ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

イザヤ書5章1~7節

2021年07月13日 | 聖書
教会の聖書日課は今日はイザヤ賞5章です。1~7節を読みます。

わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を。
わたしの愛する者は、肥沃な丘に
ぶどう畑を持っていた。
よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。
その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り
良いぶどうが実るのを待った。
しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。
さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ。
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか。
わたしは良いぶどうが実るのを待ったのに
なぜ、酸っぱいぶどうが実ったのか。
さあ、お前たちに告げよう
わたしがこのぶどう畑をどうするか。
囲いを取り払い、焼かれるにまかせ
石垣を崩し、踏み荒らされるにまかせ
わたしはこれを見捨てる。
枝は刈り込まれず
耕されることもなく
茨やおどろが生い茂るであろう。
雨を降らせるな、とわたしは雲に命じる。
 
イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑
主が楽しんで植えられたのはユダの人々。
主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミスパハ)。
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。
神様が農夫に、民がぶどう畑に譬えられています。農夫はぶどう畑を愛して育てたのです。しかし成ったぶどうはすっぱいものでした。「わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ」。農夫とぶどう畑とぶどう畑のどちらが正しいのか裁判をやって見よということです。農夫の愛が足りなかったのか、ぶどう畑がすっぱい実を成らせたのが間違いだったのか。

農夫は愛情を持ってぶどう園を育てたのです。つまり、神様は民を愛されてのです。しかし、民は神様に背き、すっぱいぶどうを成らせたのです。
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