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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「女性の貧格」

2007年09月20日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

『人は誰でも、『貧性』というものを備えているもので
ございます。
『貧』とは、あなた様が「重きを置いていないもの」のこと。
私は、そんなあなた様の『貧』を探りあて、その奥にある魅力に、
恐れながら迫らせて頂きます。
おっと、申し遅れました。
私はあなた様のお屋敷でお仕えしている執事でございます。
以後、どうぞお見知りおきを。 』

マイバースデイのサイトで「女性の貧格」なるテストがあり、
早速また試してみました。

結果の方は……。
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【ココロ占領度】

行動力50%
社会性 21%
美容 13%
恋 10%
暮らし 4%

勉強 2%

「あなた様は考えるよりも先に身体が動き出してしまう、
大変アクティブなお方です。
普段から学ぶ姿勢などまるで感じさせず、余計な事に頭を使わず、
ほぼフィーリングで勝負される見事なお手並み、私大変尊敬
致しております! 
野性的なカンを日々鍛えていらっしゃるあなた様ですから、
想像力やひらめきなどの感性には、大変優れておいでです。」


【もし庶民の暮らしが御所望なら…】

素晴らしい感性をお持ちのあなた様ですが、もし庶民の生活をお望み
でしたら、読書や習い事などで足りない知識を補ってみてはいかがでしょう? 
学ぶ事で庶民に近づけますよ。
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「考えるよりも先に身体が動き出してしまう」とか、勉強が不足して
いるとか、微妙に当たっていると思いました。

「読書の秋」でもあり、また本を読みたくなりました。


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ラベンダードリーム

2007年09月19日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

某魔女の本からです。
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<ラベンダードリーム>

(用意するもの:ラベンダーのポプリ)

昔からラベンダーには記憶をよみがえらせる力があると
言われています。
最近は心をリラックスさせる香りとして大人気のラベンダー。
記憶力アップとリラックスの一石二鳥の効果が期待出来ます。

勉強する時は、デスクの上にラベンダーのポプリを置きましょう。
可愛い入れ物に入れて、ペン立てのそばにどうぞ。
勉強に疲れたら、そっと香りを吸い込んで。
更にテスト前には、ラベンダーのポプリを小さな袋に詰めて
枕元に置けば、さっきまで勉強していた事が、ラベンダー・
マジックで頭に定着するから不思議。
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以前ラベンダーの香りの紙石鹸を頂いた事があって、
そこにも気持ちを落ち着かせたい時にも利用して下さいと
いった説明が書かれていました。

わたくしにとってラベンダーとは北海道の土地との結びつきを
思い出させるものであり、またこちらではラベンダーが
まず見られない事をさびしく感じています。

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金にも鉛にも

2007年09月18日 | Weblog
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80年代に書かれた某書からです。
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デスクの電話が鳴る。
営業課で同期のC子さんからの電話。
『来週接待でお座敷の天ぷら屋さんを使いたいの。
B子さん、どこか知らない?』

そこでB子さんは電話を切ると本棚に行き、グルメガイドを
探し始める。
ピックアップする事25分、C子さんに電話をかけついでに
10分おしゃべり。

そこへ『実はこの書類を整理するのにファイルがいるんだけど、
今度買っておいてくれないかな。』と言われ、文房具店まで
出かけ、ついでに頼まれていた得意先への贈り物を探す
ために二、三件のぞく。
そうして40分後に席へ戻ると、伝票に不備があったので、
ついでの時に印鑑を持って来て欲しいと言われる。
仕方がないので、また席を立つ。

10分後にデスクに戻ると、11時40分。
もうお昼休みまでいくらもない。
本当は言いつけられている企画書を書かねばならないのだけれど、
今手をつけても仕方がない気がして、伝票の整理をして過ごす。
そうしてB子さんの午前は過ぎていった。

