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プラムフィールズ27番地。

本・映画・美術・仙台89ers・フィギュアスケートについての四方山話。

< 疾風ロンド >

2022年03月05日 | テレビで見た映画。
うっすーい映画でした。
でもこの時は軽い映画が見たかったから、印象はそこまで悪くなかった。

コメディというよりコントでしたな。
特に柄本明の立ち位置及び演技がドリフのコントみたいだった。
まあここまでコントにしなくてもいいような気はしたが……

焦点が炭疽菌という深刻すぎる物質じゃなかったら、もうちょっとストレートに
楽しめたんだけどね。花粉症の研究をしていて、くしゃみが止まらない薬品を
うっかり作ってしまったとか。
くしゃみ薬品も、くしゃみを何日も続けたら命に係わるだろうから、
深刻具合は出せると思いますよ。

良かったところは……あえていうほどはないのではあるが。
ユルかったところは良かったですよ。
まあ転がり具合も若干良かった。冒頭のテンポも良かった。
じっくり作りこまれた、とかウェルメイドな、という感想はまったく抱かないが、
雪山のスピード感ある景色を見せてくれたことも加算して、感想はプラス。

中学生の子どもたちの掘り下げが足りなかったかなーと言ってはみるが、
そんなこと言ったら掘り下げは全部足りないのであった。
まあそれを求める作品ではない。

好きな俳優がけっこう出ていた。
が、ちらっと友情出演的に映るだけで、ほとんどが脇役。見せ場もない。
もったいないといえばもったいない。

雪山の風景が5割。転がり具合(コント)が3割。ドラマ部分が2割。
という配分の作品だったかな。わたしは録画したのをしばらくしてから見たので
腹は立たなかった。
でもこのくらいなら2時間ドラマで作ってもいいかな。映画館でお金を払って
見るまでではない。

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< おおかみこどもの雨と雪 >

2021年12月21日 | テレビで見た映画。
――リアリティのなさが乗り越えられないんじゃあああ!


封切り時に知人にすっごく薦められた映画なのだが、
多分興味ないテーマだろうなと思って見なかった。
家族愛が前面に出ている映画は興味ないんです。
で、テレビ放送を録画で見た、と。

序盤で15分ほどテレビの電波が悪く、何も映っていなかった。
なので、おおかみおとことは出会ったところまでで、次に映った時は
おおかみおとこはいなくなっており、子育てをしていた。
(死んだのは終盤になってようやく知った)
そこを見ないでその後の話に思い入れが生じるわけがなく、粗だけが目についた次第。

1人暮らしの女子大生の部屋に親子4人?3人?が住んでいたら、
不動産屋なり大家さんなりからチェックが入るんじゃないかねえ。
特に乳幼児や幼児がドタバタ走り回る状況なら。
どう見ても壁が薄そうな部屋だし。

学費は奨学金、生活費はアルバイトで賄っていた天涯孤独の人に、
親子3人の生活を支えることが出来るかどうか……
貯金がどうこうと言っていたけど、花の貯金とおおかみおとこの貯金が
そんなにあるとは思えないのだが。
休学しててもある程度のお金かかるんじゃなかったっけ?
子育てが1、2年で終わるとは思えないし。

金もなく、手のかかる2人の子を役所の力も借りずに社会に出さずに育てる
20歳そこそこの子。
無理だと思う。世間は放っておいてほしい時は放っておいてくれないものだし。
児童相談所の担当者も、まともに仕事しているじゃないですか。
あそこまで問題アリで、児童相談の人を拒絶しても諦めるとは思えない。
というか、仕事的に諦めちゃいけない案件。
だって外から見ればほとんど虐待ですよね?一度も病院に連れて行かない、
外部の人と接触させずに過ごすんだよ?

