goo blog サービス終了のお知らせ 

宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「法相荘厳」

2006年07月10日 | Weblog
チベットには二千年以上もの歴史を有する独特の文様を
持つジービーズ(西蔵天珠)があります。
これは1センチほどから数センチの長さのこげ茶色の
メノウに白色の線で模様や目が染められているビーズ
です。
http://www.linkmirror.jp/story.htm
http://www.linkmirror.jp/rank.htm
白線は彫られているわけでも埋め込まれているわけでもなく、
本物を製造するには親子3代で、祖父が染め始めたものが
孫の代で完成するものと言われています。


現在は台湾製や中国製のアルカリ性溶液を使用して作る速い簡易な
方法で製造された模倣品ジービーズが市場に多く出回っています。
こうしたものですと本物では数十万から数百万円のものが、
一万円から数万円の値段となり、しかも入手は更に容易です。
しかしわたくし自身は80万円や150万円の本物を手にした事が
ありますが、やはり真正のビーズの品格と存在感が圧倒的に
異なる事を実感しました。
また真正のビーズは折れたり破損したものにさえも価値が残り、
損傷の受けていない部分だけを取り出して装飾品などにされる事も
多くあります。
我が家にはあるのはそうしたものが殆どです。

現在このビーズの愛好者が日本でも増加しつつある様で、ネット上
の掲示板などでもこれについて語られていたのを見かけたりしましたが、
話題の殆どは「宝石の力」という本やネットからの知識の受け売りが
多かった様に思います。
日本でも現在研究や紹介が進んでおりますが、今後更に進みます事を
希望しています。

真正のジービーズは大抵家宝として代々その家に伝えられているもの
であり、これを一つ売る場合、あちらで一つのビルを建築し所有出来る
ほどのお金が手に入るそうです。
現在ではその人気ゆえに所有者に売却を強いたり、遺体と一緒に
埋葬されたビーズを盗掘する様な泥棒まで出現しております様です。

先日の御祭りで、そうした家宝とみられるビーズを連ねたネックレスを
着用した女性を見かけました。その一本のネックレスの市場価値は
恐らく億円にまでもなるものでしょうが、本来のあるべき所にあるという、
そうした印象を受けました。
コメント (2)

チャパティレシピ

2006年07月09日 | Weblog
先日美味しいインド料理を食しましたためか、
またカレーなどを食したく感じました。
本日はトマトソースがベースのカレーと、
ヨーグルトサラダ、そしてチャパティ(インドの
薄焼きパン)を作りました。
チャパティは個人で多少作り方が異なります様で、
本日はその中の一つのレシピです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
全粒小麦粉(アター)3カップ
水 4分の3カップ
植物油 大さじ1

1.ボウルに小麦粉と油を入れ、水を少しずつ入れながら
耳たぶほどの柔らかさになるまでまとめて練る。
2.一かたまりとなったものから、それぞれゴルフボール程度の
サイズにちぎり分ける。
3.ボール状のかたまりを掌で打って平らにし、更に打ち粉を
ふった台の上に置いて厚さが1~2㍉の円形になるまで麺棒でのばす。
4.熱したフライパンに油をひかずにそのままのせ、両面を焼く。
5.フライパンから取りだし直接熱源に近づけて、炙って両面に
焼き色をつける。
6.熱いうちにギー(インドの無塩バター)を塗り、更に出来上がった
ものを上に重ねていく。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
カレーをライスと共に食します場合、本当はインディカ米で
食するものですが、わたくし自身は幼少の頃から日本の標準である
水分と粘りの多いジャポニカ米で食しておりましたため、時折
ジャポニカ米で食したく感じます事があります。
コメント (2)

"雪山で周囲を囲まれた国"

2006年07月08日 | Weblog
食事はチベット人の婦人方が作った家庭料理でした。
本日の料理はインド料理で、ナンやスパイスライス、
それに数種類のカレーや、スパイスやソースで味付け
をした数種類のじゃがいも料理などでした。

日本のインド料理レストランの中にはスパイスの使用を減らして
原価を下げるために、ソースに粉を混ぜる店があります。
日本人や西洋人にはあまり違いが感じられないのですが、
チベット人やネパール人、インド人には非常に不味く感じられる
様で、「どうしてあの様な味を日本人が美味しく感じるのか
理解に苦しむ。」と言っていた知人がおりましたが、この日
出された料理はいずれもそうした怪しげなものではなく、
数十種類のスパイスの調合の妙と言いますか、また確かに
そうした粉を使用したレストランの味よりもずっと美味しく
感じました。

食後は彼らの伝統的な踊りや歌の鑑賞の時間となりました。
チベット人女性はお洒落な方が多く、まとめ髪もかんざしや
クリップを上手に使用されておられる方が大変多いのですが、
特別な衣装を着用して踊る女性達が準備をしていた時、偶然二色の
紐の束と髪の束を一緒に編み込んでいく彼らの独特の髪の編み方を
している所を目撃しました。
編んでいる女性は非常に慣れた手つきで速く紐の束と毛束を美しく
編み込んでいき、思わず見入ってしまいました。

