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大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

柳の渡し

2008年10月05日 | 吉野町・東吉野村
今日は稲刈り2日目の予定やったのに、朝から小雨で中止。
前夜の天気予報では、夕方から雨って言っていたので、それまでには終わろうと早起きしたのに・・・
せっかく早起きしたので家人と吉野の脳天さんへ 。
稲刈りを手伝いに帰省した長男に“小橋の焼餅”を食べさせてやろうと車を停めたら、店には「本日、臨時休業」の張り紙。
脳天さんをお参りし、恒例になった10分の1のお百度も終え、久々に蔵王堂でも行ってみようかと思ったら、今度は「防災工事による通行止め」の 看板。
それなら、以前から行ってみたかった吉野川の“柳の渡し”に寄って帰ろうと、いつもの吉野大橋へ行かずに1つ下流の美吉野橋の袂を目指した。
ここは万葉集にも登場した渡し場だったとか。
河蝦(かはず)鳴く 六田の川の 川楊の
  ねもころ見れど 飽かぬ川かも  (巻9 1723)
やっとそれらしき石仏?を発見し、車を停めて見学しようと思ったが、すでに1台車が停まっていて、駐車スペースがないのと、美吉野橋は工事中で半分の幅しかない。
そしてここでも「道路通行時間制限」の看板発見!
こんな日もあるんやなぁ~と、結局諦めて帰宅することにした。
※“柳の渡し”は、大淀町北六田と、南岸の吉野町六田とを結んだ渡しで、平安時代に醍醐寺の開祖・聖宝理源大師(832~909)が初めて渡し場を開いたと伝えており、以来吉野山から大峰を経て熊野へ駆ける、修験者の水垢離場(水を浴び身体を清める場)として尊ばれてきました。
 今の美吉野橋は、大正8年になって架けられたもので、それまでは、舟や徒歩で川越えをしたものでした。
したがってこの付近は、大和平野や大阪、和歌山方面からの修験者や、吉野山への花見客でにぎわい、又吉野川をくだす”筏”のたまり場でもあったので、宿屋や茶店が建ち並んで、宿場町としても栄えた所です。
「写真;柳の渡し 」



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