午後になってやっと企画書に取りかかろうとしたけれど、
後でのどが渇くと困るので、まず地下の自販機にコーラを
買いに行く。

それからやっと引き出しを開けて企画書の用紙を探すが、
切れていたので庶務課に足を運び、二時近くなってからペンを
取る。
でも15分もしないうちに週末のデートでコンサートに行く予定
だったのを思い出し、ピンクの電話の所に行って問い合わせを
する。

そしてまた20分ほど仕事に向かうが、わからない字が出てきて
しまったので、辞書を借りに行き、ついついおしゃべり。
それからまた企画書に向かい、どこまでやったか思い出した頃、
差し入れの大福があり、勇んでお茶を入れ、皆に配る。

企画書は半分も出来ないうちに、その日も終業のベルが鳴った。
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「一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ」とか、「時はその
使い方によって金にも鉛にもなる」など、時間に関した格言は
非常に多いですが、そうした格言集を集めたページがあります。
http://kuroneko22.cool.ne.jp/time.htm

上の同書にはまた、

「『何かをしたいけど時間がなくて』とあきらめてしまう人
というのは、時間の使い方について、もう一度考え直す必要が
ありそうだ」

「用件に追われている時は、メモに書き出して重要な事から
片付けていく、ついでに出来そうな事はなるべく一緒にとり
かかる、どうでもいいような事は切り捨てる、そうしていくと
いくらでも時間はひねり出せる、要は時間を意識して使うという
事なんだね。」

とありました。

わたくしもしばしばもっと時間が欲しいと感じる時がありますが、
時間の使い方についても見直す必要がありそうです。



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ドイツの小人

2007年09月17日 | Weblog
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ある児童書に載っていた「ポエム」です。
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<幸せの木の実>

秋が来ると思い出す

どんぐりを拾いに行った時のこと
母が言った
"どんぐりは幸せの木の実 持っているだけで元気が出るのよ"

たぶん
私はまだ3歳になったばかりだけど
今でも よーく憶えている

あれから
私の宝物入れの中には
いつも どんぐりが入ってる

ちょぴり悲しいとき
なんだかさみしい時
だから
どんぐりを手に乗せると
ハートにポッと
灯がともるみたい

今度の休日
どんぐりを拾いに行こっかな……
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今こうした文調の「ポエム」を読んだらくすぐったくさえ
感じますが、わたくしも子供の頃にどんぐりを拾って
集めた事があり、それをまた思い出させます。

しかし集めたどんぐりから、ある時一斉に何かの虫の
幼虫が湧き、それがトラウマになってしまったので
その後どんぐり拾いはしなくなりました。

画像の方は、ある魔法使い本に載っていた、どんぐりの
小人の作り方とかで、幸せを招くお守りとか書かれています。
どんぐりがなければ、ワインのコルク栓でも代用出来る
との事です。




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天国の門

2007年09月16日 | Weblog
80年代、ある雑誌に「ルルドペンダント」なるものの
通信販売の広告が掲載されていました。

「ルルド」と言えばカトリック教徒以外の人々にも
世界的によく知られている南フランスの一大聖地であり、
その洞窟の湧き水を身体に塗布したり飲む事で、
時に医学的説明の不可能な即時の治癒を得たり、
また治癒を得られなくても、病気に対する忍耐を
与えられたりすると言われています。

それに便乗したこの「ルルドペンダント」の広告には
こうした体験談なるものの文章が踊っていました。

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『夢のような理想の女性と結婚できた。』(26歳の鉄鋼会社勤務)

『不思議と心が穏やかになり、商談が上手くまとまったり、
心底から話しが出来る女友達に出逢ったりという事が
多くなった。』(埼玉県の20歳の大学生)

『自分本意で僕の悪口を平気で言っていた彼女が、考え
られないくらい献身的になり、色々尽くしてくれる。』
(22歳の店員)

『(前略)それから僕はルルド狂、それまでの暗い生活が、
嘘のように変わり始めました。』(20歳の大学生)

