ここは若狭高浜 内浦公民館

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内浦ふるさと探訪(神野浦編)

2008年10月30日 | 内浦って…
神野浦編で~~~す。


まあ~内浦は全区に渡って色んなお話しがありますねえ~~

ここ神野浦もすごいですよ!!

神野浦の全景です、海の方から撮りました。

神野浦もフグや五色貝の養殖、そして釣り船(渡船)が盛んで

渡船は穴場へ連れて行ってくるようです。

一度挑戦してみてはどうでしょうか・・・・!!





それでは、高浜町誌に掲載されています・・・・・


         「観音岩」というお話です。


     【正暦五年(994)八月、神野浦の漁夫春日為光

      (あるいは結城叟太夫)が海に出て釣をしていると

      空がにわかにかき曇り、波風が高くなったので

      近くにあった小島に上がってなぎになるのを

      待っているうちに、自分の乗り船が大波に

      さらわれてしまった。

      そうこうして困っているところへ。一本の枯木が

      流れてきたのでこれ幸いとそれに乗りうつり、

      一心に観音様を念じていると・・・・・・・・・・】





さてさて・・どうなったのでしょうか? 





この続きは第2弾でお話しましょう。





それでは 




じゃーね・・・・




よろしく 








内浦ふるさと探訪(神野編)第2弾

2008年10月28日 | 内浦って…
はあ~~~い早速続きに入ります。

      【~~心痛はつのるばかりだった。
   
       そこで、和尚さんの池上照堂は思い立ったのだった

       なくなったご本尊を求めて旅に出ようというのである。

       「お寺をつくり直すためには、まずご本尊を

        おまつりしなければならない、そのため

        わたしは、遠くまでもご本尊を探しに

        出かけようと思う」

        みんな和尚さんの出発を見送った。

        どうぞ気をつけて、立派なご本尊を

        お探しになられますよう。

        和尚さんは西へ西へと向かったが、

        ご本尊に出会わなかった。

        そこで、さらに足を伸ばし九州へたどり着いた。

        その地で、和尚さんは焼けてなくなった

        延命地蔵と同じお地蔵さんにめぐり合うことが

        できたのだった。

        和尚さんは、その延命地蔵を背負って

        神野へ帰ってきた。

        村人たちの喜ぶ様子を見て、

        和尚さんのそれまでの苦労が吹き飛んでしまった。

        「和尚様、和尚様はたいへんな思いをして、

         ご本尊を見つけてくださった。

         今度は、わたしの力で何としても本堂を

         建ててみせることにしよう」

         檀家の人々はきっぱりといった。

         また、心ある村の人達もすすんで協力した。

         そうして、神野の桃源寺は立派に建て直されたのだった。】


              というお話です。


現在の桃源寺の全景です。



こうして色んな話を読んでいると

今も昔も変わらないはずなのに・・・・・・

何かが違うんですよね???

昔は、迷信・言い伝え

今は、言い伝え!!!!



生きていればそこには必ず文化が生まれてきました。

しかし、今の時代はどんな文化が生まれるのでしょうか????





色んなことを考えながら、前へ前へ・・・・・・






次回は、神野浦を探訪します。






じゃーまたね・・・・





よろしく 



ふるさと探訪(神野編)

2008年10月26日 | 内浦って…
は~~いやっと坂道を登ってきました。


神野です



神野のお話しは


若狭たかはま むかしばなしに掲載されている


「神野の延命地蔵」です。


     【神野の人々がいつもお参りしていたのは

      桃源寺にある本尊の延命地蔵だった。

      神野には、信心深い人が多かった。

      ところが、そのご本尊がある日のこと

      火事で焼けてしまったのだ、村人たちは

      たいへん嘆き悲しんだ。

         ご本尊が焼けてしまわれた、

         こんな不幸があるだろうか

      このままにしておいてはいけない。

      私たちのてで何とかお寺を建てなおさなければ。

      神野の人々はどうしたらいいかと、

      心を痛めていた。

      当の寺を焼かれた和尚さんも、つらい毎日を

      おくっていた。

      ご本尊を守れなかったくやしさと情けなさで

      いっぱいだった。

      また、悲しむ村人たちのことを思うと

      心痛はつのるばかりだった。

      そこで・・・・・・・・・・・・・・】


まだまだ続くので、この辺でいっぷくしましょうか!!!




続きは、神野編第2弾で・・・・・




それでは




じゃーまたね・・・・




よろしく 







内浦探訪(難波江坂途中報告

2008年10月25日 | 内浦って…
神野へ行く途中出会った景色・・・・!


あっ・・・・いますいます。



写真の真ん中辺小さいですがお猿さん。

これはイノシシの遊んだ跡。







夜になると、道路沿いは大変です。

この写真県道沿いですよ???????

夜になると、車が少なくなるので、

動物たちの楽園です。

この調子で畑も田んぼも・・・おう騒動!!!!。

昼間は、お猿さんがのんびりと遊んでいます。




こんな感じです・・・なかなか神野へ着きません。



もう少し待ってくださいね。




それではまたね・・・




よろしく 




内浦ふるさと探訪(難波江編)

2008年10月24日 | 内浦って…
やってきました難波江で~~す。





それでは高浜町誌に掲載されています

「ハシダンの柿」のお話です。


      【晩秋の晴れたある日、弘法大師が

       この地をお通りになって、真赤に熟れた

       柿を所望されたそうな。

       里人はこころよく、もいで大師にさしあげた

       大師さんは、大変お喜びになられて、

       そのお礼に難波江の柿の種を全部抜いて

       しまわれた。

       それから、難波江の柿には種が無くなった

       そうな。

       この柿を難波江では、(ハシダン)と言って

       樽詰めにして名古屋方面に出荷していました。

       種が無く、渋ぬけがよくて風味があることから

       都会の人に喜ばれたそうである。】



地元の長老の方に聞いたところ、昔は高浜の漁師さんもよく

柿を買いに来た、難波江の柿言うたら有名やったんや・・・と

別名=あわせ柿とも言うたなあ~~~~!



柿、栗、アケビ、等など自然との共生、そして人が生るために

必要な「食」昔はすごく大切にしてこられた・・と感じる。

今の時代でも、決して忘れてはならないことである。

 

 《人間は自然の中で生かされているんだと・・・・・・・!!》




この写真が(ハシダンの柿です)=難波江にて












弘法大師さんに感謝しながら一路神野・神野浦方面へ




移動します。




難波江坂を上っていきますが途中には




がよく遊んでいます。




じゃーまたね・・・




よろしく