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花鳥風月猫三昧 Ⅱ

京都にて四匹の猫とマッタリ暮らしています・・・ バオバオ

壬生大念仏狂言

2008年04月24日 | 文化・歴史

4月21日から29日まで壬生寺で壬生狂言が演じられます。

22日は夏日、私,行ってまいりました。

阪急四条大宮から四条通りを西へ、「元祇園梛神社」(スサノオノ尊・イザナミノ命などが祭られ 「祇園の八坂神社」の実家の20080422_001

ようです。)を南に下がると壬生寺に着きます。

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地蔵菩薩を祀った寺で、新撰組の隊士の墓や近藤勇の像があったりして辺りから三橋美智也の「あぁ、新撰組」の歌が聞こえます。

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千躰仏塔

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どの建物も鉄筋コンクリート造りで、特に阿弥陀堂などは、すっきりし過ぎているようです。

壬生狂言の紹介がメデイアで取り上げられたせいか、大変な見物人が押しかけて、建物に入りきれないので、私など、炎天下にしばらく並びました。

20080422_003_2 全てで30演目あるうち、当日の演目は「炮烙割」[愛宕詣」「ぬえ(鵺)」「酒蔵金蔵」「餓鬼角力」の5演目でしたが、私は「愛宕詣」を1時間かけてみました。

愛宕参りの途中の茶屋で、金持ちの旦那が綺麗な着物を着た娘に一目惚れし、その場で自分の着ている高価な着物や刀を結納にするのですが、よくよく顔を見ると、あまりの不器量に逃げ出すというユーモラスな演目です。

それはそれは、ゆっくり進行するものですから、お尻が痛くなって一曲鑑賞するのが精一杯です。

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700年前(鎌倉時代)円覚上人が始めたもので、単調な笛の音が響き、カンデンデン カンデンデンデンという鐘と太鼓のおはやしのなか、「壬生念仏講」の素人役者さん達が全て面を付けての無言劇です。

円覚上人はこの中で、「勧善懲悪」「因果応報」を大衆に伝えたかったようです。

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壬生狂言は京舞や近松の脚本にも取り込まれています。

20080422_010最近はどこも「撮影禁止」が多いのですが、ここでもいたるところに、その旨の張り紙がありました。

UPしている写真は解説書からのものです。

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「清水の舞台」を極、小さくした年季の入ったステージで狂言は演じられるのですが、観客は向かい合った建物(保育園)の2階裏側に造られた階段状の客席から西日を浴びながらの鑑賞です。

舞台も、役者も、衣装も、お囃子も、演目も、そして観客も素朴で泥臭く、だからこそ700年も続いたかと思われます。

「重要無形民族文化財」に指定されています。

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近くの、新撰組の壬生屯所として使われた八木家は壬生狂言の世話役でもあり、「屯所餅」を売る「京都鶴屋」も経営。

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歯ごたえのある餅に刻んだ壬生菜が混じり、甘すぎない丹波大納言小豆の粒餡が入っていました。

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壬生狂言は春、秋、節分に公開されます。

一年に一演目鑑賞するとして、後29年楽しめるというものです。

(画像をクリック)

[もう少し詳しく]

壬生寺は10世紀末に建てられた寺で、以後、数度の火災に合い、最後は1962年の放火で本堂と本尊を消失し、現在の本山、奈良の「唐招提寺」より新たに本尊を移されたそうです。

石仏は明治以降の市電軌道敷設の際、土中から掘り起こされたものだそうです。


高麗美術館

2008年02月16日 | 文化・歴史

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この人は誰でしょう?

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先月の末、北区の住宅街にある「高麗美術館」を訪れました。

こじんまりした可愛い美術館です。

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この石人は剣を持っているので武人です。

門前に立っているのは文人でしょうか。

2mほどの石像です。              

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20080125_017_2 東アジアには古来、墳墓の周囲に石彫像を並べる

習慣があったようです。

日本でも九州北部には、筑紫(チクシ)の君磐井の一族の古墳に石彫像が見られます。

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うっかり見落としてしまいそうに小さな石人。

20cmほどしかありません。

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「高麗美術館」は、朝鮮半島から幼いころ両親と日本へやって来た、鄭詔文(チョンジョムン)氏が20年前、私財を投じて設立した美術館だそうです。

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この日は李朝の比較的新しいものが展示されていました。

A_2 「刺繍花鳥図十曲屏風」(18c後半)

狭い展示室のなかで、大声で仲間に美術品の説明をする男性がいました。

その人によると、

日本の刺繍は太さの違う糸を使うが、朝鮮では細い糸を密に刺すそうです。

屏風の蝶つがいも、日本のは180度しか開かないのですが、朝鮮のは360度開くといっていましたが、どうなのでしょう。

Bs

黒漆塗り螺鈿花鳥文箱(19c)

Ds

華角(ファカク)三層チャン

(19c後半)

