うこわや日記

いきなりブログ初めました。日常と手作りについて・・・

大仏廻国

2020-09-14 17:09:21 | 日記
先日、池袋HUMAXシネマズで『大仏廻国』という映画を観ました。

ある日の映画館で何気なく見たチラシに愛知県の聚楽園大仏が町を動き廻るとあって、自称巨大仏マニア、『大仏廻国』を観ないという選択肢はありませんでした。


池袋HUMAXシネマズの売店

入口は近代的なビルでしたが、映画館が意外とレトロな雰囲気

そもそも『大仏廻国』は、1934年(昭和9年)に製作・公開された枝正義郎監督による日本映画で、戦災によりフィルムは消失していて実際は鑑賞が不可能。

それを掘り起こそうとしたのは、枝正監督の『大仏廻国』が円谷監督の『ゴジラ』など怪獣映画や特撮映画が出来上がるのに影響を及ぼしたきっかけの映画だということで、枝正監督の孫である佛原和義氏の承認、協力を得て当時の最先端技術を駆使した原作へのリスペクトを中心に現代の表現を用い、自主映画としてリメイクされました。(チラシを参考)

ということで、
映画が始まる前に、大仏廻国をリメイクした横川寛人監督と、9年間 円谷監督の助監督をしていた監督と、円谷監督と一緒に映画を作ったことのある監督の3人でのトークショーがありました。


円谷監督の助監督をしていた監督と

一緒に映画を作った監督



写真撮影用に3人でポーズ

円谷監督との秘話が凄く面白かったです。
全く興味のなかったゴジラの魅力をちょっと知りました。



映画は大仏が突如ぬっと歩き廻るシーンが嬉しかったですが、大仏廻国はそれがメインではなく重たいメッセージを持った映画でした。後半では天国と地獄が錯綜する奇想天外な場面もあり摩訶不思議な気持ちになりました。
消失してしまった枝正義郎監督『大仏廻国』を現代に甦らせてくれて、観ることができて本当に良かったです。

帰宅して、
家にあった本『ぬっと あったものと、ぬっと あるもの(近代ニッポン遺跡)』

~都市の
大仏・観音
太陽の塔
開店展望台
城下の建築
ゴジラ...など
ぬっと現れる大きなモノ
20世紀は奇妙な時代だった~

に、ゴジラのことが書かれていたのを思い出しました。
この『ぬっと...』の本は写真ばかり眺めていて文章を読んでいませんでした。

戦後9年経った1954年に東京にゴジラが突然ぬっと現れて、ゴジラの放射能火炎が東京の街を焼きはらった。それは戦争と核によるホロコーストであり、集約されていった人間の欲望を最も残虐な形で満たすものであった。ゴジラが都市にもたらしたものとは、戦争が都市にもたらしたものである。

終戦後9年経ったころには、催眠的効果を持つ美しいあぶくが、東京の空に浮かんでいた。
平和主義のバブル、
戦争の総括はできたというバブル、
国家威信と再生のバブル、
経済再建のバブル
平等主義のバブル
人生には意義があるというバブル。
これらは大衆社会心理療法のようなもので、敗戦から立ち直るためには日本に不可欠なものだった。回復するためには心底これを信じることが必要だった。

けれど、そのバブルは疑いと恐怖のプレッシャーが高じてきて押さえられなくなるほど膨らんできたとき、ゴジラが日本再建を支えてきた幻想のバブルを崩壊させた。

この映画があれほどまでに人気があったということは、人々がある無意識のレベルでは、自分たちの幻想があぶくにすぎないとういことを理解していたということなのだ。
そういう意味で「ゴジラ」は当時の日本人の強靭な精神的健康を表していると言える。
人々はスクリーンでゴジラが見せた恐ろしく耐え難い真実に度を失ったにちがいない。
平和など、平和主義など本当にはありはしない。戦争の総括など、何もできてはいない。巨大な同盟国に依存した状態のどこに国の威信があるというのか。国の再建のために我々はどれだけの犠牲を払っているのか。社会的平等だって大きな声では言えないが迷信だ。人生にはそもそも意義などありはしない。
しかし9年間の隠蔽の後に、映画の上映時間中、これらの押し込められていた真実を目の当たりすることは、どんなに開放感に満ちた経験であったことだろう。

映画は、巨大で精巧なうその幻想を掲げつづけなければならなかった日々のストレスからの束の間の休息を人々に与えたのだ。


同じビルにあったブックオフで、欲しかった本
新装版前の古い『街道をゆく』を6冊ゲットできて嬉しかったです!

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