現在は西洋人の帰依者向けのチベット仏教書が
いくつか米国内で出版されています。
中には法王御自身が西洋人に多くありがちな疑問、
キリスト教との関わりや転生の有無、森羅万象を
生み出したものの概念などのデリケートな質問に
明快に回答されていく質疑応答集の良書が
あります。
法王御自身の講和などを目にしましたわたくしの印象
ですが、大乗仏教の土台を持つ国と持たざる国への
アプローチはやはり少々異なっている様に感じられました。
西洋の国々、キリスト教を基本としている国に対しては、
仏教は一つの道であり、実存に対するアプローチの仕方であり、
真理の源泉に到るための方法の一つと強く語られておられます。
自身に贖いと救いをもたらす特定の救世主を信じる事がその宗教の
根本にあり、「私は救世主とその約束を信じている。私の救いは
確実だ。」という宗教を土台とする国では、仏教に対し非常に
遠回りで、不確実で、空虚な教えと感じる人々もやはりいる
で、そうした人々に対してはまずその様に語りかけますのが適切で
あるのでしょう。
しかし東洋の、仏教や瞑想文化の深く根ざした国、仏教への
理解という門が完全に開かれている所では、当然とも言えますが、
その段階を越えた御話しをされておられました。
この西洋人に対する応答集は基本的に東洋人には不要であり、
また却って混乱をもたらす場合さえもあり得る様に思われました。
その書の中で一つ科学との関わりに関する、ある意味では
西洋文化的な質問がなされていました。
「例えば転生などの現在仏教が大前提としている事柄に関して、
科学者がそれを否定する誰にも動かせぬ証拠をあなた方にもたらした
としたら、あなた方はどうしますか?科学者の結論を否定しますか?
それとも教義に変更を加えますか?」
そこで法王は答えられました。
「もしそれが確実であり、まさに真実であるならば、我々は常に
真実に従う者なのでそれに従います。例えば一つの経典の中で、
地球が平面であるという記述がありましたが、現在我々はそれを
否定しております。地球が球体である事が証明されたからです。」
この一つの質疑応答は非常に興味深く思われました。
非常に知性的であった仏陀が全てを捨てたのは、生に対する
疑問からでした。その疑問なしに仏陀が出家する事はあり得ません
でした。
そして科学も疑問、疑いから始まるものであり、本来の仏教と
科学はそうした類似した質を持っている様に、個人的に感じます。
「あなたにもその火が燃え移る…エゴが焼き消され、あなたは
啓かれる。」(サッチダーナンダ)
いくつか米国内で出版されています。
中には法王御自身が西洋人に多くありがちな疑問、
キリスト教との関わりや転生の有無、森羅万象を
生み出したものの概念などのデリケートな質問に
明快に回答されていく質疑応答集の良書が
あります。
法王御自身の講和などを目にしましたわたくしの印象
ですが、大乗仏教の土台を持つ国と持たざる国への
アプローチはやはり少々異なっている様に感じられました。
西洋の国々、キリスト教を基本としている国に対しては、
仏教は一つの道であり、実存に対するアプローチの仕方であり、
真理の源泉に到るための方法の一つと強く語られておられます。
自身に贖いと救いをもたらす特定の救世主を信じる事がその宗教の
根本にあり、「私は救世主とその約束を信じている。私の救いは
確実だ。」という宗教を土台とする国では、仏教に対し非常に
遠回りで、不確実で、空虚な教えと感じる人々もやはりいる
で、そうした人々に対してはまずその様に語りかけますのが適切で
あるのでしょう。
しかし東洋の、仏教や瞑想文化の深く根ざした国、仏教への
理解という門が完全に開かれている所では、当然とも言えますが、
その段階を越えた御話しをされておられました。
この西洋人に対する応答集は基本的に東洋人には不要であり、
また却って混乱をもたらす場合さえもあり得る様に思われました。
その書の中で一つ科学との関わりに関する、ある意味では
西洋文化的な質問がなされていました。
「例えば転生などの現在仏教が大前提としている事柄に関して、
科学者がそれを否定する誰にも動かせぬ証拠をあなた方にもたらした
としたら、あなた方はどうしますか?科学者の結論を否定しますか?
それとも教義に変更を加えますか?」
そこで法王は答えられました。
「もしそれが確実であり、まさに真実であるならば、我々は常に
真実に従う者なのでそれに従います。例えば一つの経典の中で、
地球が平面であるという記述がありましたが、現在我々はそれを
否定しております。地球が球体である事が証明されたからです。」
この一つの質疑応答は非常に興味深く思われました。
非常に知性的であった仏陀が全てを捨てたのは、生に対する
疑問からでした。その疑問なしに仏陀が出家する事はあり得ません
でした。
そして科学も疑問、疑いから始まるものであり、本来の仏教と
科学はそうした類似した質を持っている様に、個人的に感じます。
「あなたにもその火が燃え移る…エゴが焼き消され、あなたは
啓かれる。」(サッチダーナンダ)