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こうした広告の「投稿」なるものは、実際は専用のライターが
書いている事がよく知られていますが、こうした文章を
見る限り、この商品が20代の、特に女性と関わりを求めて
いる男性をターゲットにしているように感じました。

本当のカトリックの見方では、「水」そのものが奇跡的な
力を有するという事ではなく、しかも「異性問題の解消」
だとかを願ったり、それを宣伝材料にしたりするのは正しく
ないはずなのですが、現在はネット上などで、そうした
宣伝を信じた人々の間で更に新たな誤信や迷信が生み出されて
いるような状態で、収集がつかなくなっている事を感じて
います。

このペンダント自体は既に製造中止になっていると思い
ますが、同様の発想での「ルルドの水の幸運ペンダント」
「ルルドの奇跡のペンダント」なるものは、現在もネット上などで
大量に、しかも尋常でない価格設定で販売されており、実際
ルルドほど誤解されている聖地もあまりないのでは、と正直感じて
しまいます。



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河童の手

2007年09月15日 | Weblog
有島武郎の作品の一つに、「溺れかけた兄妹」というものがあります。

これは「九月に入ってから三日目」に、13歳の私(兄)と、14歳の
友人(M)と、11歳の妹が海辺に水遊びに行き、「もう波が荒くなって
いるから行かない方がいい」と祖母がとめるのも聞かず、お名残に
泳ぎに行きます。
初めのうちは楽しく波を越す遊びをしていたのですが、危険を
忘れて遊んでいるうちに、いつの間にか足の立たない所にまで
流されているのに3人は気づきます。

沖の方に流されつつ、やっと泳ぎを覚えたばかりの3人は
溺れそうになりながら必死に泳ぎます。
妹は特に何度も沈みそうになりながら、私(兄)に助けを求めます。

『私も前に泳ぎながら心は後にばかり引かれました。
幾度も妹のゐる方へ泳いで行かうかと思ひました。
けれども私は悪い人間だつたと見えて、かうなると自分の命が
助かりたかつたのです。
妹の所へ行けば、二人とも一緒に沖に流れて命がないのは知れ
切つてゐました。
私はそれが恐ろしかつたのです。
何しろ早く岸について漁夫にでも助けに行つてもらふ外はないと思ひました。
今から思ふとそれはずるい考へだつたやうです。』

結局先に岸に泳ぎ着いていた友人Mが見知らぬ若い男に頼み込んで
妹は救助されるのですが、それまでの心理描写が人間の一面という
ものをよくとらえているように感じました。

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「カサンドラの小宇宙」

2007年09月14日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

某書からです。
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ローマ時代の終わりの頃にカサンドラという強い魔力を
持った魔女がいました。
カサンドラは白い魔女でしたので、人々の間では人気が
ありました。

でもキリスト教徒達は彼女を黒い魔女として牢に入れて
しまいました。
その頃はまだ魔女を火あぶりにしろ何ていう怖い法律は
ありませんでしたから、彼女は牢に入れられるだけで済みました。

でもその牢はとても居心地悪く出来ていて、床は地下水がたまって
いるのです。
ですから牢に入れられたカサンドラは、くずれかけた壁の
レンガを五つ六つ積み上げて、その上にじっとしていなければ
なりませんでした。
これは忍耐力のいるつらい苦行でした。
それでもカサンドラはじっとそれに耐えていたのです。

そのうちに彼女の魔力は小さな空間に押し込められた事に
よってよけいに強くなり、ついにある雷の激しく鳴る夜に
厚い牢屋の壁を破り、自由な世界に脱出してしまいました。
カサンドラは深い山中に潜んでしまったので、それきり姿を
現しませんでしたが、魔女達はカサンドラの苦行を思い、
また忍耐力と力の増大のために『カサンドラの小宇宙』という
小さな空間を自分達で作りました。

