娯楽施設では一人の「歌手」との接触の機会があった。その人物は
時折札幌市内でコンサートを行い、北海道内の一つのラジオ番組を受け
持ってはいたが、特に名を知られているわけではなかった。わたくしもそこで
接触する前には彼の名前など聞いた事もなかった。ごく一部の道民だけが
彼を知っているのではなかろうか。彼は不要なサングラスを着用していたが、
尊大な振る舞いや食事の仕方など、わたくしはどうしても尊敬出来なかった。
同僚が彼がどの程度知られている人間であるかを推測し、「札幌市内で千人に一人が
知っているだろう」と言った。上司は「千人に一人は可哀想だよ。九百人に一人だよ」
などと言っていた。人間の偉大さは決して知名度によって計られるものではない
のだが、この歌手は恐らく自身を有名な特別な存在と確信していたに違いなかった。
しかし人間を知名度で計ろうとするならば、自分もまたそれによってのみ計られる
のかもしれない。
知名度であれ、社会的権威であれ、精神世界のプライドであれ、自身を特別な
偉大な存在と考えるなら、その瞬間から迷いの中に投げ出され、そこから一歩も
出られなくなる様に感じてしまう。だから常に心を見張りたく思う。