うこわや日記

いきなりブログ初めました。日常と手作りについて・・・

2019年ひかりのうま

2020-05-13 23:27:37 | 日記
昨年2019年の9月のこと。
作家仲間の”なみもり”さんが吉祥寺のギャラリーの展示会に参加すると聞いて行ってみることにしました。

とんでもなく強風の日で風に煽られながらDMの地図を頼りに、なんとか到着。ギャラリーのガラス越しからは、人がごったがえしている様子が見えました。
ドアを開けようとしたら、そこには貼り紙があり『強風により建物の反対側の入口の方をご利用下さい』と書かれており、そしてぐるっと大回りしてようやくギャラリーの入り口に辿り着きました。

展示は『9月の海はクラゲの海』

この日は、有名なアーティストによるトークライブがあって予約していないと中には入れないと言われて、友人の作品を一目見たらすぐ帰りますと食下がりましたが、「それはできません」と断られて、やむなく退散することに。

まさか早々に、こんな展開になるとは...
とにかく気を取り直して、吉祥寺から一駅で行ける西荻窪のニヒル牛へ向かいました。

ニヒル牛では奇遇にも、『9月の海はクラゲの海』の展示を観に行って中に入れてもらえなかったお仲間のお客様がいて、その話題で暫くお喋りしました。

そして取り敢えずニヒル牛へ来たら
私の箱チェック

異常なし

ニヒル牛の企画展示は、ヨコタケイさんの個展「好きの許容範囲」を開催していました。
ヨコタケイさんはステンドグラス作家さんです。

虫や人体解剖的なものやスパナなどの工具              
モチーフが多岐にわたっていて怪しい美しい展示。

そうこうしているうちに、
出展が終わったヨコタケイさんが、ニヒル牛へそのまま在庫補充をする為にやって来ました。

早速ヨコタケイさんに、補充する作品を見せてもらい、蝶のカードスタンドをゲットしました!

それからニヒル牛を後にして、もう一軒寄るところがあったので、そちらへ向かいました。

もう一軒は、ニヒル牛と同じ中央線の沿線にあるライブハウス「ひかりのうま」です。
最寄り駅の大久保駅を下車したら、辺りはもう日が暮れていて真っ暗でした。粘土担当にライブハウスまでの地図を描いてもらっていましたが、この真っ暗な状態にどちらへ向かえば良いのか分からなくなりました。取り敢えずあらゆる方向を少しずつ試して用心深く探して「ひかりのうま」を発見しました。(駅から近くて助かった)

ライブハウスを見つけて一安心...まだ時間があったので夜ご飯を食べるため、賑やかそうな新大久保駅方面へ行ってみました。
そこで中華そば屋さんへ入りました。
チャーハンとミニラーメンのセットを注文。
ヨコタケイさんの蝶のカードスタンドと写真撮影。

美味しかったです。
蝶のカードスタンドは立たせたり寝かしたりできてオシャレです。

そしてライブハウス「ひかりのうま」へ

写っていませんが、キューピーのマークが目印です。

ひかりの うま

音楽と珈琲ひかりのうま
出演者↓一覧

佐藤幸雄さんのライブに来ました。
2019年2/23~3/7に、ニヒル牛で『佐藤幸雄という男・展』で、連日ニヒル牛で歌と演奏のライブをした奇異な展示を観てから、実は気になって仕方ない存在に。

地下階段を降りて、薄暗いライブハウスのドアを開き、受付でチケットを買って、空いている席に腰を下ろしました。そして演奏が始まる前に、ドリンク(生ビール)も注文。

最初に、「やもと問唔」さんの演奏から始まりました。
やもと問唔さんを見て、夜ご飯を食べるため新大久保駅方面に向かった時、すれ違った人だ!と思いました。ギターケースを担いだ大柄で山伏のようなオーラを放った、やもと問唔さんはとても印象に残りました。

やもと問唔さんはアコースティックギターをザッザッザックと荒々しくも繊細に、かき鳴らしてハスキーな声で歌いました。
恋文とか接吻とか昔の清らかな日本を思わせる歌詞で、現在と黄泉の国をリンクさせたような不思議な感覚の音楽だと思いました。
やもと問唔さんは九州から来られていて、中々聴くチャンスがないので、ライブを観れてラッキーでした。

そして、『佐藤幸雄とわたしたち』の演奏になりました。
佐藤幸雄さん⇒ボーカル・ギター
POP鈴木さん⇒ドラム
ババカタルコさん⇒ピアノ
の三人編成です。

『佐藤幸雄と私たち』は、ボーカル、ギター、ドラム、ピアノが一斉に各々が大音量で自由に叩きつけるような演奏で、カッコイイ!!!と思いました。

実はもう半年以上経ちライブハウスでどんな曲を歌っていたか思い出せません..でも最後の方で歌った『大東亜の在日人』という曲にとても衝撃を受けました。
歌詞は、あまり思い出せないので、まず「大東亜」を調べます。
【大東亜】
十五年戦争中の日本での呼称。
【十五年戦争】
満州事変(1931)に始まり、日中戦争、太平洋戦争を経て1945年の敗戦に至る日本の15年間の対外戦争の総称。
米英など白人帝国主義からアジアを解放し日本を盟主とした「大東亜共栄圏」の建設、日本の侵略戦争を「聖域」として美化したもの
【在日】
外国人が日本に滞在または居住していること。

...私にとって大東亜の在日人の歌詞はショッキングでした。

『佐藤幸雄と私たち』のライブが終わり、佐藤幸雄さんが「うるさくて、大丈夫だった?」と声をかけてくれ、ドギマギしました。(佐藤幸雄さんは私の様な者にも、いつも腰が低くて挙動不審になります)

ライブハウスでは、私みたいなオバサンは浮いた存在で見られますが、私自身は銭湯に入っている感覚であまり周りを気にせず一人で楽しめるタイプなので意外と平気です。











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