
先日BSで“白洲正子”のことが放映されていた。
その番組で登場した彼女が愛した屏風が重要文化財「日月山水図屏風」。
現在,この屏風は大阪府河内長野市の天野山金剛寺にあるという。

河内長野か・・・
奈良盆地からは,大阪府との県境に聳える金剛山・葛城山の向こう。
昨夏,水越峠を越えて楠公さんの旧跡を訪ね千早赤坂村へ行ったよなぁ~
西行の墓にもお参りしたっけ・・・
河内長野はさらに千早赤坂の向こう。
学生の時に行ったっきりで,それ以降行ってない。
金剛寺のHPを見ると下記のように書かれていた。
読めば読むほど“日月山水図屏風”を観てみたい!

ホンモノが観れるのは,春(5月5日)と秋の年に2日だけ・・・
でも,“春の文化財特別公開事業”で複製が観れる日がある!

@重要文化財「日月山水図屏風」と白洲正子
白洲正子が紀行エッセイとして書いた『かくれ里』の一節に「滝の畑」という河内長野に関連する一文がある。その中で当寺を紹介し、「日月山水図屏風」について次のように記している。
そういう所だから宝物や文書がたくさん残っているが、中でも有名な「日月山水屏風」は、私の一番好きな風景画である。
一双の片方には、春から夏へうつる景色を描き、片方は、秋から冬へかけての雪景色で、前者はには日輪を、後者には月輪を配している。目ざめるような緑の山と、月光に照らされた冬山と、どちらをとるかといわれると返答に困る。これほど一双が対照的で、優劣の定めがたい屏風はない。春の山は今桜が盛りで、いつとはなしに夏がおとずれ、やがて目をうつすと、紅葉の峰から滝が落ち、はるかかなたに雪を頂いた深山が現われる。その麓をめぐって、急流がさかまき、洋々たる大海へ流れ出る風景は、日本人が自然の中に、どれほど多くのものを見、多くのことを学んだか、無言の中に語るように見える。
彼女はこの屏風に宗教性を感じ、大自然の曼陀羅のように思っている。『かくれ里』の装丁にも「日月山水図屏風」が使用され、彼女の印象がいかに強かったかが伺える。

@日月山水図屏風
六曲一双(6枚の曲(パネル)で構成される屏風が2隻(せき)で1セットとなっているもの)の屏風で、作製された年代については、室町時代とする説と桃山時代とする説があります。大和絵特有の伝統的技法が駆使されておりながらも、独創性の高いダイナミックな表現がなされており、現代に通じる斬新な感覚を備えています。このようなことから、国指定重要文化財に指定されています。
描かれている題材は四季山水図とも呼ばれるもので、四季の変化を描いたものです。右側の隻の右端には、松と満開の桜が描かれており、春の様子が見られま す。続いて、山の間に金箔で日輪が表現されており、夏が描かれています。左側の隻の右端には、まず雪山が海の向こうに見える冬が描かれ、続いて、左端に は、紅葉の秋景色が描かれ、その中に滝と銀箔の月が見えます。
江戸時代に書かれた「河内名所図会」には、金剛寺の屏風のことが書かれており「雪村筆一双、元信筆一双、土佐光信女筆一双」とあり、この内いずれかが日 月山水図に相当するという説もあります。このうちいずれかが日月山水図に相当するという説もあります。金剛寺では、このような山水図は仏教の儀礼で用いられることが多く、この屏風も伝法灌頂の儀式に用いていたようです
その番組で登場した彼女が愛した屏風が重要文化財「日月山水図屏風」。
現在,この屏風は大阪府河内長野市の天野山金剛寺にあるという。

河内長野か・・・
奈良盆地からは,大阪府との県境に聳える金剛山・葛城山の向こう。
昨夏,水越峠を越えて楠公さんの旧跡を訪ね千早赤坂村へ行ったよなぁ~
西行の墓にもお参りしたっけ・・・
河内長野はさらに千早赤坂の向こう。
学生の時に行ったっきりで,それ以降行ってない。
金剛寺のHPを見ると下記のように書かれていた。
読めば読むほど“日月山水図屏風”を観てみたい!

ホンモノが観れるのは,春(5月5日)と秋の年に2日だけ・・・
でも,“春の文化財特別公開事業”で複製が観れる日がある!

@重要文化財「日月山水図屏風」と白洲正子
白洲正子が紀行エッセイとして書いた『かくれ里』の一節に「滝の畑」という河内長野に関連する一文がある。その中で当寺を紹介し、「日月山水図屏風」について次のように記している。
そういう所だから宝物や文書がたくさん残っているが、中でも有名な「日月山水屏風」は、私の一番好きな風景画である。
一双の片方には、春から夏へうつる景色を描き、片方は、秋から冬へかけての雪景色で、前者はには日輪を、後者には月輪を配している。目ざめるような緑の山と、月光に照らされた冬山と、どちらをとるかといわれると返答に困る。これほど一双が対照的で、優劣の定めがたい屏風はない。春の山は今桜が盛りで、いつとはなしに夏がおとずれ、やがて目をうつすと、紅葉の峰から滝が落ち、はるかかなたに雪を頂いた深山が現われる。その麓をめぐって、急流がさかまき、洋々たる大海へ流れ出る風景は、日本人が自然の中に、どれほど多くのものを見、多くのことを学んだか、無言の中に語るように見える。
彼女はこの屏風に宗教性を感じ、大自然の曼陀羅のように思っている。『かくれ里』の装丁にも「日月山水図屏風」が使用され、彼女の印象がいかに強かったかが伺える。

@日月山水図屏風
六曲一双(6枚の曲(パネル)で構成される屏風が2隻(せき)で1セットとなっているもの)の屏風で、作製された年代については、室町時代とする説と桃山時代とする説があります。大和絵特有の伝統的技法が駆使されておりながらも、独創性の高いダイナミックな表現がなされており、現代に通じる斬新な感覚を備えています。このようなことから、国指定重要文化財に指定されています。
描かれている題材は四季山水図とも呼ばれるもので、四季の変化を描いたものです。右側の隻の右端には、松と満開の桜が描かれており、春の様子が見られま す。続いて、山の間に金箔で日輪が表現されており、夏が描かれています。左側の隻の右端には、まず雪山が海の向こうに見える冬が描かれ、続いて、左端に は、紅葉の秋景色が描かれ、その中に滝と銀箔の月が見えます。
江戸時代に書かれた「河内名所図会」には、金剛寺の屏風のことが書かれており「雪村筆一双、元信筆一双、土佐光信女筆一双」とあり、この内いずれかが日 月山水図に相当するという説もあります。このうちいずれかが日月山水図に相当するという説もあります。金剛寺では、このような山水図は仏教の儀礼で用いられることが多く、この屏風も伝法灌頂の儀式に用いていたようです
白洲次郎さんのドラマの時に正子さんもでした。面白いご夫婦と思いました。そしてどちらも達人だと思いました。
観たかった屏風に逢えて幸せでした~
出来ればず~っと屏風の前にいたかったです。
白洲次郎は、終戦直後のアメリカに敢然と立ち向かった唯一の日本人と言えますね。
その奥さんもなかなかの夫人で、日本を代表する夫人と言ってもいいでしょう。
その夫人が好む日月山水図屏風を男爵様も一度見てみたいものです。
無理かな・・・!
この屏風は,先日まで東京にあったようです。
次回の公開は5月5日。
大阪府河内長野にある金剛寺にて。
その次は・・・
たしか11月3日。
年に2日の公開だそうです!