作り方は簡単です。
縦40センチ、幅15センチ、厚さ3センチの寸法の板を作り、
その上に乗ってどのくらい長くいられるか試してみるのです。
はじめのうちは5分間も乗っていると、もう降りたくて仕方が
なくなってしまいます。
でも練習すると、15分くらいは乗っていられるようになります。
それ以上はプロフェッショナルになるのでなければ、却って
逆効果です。

このカサンドラの小宇宙は、忍耐力、平衡感覚、集中力などを
養うにはとても効果があります。
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これは80年代に出版された児童書からですが、現在は20年前よりも
更に、こうした忍耐力を養おうとする試みや、即効性のないやり方は
敬遠されがちではないかと感じます。

しかし、同書にはまたこのように書かれています。
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『私はすぐに白魔女になりたいのでカタログを送って下さい。
いくらかかるのかも教えて下さい。』
というお手紙が届く事があります。
思わずふきだしてしまいました。

まさに現代っ子ですね。
でも本当の白い魔法使いになるには、カタログ販売のプログラムを
組み立てるようにインスタントにはいかないのです。
どんなスポーツや芸術でも実力を発揮するにはそれなりの
努力と訓練がいるのは当然の事です。
まして人々に幸福をもたらす魔法使いや、人々の未来を
見つめる占術家は、自分だけの事ではなく、他の人の運命と
関わるだけに、よほど自分自身を厳しく鍛える覚悟と根性が
必要です。

「結果」ばかりでなく、その「結果」に至る努力を大切に
したいものです。
(後略)
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「アルテミスに祈る」

2007年09月13日 | Weblog





(ネオ・バベッタ)
ζ~(  `m´)~ζ 「…アルテミスの加持を求める場合

            供物は アーモンドがよろしいとされます。

            香を燃やす時に イトスギの油を数滴垂らして燃やすと

            特に アルテミスに捧げるにふさわしくなるとされます。」


★「アルテミスよ
  己に負わしめたる限界より解放する法と
  我が人生の内側より 引き出し得る
  すべての喜びと成功をうる法を 教えたまえ。」
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果樹園の女神

2007年09月12日 | Weblog
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果樹園の女神として知られるパモナは、初めての子である
クピトを可愛がり、片時もそばを離れませんでした。
クピトの方も母親から決して離れず、いたずらをしたり、
外に出るような事はありませんでした。

クピトが5歳を迎えた歳、パモナに国の安泰を願うために聖火を
灯す役目が回ってきました。
その仕事は6人の女神達がそれぞれ一年ずつ交代で務める
事になっており、そのためその一年間は母と子が別れて
暮らさねばなりません。
いくら辛くても、それは女神として避ける事の出来ない仕事です。

彼女は息子クピトを、出産の女神ルキナに預けました。
最初は泣いてばかりしたクピトでしたが、いくら泣いても母親が
戻って来ない事を知ると、今度はルキナから離れなくなってしまい
ました。

ルキナはこの子がこのまま育っては大変な事になると考え、
まず最初にクピトを森に連れていきました。
彼は喜ぶどころか、虫が跳ねたと言っては恐れおののき、
小鳥が自分の肩に留まったと言っては泣き叫ぶ有様です。
実はその小鳥は母のパモナが息子の所に花の小枝をくわえて
運ばせたものですが、クピトは知りません。

しかし何回か森に通わせられるうちに、クピトから次第に
臆病な心が消えていきました。
森で遊ぶ事の楽しさを知り、そうすると少々の怪我をする事も
恐れなくなり、これまで知らなかった事を知るようになりました。

一年後、息子の所に戻ったパモナは、子供の変わりように
驚いたそうです。
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この話しは現在一部でも問題になっている、母親の子供に対する
過保護に対する教訓的な意味も備えているように感じますが、
現在ネット上で、成人したにも関わらず母親の過干渉に
悩む人達が互いに話し合っているのを見る事が出来ます。