踊りや歌を鑑賞していて、アジアの原風景という印象を受けました。
また法王の御誕生日でありましたため、「テーンズィーン・ギャー
ツォー」と彼の歌が歌われる事が多かったです。

Tさんという夫の知人の一人が夫に語りました。
「私達は通常毎日瞑想をしたりするのですが、この国では皆忙しすぎ、
また各個人に与えられる社会的な責任が重過ぎるために一週間一回
程度となっています。この国は忙し過ぎます。」

以前にも他のチベット人が同じ様に語っていた事を思い出しました。
人々が活動のために活動し、過剰に外の世界に関心を寄せ、自身の
物質的・経済的な更なる豊かさを求めて常に走り続けている事が奨励
されているからこそ、この国は社会的には常に最新最強を達成し、
経済的な恩恵を得ていますが、各個人は常に忙殺され、社会の中で振り
回され続けている様に、わたくしも感じます。
コメント

タシデレ!タシデレ!タシデレ!

2006年07月07日 | Weblog
7月6日はダライラマ14世法王の御誕生日であり、
この日もチベットの祝日となっています。
本日は御祝いという事で、寺院では一日を
礼拝を捧げたり、歌ったり、踊ったり、食べたりして
過ごします。

普段の礼拝や勤行の出席者の半分は白人でありますが、
本日はアメリカでは平日に当たっておりますため、
出席者の95%はチベット人で、また知人や夫の同僚も
幾人か参加していました。また女性は彼らの正装をして
いる方が殆どでした。

夫とわたくしがあちらに到着した際、寺院の中は既に
満杯でした。読経中などは時折人の出入りがあるので
外で空きを待たねばなりませんでした。
外には大鍋に入ったレーズンライスや御茶があり、一人の
婦人が通常の2倍以上のライスを盛ってくれました。
それを手で食したりバター茶を飲んだりしながら待っていました。

空きが出来たので中に入り、一通りの式が終わると次は外の
仏塔に向かいました。また仏塔を回る前に赤い紐の御守りが
配布され、それを首に結んで頂いて、ツァンパを撒いて皆で
仏塔を回って祈りを捧げました。
わたくしにはここがアメリカではなく、チベットの様に思われ
ました。

食事の前に時間があったので、寺院内で五体投地してカタ(聖白布)
を捧げました。また小さな子供達の前に倒れ転ぶ様にして一生懸命に
五体投地をしている姿が印象に残りました。

続きは明日に…
コメント (4)

「四句と感応」

2006年07月06日 | Weblog





この四句を毎日3遍~21遍誦す事で 福報が得られるとされますが

やがて 夢の中で殺人か臓水、糞尿か火事、
剃髪か 恐怖を感じる中で顔なじみを見るとされ、

そのような恐ろしさを感じる夢を見る時に
自分の業障が解けているとされます。


「尽一切悪得須陀えん(じんいっさいあとくとくしゅだえん)
然后布施遠離諸苦(ぜんこうふせおんりしょく)
受苦衆生令得解脱(じゅくしゅじょうれいとくげだつ)
怖畏衆生令得遠離(ふいしゅじょうれいとくおんり)。」
コメント

その種子は燃える

2006年07月05日 | Weblog
現在は西洋人の帰依者向けのチベット仏教書が
いくつか米国内で出版されています。
中には法王御自身が西洋人に多くありがちな疑問、
キリスト教との関わりや転生の有無、森羅万象を
生み出したものの概念などのデリケートな質問に
明快に回答されていく質疑応答集の良書が
あります。

法王御自身の講和などを目にしましたわたくしの印象
ですが、大乗仏教の土台を持つ国と持たざる国への
アプローチはやはり少々異なっている様に感じられました。
西洋の国々、キリスト教を基本としている国に対しては、
仏教は一つの道であり、実存に対するアプローチの仕方であり、
真理の源泉に到るための方法の一つと強く語られておられます。

自身に贖いと救いをもたらす特定の救世主を信じる事がその宗教の
根本にあり、「私は救世主とその約束を信じている。私の救いは
確実だ。」という宗教を土台とする国では、仏教に対し非常に
遠回りで、不確実で、空虚な教えと感じる人々もやはりいる
で、そうした人々に対してはまずその様に語りかけますのが適切で
あるのでしょう。

しかし東洋の、仏教や瞑想文化の深く根ざした国、仏教への
理解という門が完全に開かれている所では、当然とも言えますが、
その段階を越えた御話しをされておられました。
この西洋人に対する応答集は基本的に東洋人には不要であり、
また却って混乱をもたらす場合さえもあり得る様に思われました。