そこから田舎に引っ越すのも解せぬ。
むしろ関係性の希薄な都会であればスキマに隠れて過ごすこともできるかもしれないが。
田舎の人間関係は濃密だろう。お互いに関わり合って、助け合って過ごすからこそ
関心のまとになるはずだし、都会みたいな距離の取り方はしないはず。
早い話、見通しが良すぎるあんな家じゃ、絶対誰かが遠くから
狼形態を目撃してますよね。

役場の人も、あんな女の子によくあんな家を紹介する気になるなあ。
あれは廃屋だと思う。建て替えるお金もなさそうな女の子に……
歩いただけで床が抜けるような家。

それを女の子が一人で修理する……。絶対無理でしょう。しかも2人も
子どもを育てながら。
屋根に上るそのはしごはどうしたのかと。新しい材木はどうしたのかと。
材料や道具をどうやって運んだのかと。
材料や道具、揃えたら何十万もかかりますよ。
畳の入れ替えもけっこうかかりますよ。
時間だって1ヶ月や2ヶ月じゃ無理。
それまでの生活は一体どうした。
ついでにいえば畳の大きさと人間の比率がおかしい。

実際はどんなにいい人だって、あんな風に乱暴な口を利かれたら
わたしは付き合わない。挨拶も返さないような人と付き合う気になる?
種イモをくれる前に人として最低限の礼儀をもって対応して欲しい。
それが出来ないってどうなの?

娘の獣くさい匂いは、それまで誰も指摘しなかったんだろうか。
清潔が異常に重んじられている現代において、
変な臭いがするということは人付き合いの中で致命的だと思うんだが。

体育館にカバンが置いてあるのに探さない先生方はおらんだろうと思われるし、
あの状況で大人から隠れる少年少女は、判断能力が年齢よりもはるかに
低いといわざるを得ない。学校に泊まる冒険をしてみたいという気持ちはわかるが、
それはあのタイミングじゃない。
母が再婚した少年はまあいいとしても、娘は母のことが心配じゃないのか。

10歳の少年がいなくなったことを一体母はどうやっていいわけをするのだろう。
絶対警察案件だと思うのだが。虐待死を疑われると思う。
そんなめでたしめでたしになるわけないよね。

あんな田舎で子供一人の教育費を別にしても、自分一人の生計を立てるだけで大変。
「それからは幸せに暮らしました」とは絶対にならないと思う。



……とか考えていると、全然ノレませんな。
絵はさすがに素敵でいいんだけれども、「人間があの勢いで
雪山を転がり落ちたら全身骨折だろうなあ」とか考えながら見てたら
全然感情移入出来ない。

もっとファンタジー、民話に寄せたら行けたのかもしれないが、
おおかみこどもの部分はファンタジーで、周辺状況は現代社会で、
しかしその間を繋ぐ設定はガバガバで、となると乗り越えられない。

マジメな部分をいうと、檻の中のオオカミの存在が全然活きてないところが……
オオカミ飼うのなんて大変だけど、そういう人手&人件費を過疎の自治体が
かけられるか……それは置いといても、
とにかくオオカミがあそこで出て来てあんな扱いでは、
話として活きているとは言えない。
そのくせ「師匠」はキツネ?

こういう細部を適当に作る作風は嫌いだ。
思いついたシーンを恣意的に繋げただけの話に見えたなあ。
母と子が一所懸命生きていくという大テーマは書けてたと思うが、
そしてエピソード自体がそこまでひどいとは思わないが、
何しろ細部とリアリティがね。

別にもう少し無理のない家、不愛想じゃない農業おじさん、でもいいのになあ。
必要以上に主人公に対してハードルを上げて、それを上手く回収できずに
「リアリティがない!」と思わせるなら、要所以外に試練は要らんのだよ。

奇跡的にお借り得な家:
「いやー、この家がこの借り賃は掘り出し物だと思いますよ。
場所は不便ですが、家はそれほど手入れをしなくても使えます」
親切な農業おじさん:
「……ほれ。ちょっと貸してみい。この土はこれじゃいかん。
土づくりが必要だな。わしが教えてやるからやってみるか」

これでいいのにねえ。めでたしめでたしにしたいなら、
主人公に山ほどの試練を与える必要はないのに。ファンタジーなんだから。


わたしが昨今のアニメを見始めたのはここ3年くらいかと思うが、
そして絶対数が少ないのに括っていいのかと思うが、
昨今のアニメは押しなべて絵はきれいでレベルが高いんだけど、
話は全然練れていないと感じる。
新海誠にしても。
その他の深夜アニメにしても。

アニメ界全体が多作すぎるんだろうな。
ひと頃のドラマにも思ったことだが、数打ちゃ当たるがヒドすぎて……
せっかく金をかけて作るんだったらもっと話を詰めた上で作って欲しいのだが。


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< ボヘミアン・ラプソディ >

2021年12月12日 | テレビで見た映画。
わたしは、知らないジャンルのことはとことん知らないので、
「そんなことも知らないの!?」というものは数多いが、洋楽もその一つ。
クイーンというバンドがあることは知ってる。多分イギリスだと思う。
しかしその楽曲の名前とか、メンバーの名前とか、全く知らない。

