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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

生死へのアプローチ

2006年01月29日 | Weblog

死を瞑想するにあたり、一人のラマは言いました。
「死及びそれにまつわる事柄と言えば、悲嘆の涙、
喪服、骸骨、墓地など、恐怖感とパニックを煽り立てる
様なものばかり。(中略)過ちは生き長らえたいという
願望にあるのではなく、自分とは実際に誰であり、何である
のかという事についての、私達の基本的な観念にあります。」

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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生死の事は一大事 (マーフィー)
2006-01-29 21:48:02
もし私が『死』について十\分な理解が出来たら、毎日いつ死んでも良いほどに、一生懸命に生きるでしょうね。 よく理解出来てないから、のんびり生きています(・_・;) 昔の賢人が、『生死の事は一大事』と言いました。 難しくて本意が未だ理解出来てません。
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死や死後に対する (em)
2006-01-30 10:12:32
捕らえ方は宗教によって、個人によって大きな違いがありますね。



私達は死と常に隣りあわせで生きているのかもしれません。

そのときがいつ来ても大丈夫なように、精一杯一生懸命に生きる、でしょうか。



そして私の場合、死後の為に、そして来世の為に(これは単なる個人の意見として聞き流してください)。
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マーフィーさま ありがとうございます (風花)
2006-01-30 17:13:18
マーフィーさま 



コメント下さいましてありがとうございます。



仰る通り、死に対して理解を深めます事は同時に生に対しまして理解を深めます事になりますね。

御ブログを拝見致しておりますと、マーフィーさまは真剣に人間としての生き方を問われていらっしゃいます様に感じます。



わたくしこそ本当に悔いの残らぬ生き方をしていますかを自らに問いますと、反省すべき点の多きを感じますし、また生死の本質の理解に対しましても概念的な理解に止まっております様に感じております。
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emさま ありがとうございます (風花)
2006-01-30 17:32:35


emさま ありがとうございます (風花) 2006-01-30 17:26:52



emさま



コメント下さいましてありがとうございます。



宗旨宗派は異なりましても、正しい宗教は仰る通り、いつも精一杯生きるの姿勢を説いております様に感じます。言うは易し行うは…を自身に痛感致します。御ブログからはemさまが一生懸命に生きておられます姿勢が感じられます。



また死後の事を生起致します事も大切な事かと思います。死を欠く宗教はございませんし、真剣に死を想起致しまして向き合います事は、また真剣に今を生きます事にも繋がって参りますのではないでしょうか。

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