そうしたものに対する、説得力のある意見を見つけました。
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「子離れ出来ない親」の子供は「親離れ出来ていない」事が多い。
子供から先に親離れすれば、親は最初は泣いたり騒いだりしたとしても
そのうち子供への執着を諦める。
親が泣いたり騒いだりした時に子供が それを「可哀想だな」と思って
親離れを諦めてしまうと親はそれを 敏感に察知してますます子供に
寄りかかってくる。共依存というんだっけ。
親に子離れさせるためには子供の親離れが先&必須な気がしまつ。
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「依存しない事」というのは、どんな場面でも重要であると感じます。

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貝殻の中の紙片

2007年09月11日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)


「ペトロ岐部と187殉教者」、そして天正遣欧少年使節の
一員であった中浦ジュリアン神父がカトリック教会で聖人の
一段下である「福者」に上げられるというニュースが広がったのは、
確か今年の3月頃の事でした。

そしてバチカンでの承認手続きなどが済み、6月1日に正式に
承認されたのですが、このニュースが広まり、また長崎で11月に
この列福式が挙行されるという知らせが広まるや否や、長崎の
ホテルや宿泊施設には11月の予約が殺到し、5月の時点で全ての
宿泊施設の予約は既に一杯になってしまいました。

わたくし自身も3月のニュースを聞いた時、丁度長崎を訪れる
良い機会かと感じましたが、そのための準備もなく、病気も
治癒の見通しが立たず、更に長崎の宿泊施設の予約も
無理となってしまい、行く事が出来なくなってしまいました。

画像の方は、昔児童用の本についていた付録です。
キリストの心は正式に「キリストの聖心(中国語では耶蘇聖心)」
と表記されますが、しばしば教会以外の場所で、直訳として
「キリストの神聖なハート」と表記される事があります。
その児童書でもそのように表記され、しかも「幸運を招く」と
説明されていたのには少し驚いてしまいました。
またこの付録の図は正式な図像を簡略化したもので、正式
なものではありません。

切支丹ものの歴史小説というと、坂口安吾の『わが血を追ふ人々』
というものがあります。
これには天草(ヒエロニモ)四郎が登場したりしますが、乱とその
開始については書かれていません。

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「いゝえ、神父(パードレ)さま、私はお金の事ばかり考へて
ゐるわけではありません。
霊(アニマ)のたすかりの事を第一に忘れてはをりませぬ。
また、慈善の心も忘れてはをりませぬ。
幸ひ多少の富ができたなら、父母と同じやうに、他の人々をも幸せに
する事が出来るでせう」

「その考へは誰でも、当然さうでなければならない事だ。
ヒエロニモよ。
お前はこの世をどう考へてゐるか。
切支丹の尊い教は邪教の人々によつて禁制せられてゐる。
清い正しい奉教人がその清さ正しさのために捕へられて、見よ、
あの殉教の丘で何人の人々がその血を流し、又、生きながら
焼かれて死んだか。

私達が生きながらへて奉教人の道を失ふまいと思ふなら、
私のやうに野に伏し山に寝て人目をくゞるか、さもなければ
聖像を足にふみ不信を天主様に詫びながら悔恨の多い一生を
辿らなければなるまい。このまゝで良いとお前は思ふか。

このやうな汚れた世に、あくせくとお金をもうけ、そのお金で
身の小さな安穏をはかり、それを孝養だの慈善だのと呼ぶ事が
怖しいとは思はぬか。
それが天主様のお心にかなう事だとお前は考へてゐるのかね。」

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今年の列福の盛大な式が強調される一方で、現在のモダン主義の
空気が多分に流れている教会では、中々こうした命がけの
真剣さを備えた言葉や説教は聞く事が出来ません。
式を行い祝う一方で、こうした考えに戻る必要がある事を
個人的に感じています。


「あゝレシイナ、お前だけは私のそばから離れてくれるな。
彼は気違ひになりさうだつた。」


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