Hanaの日記

日々の生活を綴ります

11/30

2011年11月30日 | 日記
11/30→今日は日勤。久しぶりのメンバー。たかが5人持ち。なのにスムーズに回れない。

もちろん理由があるのだが…。

誰でも抜けてしまうことはあるから、それをやいやいの言い出したらきりがない。

だがいつも同じ人が原因だと『この人のあとは気を付けないと』とかまえてしまう。
注意することは大事なことだが、潜在意識でその人を『できない人』と決めてしまっていることになるのが嫌だなと思う。
でまヌケネケなんやもん。
困ったもんだ。


今日の夕食はおでんでした。
美味しかった。
まア、毎日美味しいごはんをありがと。

11/28

2011年11月28日 | 日記
11/28→今日は日勤。
私の病院は患者さん受け持ち制になっており、入院から退院までを1人のナースを主として担当する。

この担当になるのも縁のものである。
予定通り退院していく患者さんがいれば予想外にいろんな疾患を発症させ長期入院になる患者さんもいる。


私の受け持ちの1人、Tさんも後者の患者だ。予定入院期間は1週間だったが、何カ月いただろう。
入院中に膵癌が悪化し、ターミナル期へ突入。
家族の強い希望あり自宅退院となったが、それが眼だった。
偶然彼の担当看護師となった私は、退院後の生活環境、家族状況確認や家族指導等をするよう命じられる。

勿論そういう仕事は看護師の仕事なのだが、普通の経過をたどり普通に退院する場合はそんなに介入しないのが常だ(少なくとも我が病棟では…)。

サマリーも術後の経過を簡単に記入するだけ。
退院の日に担当看護師が出勤していなければサマリーをカルテに挟むことなく病歴室へ戻っていくのが現状だ。

だがそれが、術後ADLが低下しその上施設ではなく自宅退院となった場合、MSW・医師との連絡を担当看護師が中心となってすることになる。

『入院してこんなに時間があったのにどうして何にも情報とってないの』などと上司は平然と言う。それも正論だ。

だが私は主治医に何度も退院の方向性についてアテンドしていた。しかし、何の返答もなく時間がたち、いつの頃からか辛抱切らした上司達が主治医やMSWに働きかけ退院について動き始めた。
そして突然あのセリフだ。

私は平社員だから、夜勤がある。いつも日勤ではないのだ。1週間日勤をしていない間にいろいろな事が動き出し、突然決定事項を投げつけやいのやいの言われても知らん。それだったら始めから己達ですればよいではないか。

その時私は思った。
「今までしたことないのに突然できる訳ないやろが」と。

元来やっていかなければならないナースのお仕事を業務の忙しさを理由に疎かにしてきた我が病院(病棟?)。

偶然担当になった私にやいのやいの言うのはオカド違いというものではないのか。

1~10まで教えてくれとは言わないが、最低限のことは助言してくれよと思う。

ポジティブに考えると私は今回の事で学ぶことが出来たのでラッキーだった。


食いっぱくれがないと思い足を踏み入れたこの世界。
予想通りあまりよい世界ではない。

11/27

2011年11月27日 | 日記
11/27→今日は休み。夫と共にランニングにて垂水のアウトレットへ私のピラティス用ズボンを見に行く。

夕方帰宅し何気なく携帯を見ると父からのメールが。

『兄が死にました』と…。
急いで実家へ連絡。伯父の家へ。
伯父ちゃん、痩せてしまったね。最期に会ったのは老人施設に入所した時だったけどあの頃にまして脆弱した伯父がいた。

肺炎になり入院、その後点滴で栄養補給されていた。

ここまでやせ細った患者さんを私は病院でもみたことがなかった。
伯父ちゃん頑張ったんやね。
もう楽になったかな。

U家の長男として生きた79年の人生。
本当にお疲れ様でした。伯母さんやおばあちゃんがいるからきっと寂しくないね。

朋ちゃん、亮ちゃんのこと見守って上げて下さい。

11/26

2011年11月26日 | 日記
11/26→今日も休み。朝から婦人科へ。

今日はフーナーテスト。どうやら夫の精子くんは膣を通過し子宮に達している模様。一安心だ。

普通は14日頃排卵するが、私は18日目にしてまだ。
先生に「排卵が遅いようだが普通に受精できるのか」と聞くと『卵に問題なければ大丈夫』との返答。

神のみぞ知る領域の話だから、これについては考えないことにする。

今の状況で排卵は(火)か(水)。運よく来週は5日勤。夜勤が入るとくっつくのが大変だ。良かった。

診察は午前中かかったが、1人で悩んでいるよりはいろんな事が明確化するからおもしろい。
悩まないぞ!!なるようにしかならないから。自分の身体を知るよい機会にもなってる。
面白がってあなたがやってくるのを待ってるね。