映画としては……うーん。
面白くなくはない。テレビで見る映画は大抵スマホに手を伸ばしてしまうのだが、
スマホを触らずに見られた。まあ展開が早いのでながら見だと全く話が
わからなくなるからそもそも無理なのだが。

実話を元にした映画で、それも20年くらいの話を描くとなると難しいのはわかる。
それにしてもストーリーが超特急すぎるよね。
ところどころ等倍になるところはあるにしても、その他のところは2.5倍速。
という感じだった。ストーリー部分は単にあらすじでしたね。

なので、メアリーとの関係性も、ポールとの関係性も、ハットンとの関係性も、
全然納得出来ない。こういう風になっているんだろうなーとは思っても、
わかればいいってものではない気がする。
特にハットンとの関係は描かれ方が薄いねー。
まあ一人の半生を2時間ちょっとで描こうってんだから仕方ない。

彼らの音楽を愛する人のための映画だと思いました。
わたしのように全然知識と興味に薄い人だと、話のジェットコースターっぷりが
マイナスに働く。


ただ映画としては、役者が行なった音楽シーンはお手柄だと思う。
わたしは知らないので、良くも悪くもフラットだったが、
往年のクイーンファンを納得させる出来だったってことでしょう?
ハードル高いよね。

ロックユーの歌も、チャンピオンの歌も、あともう一つなんだかも、
クイーンの楽曲だったんですねー。
が、タイトルになっている「ボヘミアン・ラプソディ」は聞いたことがない曲だった。
チャンピオンのサビ部分は好きだな。

あとフレディじゃないメンバーに、長髪の天文学者がいたが、
その人の表情が繊細で頭が良さそうで好きだったな。
ちょっと高見沢を思い出させませんでしたか。
外見は高見沢、性格は桜井さん、坂崎さん。


まあ、かねがね噂の作品が見られて良かった。


実は「万引き家族」も世評に釣られて録画はしたんだけど、
数日前にようやく見ようとして、最初の15分くらいで挫折したんだよね。
こういう不穏な映画は苦手です。最後にほの明るい結末がやってくるのかとは
思うが、そこまで我慢するのがツラすぎる。


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< アバウト・タイム 愛おしい時間について >

2021年11月27日 | テレビで見た映画。
前半は、こういう主人公が情けない系の共感性羞恥を強いる作品は
苦手だと思っていたが、後半結婚して生活が落ち着いてからは落ち着いて見られた。
最初は見るの止めようと思ったんだけどな。

まー、お父さんがいい味ですね。前に見た役者な気がしたんだけど、
ビル・ナイは「パイレーツ・オブ・カリビアン」を見ただけだった。
あの特殊メイク具合で見たとはいえなかろう……

あ、「ラブ・アクチュアリー」でも見てるか。でもあの映画はあまり内容を
覚えてないんだよな。登場人物が多すぎて。
あ、「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」で見たのか。
ジュディ・デンチはあの映画でも良かったなあ。

それからレイチェル・マクアダムスが可愛い。この人だけ見てても満足。
好きなんだよなー。あんまり出演作品数は多くないんだけどね。
というより、わたしの食指が動く映画にあまり出ていない。


全体的に見ててそこまでノレなかったんだけど、若い頃に見たら違うのかな。
見る人が見たら、わたしにとっての「ノッティング・ヒル」になるのか……と
思いながら見たら、これ、リチャード・カーティスなんですね。
ああ。そうか。という感じ。
相変わらずイギリス的な、ほのぼのしたものを作る。


だがタイム・トラベル物につきまとう設定的な矛盾はぼんやりと感じた。
彼ならそんなもんだろうなーとも思うが、最後の締めで少年時代まで大ジャンプ
というのはどうか。白けるんじゃないかなあ。
そこらへんかっちりと作る作風ではない。でもちょっとねえ。

イギリス物は……とまで一般化していいかどうかは検討の余地があるが、
リチャード・カーティスの作品は仲間感があるよなー。
今回は友だちがフォーカスされているというより家族が仲間っぽい。
そういうところは好きだった。彼はこの作品で監督を引退するというから……

