4月21日から29日まで壬生寺で壬生狂言が演じられます。
22日は夏日、私,行ってまいりました。
阪急四条大宮から四条通りを西へ、「元祇園梛神社」(スサノオノ尊・イザナミノ命などが祭られ 「祇園の八坂神社」の実家の
ようです。)を南に下がると壬生寺に着きます。
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地蔵菩薩を祀った寺で、新撰組の隊士の墓や近藤勇の像があったりして辺りから三橋美智也の「あぁ、新撰組」の歌が聞こえます。
千躰仏塔
どの建物も鉄筋コンクリート造りで、特に阿弥陀堂などは、すっきりし過ぎているようです。
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壬生狂言の紹介がメデイアで取り上げられたせいか、大変な見物人が押しかけて、建物に入りきれないので、私など、炎天下にしばらく並びました。
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全てで30演目あるうち、当日の演目は「炮烙割」[愛宕詣」「ぬえ(鵺)」「酒蔵金蔵」「餓鬼角力」の5演目でしたが、私は「愛宕詣」を1時間かけてみました。
愛宕参りの途中の茶屋で、金持ちの旦那が綺麗な着物を着た娘に一目惚れし、その場で自分の着ている高価な着物や刀を結納にするのですが、よくよく顔を見ると、あまりの不器量に逃げ出すというユーモラスな演目です。
それはそれは、ゆっくり進行するものですから、お尻が痛くなって一曲鑑賞するのが精一杯です。
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700年前(鎌倉時代)円覚上人が始めたもので、単調な笛の音が響き、カンデンデン カンデンデンデンという鐘と太鼓のおはやしのなか、「壬生念仏講」の素人役者さん達が全て面を付けての無言劇です。
円覚上人はこの中で、「勧善懲悪」「因果応報」を大衆に伝えたかったようです。
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壬生狂言は京舞や近松の脚本にも取り込まれています。
最近はどこも「撮影禁止」が多いのですが、ここでもいたるところに、その旨の張り紙がありました。
UPしている写真は解説書からのものです。
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「清水の舞台」を極、小さくした年季の入ったステージで狂言は演じられるのですが、観客は向かい合った建物(保育園)の2階裏側に造られた階段状の客席から西日を浴びながらの鑑賞です。
舞台も、役者も、衣装も、お囃子も、演目も、そして観客も素朴で泥臭く、だからこそ700年も続いたかと思われます。
「重要無形民族文化財」に指定されています。
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近くの、新撰組の壬生屯所として使われた八木家は壬生狂言の世話役でもあり、「屯所餅」を売る「京都鶴屋」も経営。
歯ごたえのある餅に刻んだ壬生菜が混じり、甘すぎない丹波大納言小豆の粒餡が入っていました。
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壬生狂言は春、秋、節分に公開されます。
一年に一演目鑑賞するとして、後29年楽しめるというものです。
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[もう少し詳しく]
壬生寺は10世紀末に建てられた寺で、以後、数度の火災に合い、最後は1962年の放火で本堂と本尊を消失し、現在の本山、奈良の「唐招提寺」より新たに本尊を移されたそうです。
石仏は明治以降の市電軌道敷設の際、土中から掘り起こされたものだそうです。