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大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

入鹿の首塚

2009年05月20日 | 明日香村・高取町
弥勒石に「下半身の病気が治るように!」と拝んだ後、私は「入鹿の首塚」に参りたくなった。
それは数年前の冬のこと、忘年会に行こうと歩いていたら、蘇我入鹿を祀る神社を偶然見かけ、お参りしたことがあったから。
ここでは蘇我入鹿が神として祀られている!
それは、藤原鎌足を神とする談山神社の文化圏に住む私にとってショックなことであり、逆に新たな発見でもあった。
「大化の改新」って、一体何やってんやろうか?
あれはクーデター?
ほんまに蘇我入鹿は、悪い人やったんやろか?
あの日から、私の心に疑問が生じたのだ。
私は、入鹿に自分の思い込みを詫びたかったのだ。
弥勒石は、飛鳥寺と皇極天皇が造営した伝飛鳥板蓋宮跡の中間地点から、少しだけ西に外れた処にあった。
飛鳥板蓋宮は、大化元年(645)打倒蘇我本宗家を目指して、中臣鎌足(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)の二人が中心となり、大極殿で入鹿の首を討ち取る「巳乙の変(いっしのへん)俗に言う「大化の改新」が起こった場所。
その時、切り落とされた入鹿の首が、おおよそ600メートル北にある飛鳥寺の少し西にあたるこの地まで飛んできたという。
その首を供養するために、あるいは超人的な入鹿の念を封じるために建てられたとされるのが、「入鹿の首塚」の命名由来と言われているそうだ。
「写真;入鹿の首塚(後ろは甘樫丘)」
































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ご存知かもしれませんが。。。 (ひー)
2012-08-28 17:49:26
オイラの鞍作贔屓は、関裕二さんという方の本を読んでより強くなりました!(その前に、杉本苑子さんの小説を読んでますが。)
どんな歴史にも表と裏があり、残った方が有利に書かれるのは必定ですよね。いわゆる勝てば官軍ってやつです。
三河の方に行けば、吉良さんだって神様ですものね。

歴史は両側面から常に見たいと思っています^^(←でも、アンチ天智帝^^;)
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