と思ったら、その後「レッド・ノーズ・デイ・アクチュアリー」という
テレビ短編映画を撮っているんだそうだ。「ラブ・アクチュアリー」の続編だって。
ちょっと見たいな。テレビで「ラブ・アクチュアリー」と続けて
放映してくれないかな。


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< 笑の大学(映画をテレビで) >

2021年07月24日 | テレビで見た映画。
というわけで映画。この映画は封切りの際に映画館で見たんだけれども、
それだって2004年の話だもんねえ。もうほとんど20年近く前の話。
数か月前にテレビでやっていたので、録画して見た。

話の詳細は覚えていなかったが、ストーリーは珍しく覚えている方……
と思っていたが、舞台を見た時に映画版の最終部がなかったことに気づかなかった。
そうでしたね、舞台ではシンプルな喜劇で終わるんだけど、
映画は、ヒューマンドラマとして終わっている。


映画館で見た時も思ったけど、映画じゃなくて舞台だよなあ、と。
今ではすっかり三谷幸喜監督作品だと思っていたが、これ監督は別な人なんですね。
三谷幸喜はあくまで舞台の作者であり、映画としては脚本と。
そして監督だった星護という人は、舞台を映画化する話を持ち込まれた時に、
「こんなに完成された舞台を映画には出来ない」と一度は断っているそうだから、
作品として舞台寄りになるのはむべなるかな。

映画はタイミングの笑いは難しいよね。いや、タイミングの笑いが難しいのではなく、
やっぱり舞台の呼吸で映画を撮るのが難しいのかもしれない。
面白かったが、舞台だなあと。舞台で見たくなる映画だった。


が、コメディ部分以外、というか終盤のストーリーは映画でこそ、かもね。
舞台で出来ないものでもないと思うが、せっかくすっきりとしたコメディが
別なものになってしまう。舞台はそのままがいい。
映画だとやはり何か付け加えないとならないかも。

わかっていたことながら、舞台と映画は別物として見るべきですな。
ラジオドラマ版もあるそうだが、それは視聴できまい。
よく書く。三谷幸喜。





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< かぐや様は告らせたい(実写版)>

2021年06月21日 | テレビで見た映画。
正月に録画した映画をいまさら見ている……。(5月)
そして記事にあげるのは多分7月頃になるだろう。

こういうバカッぽい話は嫌いじゃないのだが、
もう少し丁寧に作れば、もっと面白くなっただろうなーと思いながら見ていた。
白銀御行の配役は、ビジュアルは今回のでぴったりだったろうけど、
ノリもろもろを考えると、菅田将暉あたりでやって欲しかった。

まあアニメの方を見ても、設定は面白いんだが話として今一つ……と
感じるんだから、それを実写にしてすっごく面白い!になるかというと。
設定のポテンシャルに、話が永遠に追いつけないという感じでしょうか。

まあ最後まで見ました。
2が出たら見るかもしれない。テレビ録画で。見なくても痛痒は感じないだろうが。

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< 天気の子 >

2021年06月15日 | テレビで見た映画。
あー、面白くなかった……。

わたしは新海誠監督、「言の葉の庭」「君の名は。」
と見ている。
そして、この2つの共通の感想は、「絵は素晴らしい。しかし話をもっとがんばれ」
なんだよね。

そしたら「天気の子」はさらにそれが顕著になった作品でした。
テレビで録画を見たんですけど、最初の30分見て、どうしても面白くない。
話がいつまで経っても始まらない。正直、その後はながら見でした。
なので見逃している部分は多々あるかもしれない。


そもそも冒頭のシーンで、ひっかかっちゃったんだよねー。
窓の外に映るビルの形。それを見て「舞台はニューヨーク?」と思った。
クライスラービルにシルエットが似てたじゃないですか。
こういうビル、東京にあるんですか?

ビッグベンのような時計塔があったら、そこはロンドンだと思うじゃないですか。
でも次の瞬間には病室、窓の外の風景は日本らしい。
ここですでにもやもやが発生した。

相当高いところから見下ろした風景だから、大病院。しかも個室なわけだから
患者はお金持ちですよ。患者と少女の関係性は不明。

そして関係性が不明のまま(患者は低血圧で決して容体が良いとはいえない)
少女はなんだか突然光に向かって駆け出してしまう。
歩いて行くとかなり時間がかかるだろうなあ。1時間で往復は出来なさそう。
2時間留守にすると患者さんは大丈夫だろうか。
1人で置いていくことにためらいはないだろうか。そのためらいも描かれてない。

