大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

叡福寺・聖徳太子御廟へ

2011年07月11日 | 大阪府
先日,県境を越えて二上山の向こう側へ。
そこは大阪府太子町。
目的は聖徳太子のお墓参り。

叡福寺に到着したと思ったら,突然激しい雨が降り出した!
誰もいない境内,
靴に浸みる水,ズボンの裾はボトボトで・・・
久々の雨宿りもええもんやなぁ~

@叡福寺
寺伝によれば、聖徳太子は生前、推古天皇28年(620年)にこの地を墓所と定めたという。推古天皇29年(621年)、穴穂部間人皇后が没するとここに葬られ、翌年、相次いで没した聖徳太子と妃の膳部菩岐々美郎女が追葬されたという。太子の没後、伯母にあたる推古天皇が土地建物を寄進し、墓守りの住む堂を建てたのが叡福寺の始まりとされている。約1世紀後の神亀元年(724年)、聖武天皇の発願で東院・西院の2つの伽藍を整備し、西院を叡福寺と称したというが、このことは正史には見えず、史実かどうか定かではない。叡福寺の創建年代については諸説あり、実際の創建は平安時代以降に下るとする見かたもある。

@聖徳太子御廟
墓所は大阪府南河内郡太子町の叡福寺にある「叡福寺北古墳」が宮内庁により比定されている(聖徳太子御廟・磯長陵 しながりょう)。日本書紀には磯長陵とあるが、磯長墓と呼ばれることもある。穴穂部間人皇女と膳部菩岐々美郎女を合葬する三骨一廟。後世に定められたものとする説もある。
直径約55メートルの円墳。墳丘の周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重に囲まれている。2002年に結界石の保存のため、宮内庁書陵部によって整備され、墳丘すそ部が3カ所発掘された。2002年11月14日、考古学、歴史学の学会代表らに調査状況が初めて公開された。墳丘の直径が55メートルを下回る可能性が指摘されている。

太子廟の七不思議
一、樹木が生い茂った御廟内には、松や笹が生えない。
二、鳥が巣を造らない。
三、大雨が降っても御廟の土が崩れない。
四、御廟を取り巻く結界石は何度数えても数が合わない。
五、メノウ石に太子の御記文が彫られたものが、太子の予言どおりに死後430年後(1054年)に発見された。
六、御廟も西にあるクスノキは、母后を葬送したときに、太子自らがかついだ棺の轅(ながえ)を挿したものが芽をふき茂った。
七、894年、法隆寺の康仁大徳が御廟内を拝見した時、太子の着衣は朽ちていたが、その遺骸は生きているように温かくやわらかだった。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kazuyoo60)
2011-07-11 09:55:10
雨、豪雨だったようですね。見事に写っています。
偉大な方にはそんな不思議も伝えられますか。面白いものですね。
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Unknown (瓜亀仙人)
2011-07-11 17:53:42
kazuyoo60さんへ
あの日は,突然もの凄い雨でした。
それも聖徳太子のお墓の前で・・・
偶然???
それとも,なにかあるんですかね???
返信する
雨降り (山桜)
2011-07-12 21:12:42
雨降りの中の参拝というのも、なかなか良いものですね。 
雨の音って結構大きいのに不思議と静かに感じます。 
返信する
Unknown (瓜亀仙人)
2011-07-13 17:07:33
山桜さんへ
>雨降りの中の参拝というのも、なかなか良いものですね。 
その雨にも程度ってものが・・・
一時ですがもの凄い雨で,靴の中までグチュグチュになりました。
でも,一人っきりの雨宿りも楽しかった!
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