宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「太上感応篇の解説」

2014年05月30日 | Weblog







(  `m´) 「…明日 31日の午後3時頃~午後5時頃までの間の時間帯に
         東方に向かって四拝する事で
         百劫の滅罪が得られます。」







画像は「太上感応篇」の一節である
「道徳を侵凌し」のイメージ画です。


この一節の意味は、
有道の人や 有徳の人に遇した時、
尊敬を示さず
有徳の人に侵犯したり 辱めを与える事によって罪過として録されるという事です。

一般の人に対して行うよりも
有道徳の人に対して行う方が重い罪過となるようです。


大陸には このような伝承が残されています。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++


国清和尚は 有道徳の人で 衆生を教化していたが
ある官僚は 仏法に対する信仰もなく
和尚を立ち上がらせて 縛り付けると
20回の尻打ち刑に処させた。

その官僚は その晩に夢を見た。

生気のない 死去した時の亡父が
地に伏せて むせび泣きながら彼に

「お前が禅師を侮辱したばかりに、
閻魔王は私を 鉄の鞭で20回打ち、
そして お前の官位さえも削除されたのだ!」

と言ったのだった。

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4 コメント

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風邪小僧 (風邪が呼んでいる)
2014-05-30 11:29:32
 嵐を呼ぶ男なら勇ましいけど、
風邪に愛された男では情けない。
貧乏神にストーカー男ではヘビーだ。
 ではこれでどうだ。
変態から求愛された男・・・・
これもたまったものではないのポコチン。
 確か日本の古典に貧弱物語と言うものが
あったような気がするが、アッ今昔物語か。
 やはり風邪を弾いてしまうと、気分も
塞ぎこむようで、なんとなく平常心では
おられないような、微妙なビブラララートなのだ。
    ご自愛くだされ。メンソレータム

では 椎間板 追加リクエスト ユーチュー感謝

風 はしだのりひことシューベルツ

         デ
     よろしく
          ノ 暮雨

     
返信する
有道の人 (もみ@龍井茶)
2014-05-30 12:10:25

×ポコ~

|・)(メンソレータム…)

一般の人に対してよりも
衆生を教化している有道の人 有徳の人を辱めたり
邪魔したりする方が 罪過が重くなるみたい。

魔道の者は それを行って
一日一悪のうちの
ある日の積悪としたりするのかも|・)…
返信する
二昔以前 (夜電話がリンリンリン)
2014-05-30 14:32:42
  或る日のこと・・・・・・リンリンリン
・・訝しく電話をとると、聞いた覚えのない
女性が一方的に、某所へいきなさい。
えっ!!!!当方思わず無理ですよて断って
電話を切り、熟慮・・・結局その場所へ
行くことにした。ある程度地図で調べ
その山の頂へ・・・辺鄙なところで
道なき道のような場所もあり、引き返そう
と思ったけど、暗中模索の末、その場所に
たどり着いた。結局案ずることはなかったん
だけど、途中雲母が沢山落ちていてね・・・・
大きな雲母の岩石もあったしね・・・
 徐福のお墓なども祭られていてね・・・・
以下こぴぺ 感謝
見はてぬ夢を追って 徐福伝説と不老不死

 中国では紀元前2世紀の戦国時代末頃から、神仙術を操る方士と呼ばれる人々が、多く登場するようになりました。神仙思想とは、山東省近辺の神山信仰を基盤とし、種々の民間信仰を取り入れたものと言われ、その要諦は、神仙(仙人)の実在を信じ修行を積めば神仙になることが可能であり、神仙になれば現世で永遠に生き続けることが可能であるという思想です。
 神仙になるためには、実に様々な方法が試されました。具体的なものとしては仙薬の服用、内丹法、守一法、胎息法、房中術、導引法、行気法、辟穀等があげられ、硫化水銀を原材料とした仙薬による水銀中毒によって、唐の時代、6人の皇帝が亡くなったと言われています。不老不死という「見はてぬ夢」を追った結果がこのような皮肉な結末をもたらすこともありました。一方、仙薬の開発は中国医学(漢方)の発達に資すること大なるものがあり、現代人である我々もまた、その大きな恩恵をうけていることも事実です。
 神仙思想が道教に組み込まれ、宗教としてまとまってくると、技術面だけでなく、倫理・道徳面が重視されるようになり、積善、積徳、戒律の遵守、経典の読受も神仙となるための重要な手段と考えられるようになってきました。
 秦の始皇帝や漢の武帝は、方士を重用し不老不死の方法を探らせたことで有名な皇帝です。しかしながら、その野望は、巨額の財を浪費するばかりで、目的を果たせず虚しい結果に終わってしまいました。徐福は、始皇帝から仙薬探索の命を受け、東海に在るという蓬莱山をめざして出航し、日本に漂着したといわれる方士です。和歌山県の新宮をはじめとする全国各地には、徐福漂着の伝説が多く残されています。
 栄耀栄華を極めたかのように見える始皇帝や武帝であっても、権力や富とは無縁の世界、すなわち、すべての人間が避けては通ることのできない「死」という命題から逃れたいという誘惑には打ち勝つことができませんでした。いや、それだからこそ、不老不死の願望に抗しきれなかったのかも知れません。不老不死への願いは人間の心の奥底におもいとして存在し、それはいつの時代の人々にも変わることがないものなのでしょう。ちかごろ盛んにいわれるようになったアンチエイジングという言葉も、そのような人間のおもいから生れたもののように思われてなりません。


〈リストの見方〉
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仙からの電話|・)…! (もみ@苦瓜茶)
2014-05-30 14:46:51

|・)(えっ!!!!…)

色々な方の体験談に
「霊界からの電話」 「霊界テレビ」
「ネットで心霊サイト閲覧中に憑依」
などがあって、
霊的なものは しばしば電話などを使用して
人間にコンタクトする事があるみたいで

をじさんの場合は 極めて珍しい
女仙からの電話だったんだね|・)…

八仙の中の唯一の女仙である何仙姑は
雲母を食し続けて白日昇天したので
もしかしたら何仙姑からの電話だったのかも|・)…?

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