少年は東京で大変苦労しているが、ここまでするには何か大変な事情が……
と思って見ててもその事情がさっぱり語られない。
ここが語られないと、この少年の存在がリアルにならないんですけど。

家族は探さないのか?失踪届は?インターネットカフェの店員は通報しないの?
そんな突然ピストルが目の前に降ってくるわけが……
それを勝手に自分のものにするなんて、その時点で犯罪者、やべーヤツですよ。
まともじゃない。

あまつさえ、それを人に向けて撃つなんて。しかも2回も。
キャラクターにブレがあるんだよなあ。
そんな方法を取らなくたって、ストーリー的にいくらでも方法があったはずだが。

実際にはこの5倍くらいつっこみどころがあったので、
もうこの辺りでイヤになってしまった。設定が穴だらけ。
いっつも思うんだけどさ、こういうのは「AはBです」っていわれて「AはBなのね」
と素直に受け入れるだけの人しか見れないんじゃないだろうか。

具体的にいえば子どもですな。子どもは経験値が少ないから、提示されたものを
理解出来ればそれで満足出来る。大人はそれでは納得できない。
もう設定を見せられるだけ見せられて、しかしその間の必然性がないもんだから、
つくづく疲れる。

話は全然評価しない。つっこもうと思えば100では足りない。
「天気をあやつる少女」自体は別にいいと思うのだが、その周りをしっかり
リアリティで固めないと、単に思い付きのふわふわした空想で終わってしまう。
そんなふわふわした空想だけを延々と見せられ続けて、退屈。

新海監督は「君の名は。」に引き続いて、少年少女の、地球規模の災害を越える
運命の恋を描いているわけだけど、彼は何かそういうトラウマがあるのかね?
若い頃、大失恋をして、そこから立ち直ってないとか。
周囲の状況を考えすぎて別れてしまったとか。
周囲の状況に流されてダメになってしまった恋愛とか。

そういう執着があるのなら、周囲がどうなってもいい恋愛を描きたくなるかも
しれないなーとは思う。もっといえば、話の筋がどうなってもいいと思っている。
だが2作連続でそういうものを見せられるとうんざりする。
単に売れ線を狙っているだけかなと思っちゃいますよ。


絵はすばらしい。が、絵の細部を描くことにこんなに長けていると、
逆に話の適当さが際立ってしまう。
新海監督はさー、脚本にちゃんとした人を入れて、話をちゃんと作ったら
最強だと思うんだけどね。ちゃんとした人というのも難しいだろうが。
下手に大人を入れたら、現状の中二病的なストーリーが気に入っている層が
離れるだろうし。

まあわたしはもう新海監督の作品は見ないだろうから、いいですけれども。




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< アーヤと魔女 >(テレビ視聴)

2021年06月03日 | テレビで見た映画。
けっこう面白かった。飽きずに見られた。

その前にドキュメンタリーをやってたんだよね。駿と吾郎の。
クリエイター同士の父と子というのは壮絶なんだろうなー。しかも父が駿。
おそろしい。

宮崎駿の子どもにはなりたくないと思ったよ。
才能的にも性格的にも、周りを食い荒らすような激しさがある。
彼は大樹だけれど、そのために周囲の養分をすべて吸い取ってしまうのではないか。
世に長く残るような人には大なり小なりそういうところがあるような気がする。
そういう親が身近にいて、同じ土俵で勝負をしようとは吾郎は無謀な人だと思った。

わたしはジブリがとても好きだったんだけど「千と千尋の神隠し」で嫌いになり、
「ハウルの動く城」で、もうジブリは見ないと決別したので、
それ以降の作品は長らく見ていなかった。
なので吾郎作品は見ていない。悪名高き「ゲド戦記」も見ていない。
つい去年かな、ようやく「風立ちぬ」だけはテレビ放送を録画して見たが。

なので、ジブリという名前に対する思い入れはだいぶ減っていたんだよね。
駿に(クリエイターとして)不肖の息子扱いされている吾郎が
どこまでやってくるのかという興味が主だった。

そうしたら、この作品はなかなか悪くはない。
むしろ駿がそこまでけちょんけちょんに貶すほどではないと思った。
貶したからこそこのクオリティまで持って来られたというのはあるかもしれんが。

