ掛神事”ともよばれている。
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お寺にお参りしたりお坊さんを見たりしたら大西良慶さんを思い出す。
(清水寺貫主 五つ子ちゃんの名付け親、107歳のご長寿だった)
しかし私は会ったことはない。
何年も前、良慶さんがご先祖さんの墓参りをすることになり、京都の清水寺から来られることになった。
その当時で お歳は100歳を越えておられたと思う。
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高見山の山頂まであとわずかという所に“国見岩”(写真)がある。
その岩の解説板には次のようにあった。
「神代の昔、神武天皇は熊野伊勢を経て高見山を踏破し、この峻岩を天皇自らよじ登り西方展望、兄猾(えうかし)の根拠地、宇陀を眼下に見下し又遠く男坂(おさか)女坂(めさか)墨坂(すみさか)方面の長髓彦(ながすねひこ)等の敵情視察なし第一回の軍議評定せし処なり。」
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宴からの帰り、最寄り駅で下車し改札を抜けたところで、
一枚の美しいポスターが目にはいった。
私はほろ酔い気分で、私が住む町を紹介したポスターを
暫くの間、眺めていた。
“邂逅”
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