聖書 コリントの信徒への手紙二8章1~24節
説教 「キリストの貧しさ」
マケドニアの諸教会(テサロニケ・フィリピ・ベレア)は、コリントの教会よりも貧しい人たちが多かったと考えられます。しかしエルサレム教会への献金は集まりました。コリント教会に行ったテトスは、そこでエルサレム教会のために献金を募りましが、その献金はあまり集まりませんでした。
そのためパウロは、マケドニア教会で惜しまずに献金がなされたことを伝えます。そしてコリント教会の人たちの「愛の純粋さを確かめようとして言う」と書きます。その愛とは、愛に豊かなイエス様が貧しくなってこの地上に来られ、十字架に架かるまで貧しさを全うした愛のことです。その愛に基づいて献げることを説いています。
そして出エジプトの時のマナの話をたとえとしてあげています。出エジプトの時イスラエルの民にマナが降りました。ある人はそれを多く集めました。ある人はあまり集めることはできませんでした。しかし家に帰るとそのマナは、多く集めた者も少なく集めた者も、手元には同じ量だけとなったのです。それは多く集めた者も少なく集めた者も、集めた物は神の恵みであったということです。神様の恵みを分かち合うことが大切なのです。
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