私の子宮内膜症・不妊治療・双子育児

20代前半から子宮内膜症になり、その後体外受精にて双子を授かった、ドタバタストーリー

第一回人工授精の時のこと

2008-02-23 23:17:09 | Weblog
 第1回人工受精(AIH)にむけての排卵誘発剤の投与が始まった。排卵誘発剤はhMG製剤のホルモン注射薬。月経の第3~5日目ぐらいより開始し、7~10日間程度続ける。この注射による多胎の頻度は20~30パーセント。うち大半が双胎を占めるそうだ。
 当時は仕事をしていたので、夕方婦人科に毎日通うのは結構つらかった。ただ行くだけの病院ならいいが、卵胞の大きさを確認するため、たまに内診をするので、シャワーを浴びに自宅に一旦帰らなければならなく面倒に思えた。注射を打ちはじめて、だんだんお腹が張ったような感じになり、吐き気もともなった。仕事も手につかず、何度かトイレに走った。丁度、職場の職員旅行もあったが、あまりに気分が悪かったのでキャンセルした。先生に辛いと相談したら「体が敏感なんですよ。」と言われ、治療はつづけられた。自分の選んだ先生ではなかったので、納得がいかなかった。
 人工授精当日(排卵日)。朝、自宅で旦那さんの精液を所定の容器に取り、採取後1時間以内に病院へ持っていく。そこで精液は洗浄・濃縮という操作の後、子宮内に特殊な注入器により注入される。この治療は診療費に加え1万の費用がかかった。また、旦那さんの精液は良い精子をつくるため、採取の1週間前に二度射精をし、古い精子を出しておき、その後1週間禁欲し溜めたもので行った。
 お腹はどんどん張り、かなり苦しかった。でも、この張りは妊娠が成立していなければ引いていくそうだ。
 結果は・・・生理が予定通り来た。まあ、そんなに簡単に妊娠は出来ないか~となんとなくは知っていた。そして、従来から希望していた院長の診察に切り替えた。
 不妊治療とは最初の勇気だと思う。勇気と言うか、きっかけ。一度病院の門を叩けば、あっという間に治療が進んでいく。こちらが考える余裕も無いくらい・・・「これがダメなら次はこれ・・・」と言った具合に進んでいく。でも、そうでもしてもらわなければ、いつまでたっても妊娠は出来ないと思った。当時は不妊治療の忙しさについていくのが大変に感じたが、今となっては、院長の強引さが私には一番必要だったんだと感謝している。