CGアニメになるのは仕方ないんじゃないかなーと思うよ。
やっぱり世代差がある。駿は手書きセルアニメを知り尽くし、その可能性を
驚異的に広げて作品を大きくした人だけど、そういう人がセルとCGを比較した時と、
物心ついた時にはCGもあり、CG技術が大きく発展するところを見て来た吾郎では
選ぶ道は違う。

セルは職人の世界。CGもわたしが知らないだけで職人技がたくさんあるのだろうが、
セルよりも万人が参加しやすい世界だと思う。またそうでなければならない。
今から始めるにあたって、セルというのは選択肢としてかなり難しい。
ジブリが恒常的に作品を作り続けるなら別だけれども、その時その時
集まっては解散するという形だとセルアニメのノウハウは蓄積されない。


※※※※※※※※※※※※


眼で見てるシーンの旨味はかなりあった。
例によってわたしは、舞台がイギリスってだけで3割方評価が甘くなるんだけど。
なので、建物も内装も、教会の尖塔も、見ているだけで楽しかった。

内装も良かったと思いますよ。子どもの家の温かみ。リアリティはないけど。
魔女の家のごちゃごちゃコッテリ感も悪くはないと思った。色使いは好きだった。
ちょっとあれですよね、イバラードの色合いを思い出させますよね、
「耳をすませば」の。

キャラクターは……ぎりぎり、魅力的だと思ったな。
事前に見たイメージ画だと全然魅力を感じなかったけど、生きて動くアーヤは
意外に良かった。


……が、話ははっきり言ってダメダメだなー。
ストーリーに魅力があるとはいえない。1時間半かけてアーヤが成長したわけでも、
魔女やおじさんが改心したわけでもない。3人が仲良くなりました、ってのは
後味のいい終わり方ではあったけれど、でも魔女が優しくなったのも
根本はおじさんに痛い目に合わされたためだし、その後アーヤに
「操られた」からでしょ。そういう話ではなあ、と思うよ。


問題は2つある。

背後関係が全く語られないこと。
「12人の魔女」と言ったのなら、この12人の魔女を出さずに終わるのは
許されない展開だと思うんですがどうでしょうね?
12人の魔女から逃げるために娘を孤児院に預ける――しかし赤い髪の魔女と
アーヤが親子だという明白な関係は描かれてはいない――ならば、
赤い魔女の展開も書くべきだと思うがどうか。

バンドの関係もなあ。バンドという設定はいいと思うんだよ。見た目派手でね。
が、バンドと魔女の関係性がまったく意味がなくない?出て行った経緯もわからん。
おじさんが父親ならもっと意味がある展開になると思うけど、そういうわけでもない。
青い髪の魔女とおじさんがずっと同居しているのも解せん。
この辺全然書いてないんだよね。そりゃあかんやろう。

もう一つの問題は、アーヤの属性「操る」は意味があるのか?ということ。
魔力にしなくても、処世訓として普通に有効だと思うんだけどね。
他人に対して、優しい言葉と行ないで応え続けていればいい人間関係が築ける。
それだけのことで、それは正しい行動だ。

それは魔力でも悪意でもなく、「操る」という功利的な表現でなく、
誠実な心のなせる業ではいけなかったのか。
この辺、原作はどういう風に書いているんだろう。


この2点は大きな問題点で、作品の出来不出来に大きく関わってくると思いますよ。
わたしはこの辺をまったく見なかったことにして「面白かった」と言ってるが、
お金を払って映画館で見たら納得できないことだろう。
話に盛り上がりがないしね。


赤い髪の魔女の声に外国人を持って来た意味がわからない。
別に歌だけ吹替でいいでしょう?似た声の人がいないわけじゃなし。
劇の最初の台詞ですよ。その台詞があんなに下手くそでは、その後見る気が失せる。

「耳をすませば」の、駿の立花隆起用に次いでワケワカラン・キャスティング。
立花隆はそれでも若干のネームバリューがあったからいいけど、
今回のこの人はほぼ知名度はない。使う意味が疑問。


やばいなあ。これ劇場にかける予定なのか……。
コケるよなあ。画しか見どころがないのに、時間をこれ以上長くしたら致命的。
今度こけたら吾郎に3度目はないんじゃないか。
話を完全に作り変えるつもりで臨まないと。

