大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

山田寺・雪冤碑

2010年01月28日 | 桜井市
昨日書いた「山田寺」。
1982年からの調査で,倒れた東回廊の建物が土に埋もれた完全な状態で発掘され話題となった。(現在,古代建築の貴 重な資料として,近くの奈良文化財研究所・飛鳥資料館に保存されている。)
寺院が創建されてからおよそ1350年の月日を経ての大発見やった。
これも「蘇我倉山田石川麻呂」の無念の証やろか?
数年前に知ったことだが,現在の山田寺境内に「雪冤碑(せつえんひ)」という碑が建っているという。
私は,その碑を見たくて山田寺へ行こうと思った。
これは石川麻呂の子孫の山田重貞という人が、天保年間(1841年)に建立したもの。
「雪冤」と言うのは、「無実の罪を晴らして潔白を証明すること」という意味。
碑文は江戸時代の名筆(江戸三筆の一人)・貫名海屋の筆によるもの。
大化の改新の功労者「石川麻呂」が自害してからおよそ1000年後の江戸時代に,先祖の「無実の罪を晴らして潔白を証明する」ために建てられた碑を、さらに170年後の現在に見る。
過去-現在-未来・・・
見学するには不都合な石碑を守っている頑丈な鉄柵が,なぜか頼もしく見えてきた。
『 右大臣山田公雪冤碑
公武内宿禰之子蘇我石川宿禰七世之孫雄当之子也 皇極帝四年○中
権力誅蘇我入鹿及  孝徳帝即位拝右大臣於是鎌足為内臣阿倍○○
為左大臣大化五年三月左大臣薨公有異母弟身刺有怨於公
・・・・・中略・・・
施封修経○冤誉忠而不孚厥命難○抑其所求於道○迂蒼蒼之意無○○
誠信○感 長利後裔○斯貞昭無他志 越前粟田部山田重貞建 』
「写真;山田寺の雪冤碑」



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