                     (画像はHPから拝借) 

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華角(ファカク)とは牛の角を加工して透明の角紙を作り、それに絵や彩色を施して木製品に貼り付けたものだそうです。

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20080216_015 帰り際に売店で買ったストラップ。

小さな唐辛子がいっぱいぶら下がったようです。

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※設立当時のメンバーには、当時の古代史ブームを反映してか、司馬遼太郎など、著名な歴史家、考古学者、小説家が多くいます。


お酒の神さん・梅宮大社

2008年01月07日 | 文化・歴史

ホカホカ、ヌクヌク、たい焼きの入った紙袋を抱えて、松尾大社の大鳥居を出、松尾橋を渡ると、そのまま真っ直ぐ四条通を東進。20080104_021

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  二つ目の信号を左折すると両側から民家の迫った狭い参道に一の鳥居、二の鳥居とあって、桜門がドンとあります。

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 ドーン

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ズラリー!

                    

ここ、「梅宮大社」は酒造と安産の神さんがいらっしゃいます。

大山祗神(オオヤマズミノカミ=酒解神)を筆頭に木花咲耶姫命(酒解子神)、瓊々杵尊(ニニギノミコト)、彦火々出見尊が橘氏の氏神として祭られています。

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大山祗神と木花咲耶姫命は親子、木花咲耶姫命と瓊々杵尊は夫婦、その子供が彦火々出見尊という関係です。

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橘の諸兄(モロエ)の母、才女、県犬養三千代(藤原不比等と再婚して、聖武天皇の后となる光明皇后を産む)が山城の国綴喜郡井手町に祀ったものをいく度かの引越しの末、この梅津の地に落ち着いたものです。

嵯峨天皇の后が橘氏の出であることが主な理由のようです。

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こちらの本殿も改装中で、仮説の神殿でお参りをします。

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神職さんが月桂冠の酒樽から柄杓で紙コップにタラ~リとお酒を垂らしてくれたのを頂きました。

ヒンヤリ、すっきり、ほのかに甘く、澄んだ香りが遠くでしました。

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ここ梅津の地は、平安貴族の別荘地だったようで、大納言源経信が、友の別荘を訪れた時の歌、

「夕されば 門田の稲葉訪れて 芦のまろやに 秋かぜぞ吹く」の「まろや」が庭園内にあるというので入りましたが、小屋らしき建物も改装中でした。

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広い庭園には枯れ木ばかりで何もなく、ニャンコだけがのんびり姿を見せました。(入園料、払ったのに(ーー;))

白いニャンコだから「シロ!」と呼ぶと20080106_025

「んにゃ~~ん~」と返事をします。

面白いので3回ほど呼びかけるとそのたびに返事をするのです。

本当に、「シロ」という名前だったのかもしれません。

あと、すばらしく大きなチャ虎のオス。

悠然と去ってゆきました。

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「梅宮大社」という名前からも推察できるように、ここは梅の名所です。

もう、蕾がふっくら膨らんできています。

2月ごろには「芦のまろや」も完成していることでしょうから、そのころ又、来て見ましょう。

(画像をクリック)


お酒の神さん・松尾大社

2008年01月05日 | 文化・歴史

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2日、初詣は「お酒の神さん」として有名な松尾大社にやってきました。

7世紀初頭、秦氏は松尾の山の大山咋神を、自らの氏神として麓に社殿を作り祀りました。

山の中腹には磐座があり、先住の民の祭祀の場であったようです。

磐座の写真撮影は禁止で、当日の拝観はお休みでした。

あと、秦氏と縁のある宗像の中津島姫命(市杵島姫命)も祭られています。

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20080104_008 一の鳥居より小ぶりな二の鳥居が見えます。

気のせいか今年の人の出は少ないように思えます。

参道の両脇には露店が並び、良い匂いが・・・

アッ、鯛焼き!20080104_020

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帰りに寄るからねっ!とウインクして通過。

                          

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江戸時代初期に創建された立派な桜門。

門を入って左側に「お酒の資料館」があり昔の酒造用具が展示されている。

春には山吹の花が境内を埋め尽くします。

又、そのころ散歩がてらに来て見ましょう。

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左右の門柱の金網の中には弓取りが睨みを利かせています。

その金網には願い事を書き込んだしゃもじが沢山突き込まれています。

願いをスクイ取るということでしょうか。

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20080104_012 舞殿です。

大きな絵馬にはその年の干支とお酒が絡んで描かれています。

                  

   

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ずら~り~・・・どうです、これ!

さすがお酒の神さん。

「亀の井」という霊泉が湧いていて蔵元関係者はこの水を持ち帰るそうです。

                  

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このつる草、名前を忘れてしまいましたが、葉の付け根に鉤状の突起があって これで引っ掛けながら絡まって行くそうです。

                          

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  そして、本殿に向かって鈴をガランガラン振って参拝。

本殿は修理中なのか青いプラスチックの波板が覗いていたりで、面白くないので撮影はパス!

