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宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「口中の斧」

2006年10月10日 | Weblog
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「まことに人間は生まれながらに口中に
斧を生やしている。
愚かな悪口を語っては、それで自分自身を
斬っている。」(スッタニパータ)

世の中におっとりした雰囲気が欠けてきている
今日である。
職場にも、そして社会にも、和やかさが少なく
なってきている。
人々の会話にも情緒がなく、相手の立場を思い
やる気遣いがまことに少ない。
(中略)
私達人間はよく他人様の悪口を言う。
褒める事はあまりしない。
何かというと他人の性格やら行動、仕事や日常の
生活ぶりなどのあら探しをしては人に語っている。
誰に教わったわけでもないが、この性癖は万人に
具わっているものだろう。
だから釈尊は人は生まれながらに悪口を言う舌を
持っている、と言う。
(中略)
慈悲の心を持って、これだけは言っておかないと
本人のためにならないという時の言葉を(道元)禅師は
「愛語」というのだが、その場合さえ、相手が腹を
立てない様に工夫して小言を言えと言うのである。

禅師にはまた、議論していて自分の方に分がある時には、
かさにかかって議論し、追いつめて相手を叩き潰す人が
いるが、それもよせと言う。

「たとえ我道理を以って言うに、人僻事(ひがごと)を
言うを、理を責めて言い勝つは悪しきなり。」
(正法眼蔵随聞記)
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真理か否かに関係なく、議論が始まると相手を言い負かす事に
終始する人が時折見られますが、ネット上でその傾向は殊更
顕著であります様に感じています。
また極めて限定されたネット上の交流のみで意を尽くす事は
通常困難であり、文字だけでは伝わらぬものが伝達出来ず、
想定外の誤解や言い争いを招く場合も少なくない様に
感じます。

しかし社会の中に長閑さや和やかさが現実に徐々に失われ
つつあり、ネット上で時折見られる議論のための議論、
不毛とも思われる互いの勝敗決定のみが重要事項である
言い争いはその反映としての面もあります様に思われます。

不要な所で「ゆとり」が叫ばれ、本当に必要とされている
所には考慮されていない様な印象も受けます。
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