次の説教が一コリント14章なので、異言のことを語らないわけにはいかないので、ゲルト・タイセンが異言について書いている「パウロ神学の心理学側面」と「原始キリスト教の心理学」を読んだ。
それによると異言についてはすでに解決されているという。これは人間の機能としてあり得るものだし、キリスト教信仰に必要なものではない。必要なのは「イエスは主である」と告白することである。
しかしパウロは、異言そのものは認めている。「私はあなたがたの誰よりも異言を語れることを神に感謝します」(14章18節)。異言は神に対する個人の祈りであり、共同の祈りではない。タイセンの書いているのはそんなこと。
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