その書の中で一つ科学との関わりに関する、ある意味では
西洋文化的な質問がなされていました。
「例えば転生などの現在仏教が大前提としている事柄に関して、
科学者がそれを否定する誰にも動かせぬ証拠をあなた方にもたらした
としたら、あなた方はどうしますか?科学者の結論を否定しますか?
それとも教義に変更を加えますか?」

そこで法王は答えられました。
「もしそれが確実であり、まさに真実であるならば、我々は常に
真実に従う者なのでそれに従います。例えば一つの経典の中で、
地球が平面であるという記述がありましたが、現在我々はそれを
否定しております。地球が球体である事が証明されたからです。」

この一つの質疑応答は非常に興味深く思われました。
非常に知性的であった仏陀が全てを捨てたのは、生に対する
疑問からでした。その疑問なしに仏陀が出家する事はあり得ません
でした。
そして科学も疑問、疑いから始まるものであり、本来の仏教と
科学はそうした類似した質を持っている様に、個人的に感じます。

「あなたにもその火が燃え移る…エゴが焼き消され、あなたは
啓かれる。」(サッチダーナンダ)
コメント

「息を止めたら…」

2006年07月04日 | Weblog
Tが今月映画「スーパーマン」を見たい、また日本料理を
食べたいと夫に語ったそうです。
わたくし自身はスーパーマンシリーズを見た事はなく、
本日はYou Tubeで「来来キョンシーズ」を見ており
ました…。
http://www.youtube.com/watch?v=3iSRteBUARI
このシリーズは現在GyaOでも配信されております。
http://www.gyao.jp/sityou/catelist/pac_id/pac0000712/

コメント

 「悪しき星回りや凶兆や難を除く」

2006年07月03日 | Weblog




(  `m´) 「…画像のものは 中華圏で使用されるもので
          印刷して使用します。」


(  `m´) 「…実物は 燃やす事が前提で作られていますので
         紙は薄く また印刷もあまりよくありません。
         裏側には何も書かれていません。」



(  `m´) 「…末尾の年月日の空欄に 日付を書き入れて
          燃やします。」
コメント

「性格は顔に、生活は体に。」

2006年07月02日 | Weblog
この数ヶ月でオンラインゲームの広告が大幅に
増加した様に感じています。これはこの種の
市場の急速な拡大と見て良いと思われますが、
ネット上の一部の体験者や専門家の間などで
オンラインゲームの依存性や中毒性の高さが
これまでも指摘されており、個人的な趣味として、
娯楽の一つとして楽しむ分には特に問題は
無い様に思われますが、個人的にはあまり歓迎
する事が出来ずにおります。

近年のいわゆる「ニート対策」というものが、「職につかない若者」
の増加による社会問題化によって、多くの時間を要していよいよ
本腰が入れられ始めた事と同様、このオンラインゲームの類も多くの
依存者による精神的な、もしくは人生の崩壊例が社会的に認知されます
には更に多くの時間を要します様に思います。

http://blog.livedoor.jp/netgameoff/
こちらはオンラインゲーム上で出会った人々の実際に出会った時の
印象や珍事の投稿を集めたブログでありますが、中毒に陥った人々の
外見は極端な肥満か、もしくは栄養失調の様に見える極端な痩せ型に
なる場合が多いとの証言もあります。
この中で「性格は顔に、生活は体に表れる。」との意見があり、
妙に納得してしまいました。

またこちらのサイトではアメリカ国内の事例が取り上げられて
います。
http://www.nbc-online.org/contents/column/021.php
「日本と違い企業や地縁コミュニティとの帰属感が薄く、
更に異なる人種や文化の人間が混在する米国社会では、積極的に
自から進んで人とソーシャライズしない限り、他の人達を知る
機会は極端に少なくなります。
また自宅勤務が増え、誰も他人に注意を払わない傾向が強く、
1週間も人と会わず話さなかったなんて話も耳にするぐらい
孤独な社会です。
こうした社会だからこそ、このシムズのように現実の孤独感を
仮想世界で癒し、仮想の自分がオンライン上で巡り会う仮想の
他人との関係を喜びと感じるのかもしれません。」

オンラインゲーム上では簡単に全く異なる自分像を演じたり、
絵に描いた様な「魔法」が使用出来たり、富豪になれたりするそうです。
また参加者が一致団結して戦ったり、恋愛や結婚まで可能であったり
するそうです。

自身が求めているものの想像的埋め合わせが容易に可能なオンライン
ゲームの依存性はこうした点にもある様ですが、もしこうしたものへの
情熱と時間と金銭が別の事に、自分の国や社会、そして世界に対して
向けられるならば…と感じてしまいました。
コメント

大きな鉢

2006年07月01日 | Weblog


わたくし自身は日本でもこちらでも飴やガムを口にする習慣が
ないので、こちらに5年以上住みながらもアメリカのガムを口に
した事がありませんでした。
夫が同僚から幾つかのガムを戴いたので、本日初めて口にする事に
なりました。
コメント