劇場版で魔女界のいざこざを描くつもりでいるのならワンチャン……が、
その際は赤い魔女の声の演技力のなさが致命傷になるだろう。
どっちにしても鬼門。


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< ユリシーズ >

2021年03月19日 | テレビで見た映画。
日本で「ユリシーズ」だったらジョイスじゃないだろうか……。

てっきり「ユリシーズ」が映画になったもんだと思って、
あの平坦な話をどういう風に映画にしたんだろうと思って録画し見てみたところ、
いきなり「オデュッセイア」で、え!?とびっくりした。
まあオデュッセイアの方が好きだからいいけれども。
オデュッセイアならオデュッセイアというタイトルにしないとさー。



イタリア語ではウリッセ?ヴリッセ?らしい。
三ヶ国の言語が関わると固有名詞は難しいですね。
ずーっと昔に中国人とチャットした時に、三国志の話をしようとして
諸葛孔明とか劉備とか英語でいえなくて苦労した。
漢字なら一発なのになあ。でも繁体字だと通じないのか?


さて映画ですが、えー、これは……「オデュッセイア」でした。
まあそれに尽きる。でもそこそこ面白かったよ。

最初のシーンはオデュッセウス帰国前のイタカ王宮。
美しいペネロペが、狼藉を尽くす求婚者の群れに苦しめられている。

――昔から思っていたんだけど、この求婚者の群れは何年も何年も王宮で
くだをまいていて一体何がしたいのかと思う。
立場としてはおそらくイタカ連合の小豪族たち。自分たちの領地もあるだろうのに、
ほっぽって夜な夜な酒盛りしていていいの?何年も?

もっと不思議なのは、そんなことをしててはペネロペに好かれるはずもないのに、
なんで誰かが抜け駆けしてペネロペの心をつかもうとしないのかということ。
皆と一緒に酔っぱらっているより、ちょっとでもペネロペに優しくすれば、
選ばれる確率はぐんと上がるのではないか。


オデュッセウスの苦難の旅の部分は回想。
キュクロプスの島やキルケ―の島、記憶を失ってナウシカアと結婚しそうになったり。
この辺、当時は特撮の最先端の技術だったんだと思う。
若干ほのぼのする。ほのぼのとは違うか。温かく見守りたくなる。

ペネロペの女優さんは美人でしたねー。
シルヴァーナ・マンガーノなる人。ああ「ヴェニスに死す」に出てたのか。
だいぶ前に見たなー。「タジュー」という呼びかけが耳に残っている。


最後はあまりすっきり収束してなかった気がする。
王宮にたむろする求婚者たちをことごとく殺戮して、
話としてはそれでめでたしめでたしで良かった気がするのに、
ペネロペがオデュッセウスの残虐さを嘆く展開。
「アテナ女神よ、元の優しいあの人を返して下さい!」とかなんとか。
はっきり大団円というわけではなく、すっきりしないなあ。

まあでも最後までそこそこ面白く見られました。
「ユリシーズ」ではなかったけど、これはこれで見られて良かった。


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< ムトゥ 踊るマハラジャ >

2021年02月11日 | テレビで見た映画。
この作品がえらく流行った頃があって、インド映画、これからドーンと来るのか?
と思ったけれども、そこまでは続きませんでしたね。
その後何作かは上映されたけれども。
名作と名高いこの作品だけは見たかった。


でも実はこれ、3度目くらいの挑戦です。
テレビでやる度に録画はして、最初はがんばって見ようと思うんだけど……
すぐ飽きてしまって。その度挫折。
今回ようやくなんとか見られましたー。それでも後半はほんとに辛かった。

映像的には面白いと思う。
色鮮やかな画面、くるくる変わる(変わりすぎる)状況、歌も踊りも面白い。
が、なんといいますか、やはりこのコッテリ感……。
自分の感覚で面白いストーリーだとはとてもいえない。

でもインド映画はこういうのなんだ、こういうのが面白いとされるんだ、
という知識が得られたのは良かった。

そして、普段知ることのないインドの生活ね。
これが時代的に現代のことなのかどうかということすら知らないで見終わったが、
ふんふん、男女間の地位はこんな感じなのかーとか、
ラジャはいまだに慕われてるんだなあとか、
召使いたちはやはりカースト制の中にいるんだろうなあとか、
フィクションだから現実をどのくらい映しているのかは不明だが、イメージはつかめた。
フィクションからどの程度現実を見ていいのか、危ういところだが。

お母さん役の女優さんが好きだったな。
がんばって見た。見られたことが良かった。


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