
先月のこと、私は畝傍山の中腹に上った。
100年ほど前、そこには洞村(ほうらむら)という集落があったという。
場所は神武天皇陵への参道から西に向かう脇道に入り、
すぐに左折、けもの道のような地道を辿りながら上っていく。
残っていたのは、共同井戸の跡、
建物の礎石、
“宮”と彫られた石柱だけやった。
@洞村移転問題
1917年から1920年にかけて奈良県高市郡白橿村の大字である洞(現在の橿原市)の住民が土地全域を隣接する神武天皇陵拡張のために宮内省に献納した問題。
先月のこと、私は畝傍山の中腹に上った。
100年ほど前、そこには洞村(ほうらむら)という集落があったという。
場所は神武天皇陵への参道から西に向かう脇道に入り、
すぐに左折、けもの道のような地道を辿りながら上っていく。
残っていたのは、共同井戸の跡、
建物の礎石、
“宮”と彫られた石柱だけやった。
@洞村移転問題
1917年から1920年にかけて奈良県高市郡白橿村の大字である洞(現在の橿原市)の住民が土地全域を隣接する神武天皇陵拡張のために宮内省に献納した問題。