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大きな「どんど」の周りでは大勢の人が一合枡でお酒を飲んでいます。

やっぱり、「お酒の神さん」

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この後、仮設テントのなかで遅い昼食をとりました。

「にしんそば」とみたらし団子です。 20080104_017

餅粉の少ない、あっさりした小さめの団子で、焼きたての焦げ目が香ばしく、熱々の垂れが掛かっています。

蕎麦はゆで加減も程よく、濃い目のだしが、にしんの甘露煮とよく調和してプロのお味に満足。

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さあ、それでは二つ目の「お酒の神さん」を訪ねましょう。

おっと、「たい焼き君」、今行くからね。


夜の大覚寺

2007年12月15日 | 文化・歴史

20071210_010 今年も「花灯篭」の行事が嵯峨・嵐山界隈で17日まで催されます。

去年の'06 花灯篭」「デジタル掛け軸」見たところは省いて「大覚寺」へ行ってみました。

我が家から早足に歩いて、片道30分。

歩きましたね~。まるで競歩です。(バスもあるのに。)

18時30分、大覚寺にたどり着いたときには汗ばんでいました。

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大覚寺境内の東にある「大沢の池」に姿を映すのは「心経宝塔」。

昭和になって建てられた鉄筋コンクリート造りの多宝塔です。

「大沢の池」は中国の「洞庭湖」を模して造られ「庭湖」とも呼ばれています。

中秋には竜頭・鷁首船を浮かべ観月の行事もあります。

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桓武天皇の子、嵯峨天皇(在原業平のおじいさんの弟)の離宮でしたが、天皇崩御の後、代々、天皇や皇族が住職となる門跡寺院となりました。

嵯峨天皇と空海との繋がりは深く、この寺は「五大明王」を祀る真言宗です。

                        

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その後荒廃しましたが、14世紀、後宇多法王により復興、院政が執られ「嵯峨御所」とも呼ばれます。

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後の南北朝時代には南朝・「大覚寺統」としてこの寺を本拠地としました。

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伽藍の内では最も「大沢の池」に近い場所にあるのが、五大明王を祀った、本堂でもある「五大堂」です。

江戸時代に再建されたもので、本堂の位置としては伽藍の端という珍しい位置ににあります。

ここから、クツをビニール袋に入れて建物に入ります。

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20071210_042 「心経殿」

嵯峨天皇をはじめ、六天皇の直筆の般若

心経の写経が収められています。

かつてこの位置には本堂「五大堂」がありました.

大正14年、法隆寺夢殿を模して造られた八角形の鉄筋コンクリートのお堂です。

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建物はすべて個別に建っていますが、渡り廊下で結ばれている寝殿造りです。

                         

                         

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大正14年に建てられた、「心経殿」を拝する「心経前殿」です。

拝殿のある造りは神社を思わせます。                       

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「霊明殿」

この夢のように美しい建物は、昭和の初めに移築されたもので、縁板まで含めて艶やかな朱塗りです。

かつて総理大臣を努めた斉藤実が東京に建てた「日仏寺」の本堂だったもの。

阿弥陀如来が本尊。

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桃山時代の建物、「正寝殿」の「御冠の間」です。

ここで後宇多法王が院政を執りました。

                    

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山水画の一部です。

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「寝殿」

江戸時代初期、後水尾天皇の中宮の御殿を移築したものだそうです。

廊下は全て鴬張り

桃山時代の華麗な金壁画です。

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「牡丹図」狩野山楽筆

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「紅白梅図」狩野山楽筆

狩野山楽は永徳の弟子です。

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20071210_074                      

                      

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「式台玄関」

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狩野永徳の「松に山鳥の図」

右方向に山鳥の番が描かれている筈^_^;

                         

 

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これで一通り観て周りましたが、「寝殿」の襖絵のオリジナルは収蔵庫に収められていて、複製が展示されているとか。

大正から昭和にかけて、本堂のあるべき伽藍の位置に天皇を強く印象付ける「心経殿」を移築するなど、大きな変化を感じます。

建物も移築、再建など多く、複雑な歴史がうかがえます。

ああ、ー名こそ流れて なお聞こえけれーーの「名こその滝」が池の側にありました。

境内や大沢の池の周辺には、まだまだ風情ある建築物が沢山あります。

   

そして、鉄筋コンクリート造りの建物は、当時どのように人の目に映ったのでしょうね。

日本最古の鉄筋コンクリートの建造物は、1903年、山科区日ノ岡にある、琵琶湖第一疎水上に架けられた7mほどの橋で、現在も多くの人に利用されているようです。

強度不足も鉄筋の本数不足もない、しかも役所の技師の管理下の仕事だというではないですか。

さあ、また30分大急ぎで帰りましょう。

夕飯に間に合うかも。                      

(駐車場はずいぶん空いていました。)            

 (画像をクリック)