日曜日の夕方6時ごろ。
いつもの散歩に出かけました。
葉を落とし始めた桜林の中を元気に両腕を振って、新しいシャンソンを口遊みながら。
・・・とっ!
急に左二の腕の内側に、イガグリに取りつかれた痛みが。
見てみると黄色いものがしがみ付いている。
振り払おうとしても容易に剥がれません。
蜂だ!と気づくと同時に右手で追い払いました。
すぐさま傷口を吸って唾を吐きましたが、どれほどの効果があったか。
幸い自宅が近かったので連れ合いにあたふたと成り行きを説明。
彼が常備している、注射器のような形をした、毒液吸引器を傷口に当てがっていました。
しかし、患部はだんだん熱をもって赤く腫れあがり、途轍もない痛みが襲ってきました。
慌てていたので蜂をよく観察しなかったけど、あれはひょっとしてスズメバチでは?
かなり大きかったぞ!
今晩、はたして私は眠ることが出来るだろうか?
ついに、決心しました。
救急車を呼ぼう!
救急車の中では、該当する病院を探している間に、
氏名(私の名前の漢字を何回も書き直す隊員)、
生年月日(「ああ、もうすぐお誕生日ですね」ーなんて余計なことを)を問いただし、
血圧計を装着。
蜂に刺されたのは初めてかどうか。
何度もどんな蜂かを聞かれたけど、黄色くて大きかったことしか記憶にありません。
そうこうしているうちに、K病院に到着。
救急車はよく揺れて、もう少し乗って入たら酔ったかもしれない。
そういえば数年前にもこの病院に救急車で搬送されたことを思い出しました。
あれはカワアイサを夢中で撮ろうとし、コンクリートの堤防で思いっ切り転倒。
向う脛の骨にまで達するほどの裂傷を負った時でした。
あの日も日曜日。
救急車のお世話になりました(^_^;)
先生と看護師さんの下にも置かぬ丁寧でスピーディーな扱いに多少面喰いながら、
救急車で聞かれたこととほぼ同じ事に答えました。
刺されたのが2度目だと、毒に対する反応がきつく出るそうです。
以後、蜂には気を付けるようにとのこと。
どうも、心配するようなこともないようでしたが
用心のため、あれこれ計器を付けて2時間近くベッドに寝かされました。
10日以上たつ今日、あの恐ろしい痛みはなくなりましたが、まだ腫れが引きません。
蜂は黒い色に反応するそうですが、当日私は黒いシャツを着ていました。
おまけに、あの日に限って元気に腕を振って歩きましたから。
熊と間違えられたのかな?
前評判に違わず明るく大きなお月さまでした。
うっかり、望遠レンズを装着していたものですから、渡月橋とのコラボはあきらめました。
月か橋かのどちらかしか画面に入らないのです(^_^;)
外国語が飛び交う月見になるかと思っていましたが、案外、観光客は少なかったようです。
日中の観光客は多いのですが・・・
それと、彼らに月見の嗜好がなかったのかもしれませんね。
明日はクリスマス・イヴ
もう、心ときめくことはないけれど、年中行事としてリースを飾り付けています。
先の衆議院選挙では、原発推進の自公が圧勝。
投票率は過去最低。
JRの売り出した記念プリペイドカードに群がった人たちが9千人!
買えなかった、ほとんどの人たちが、
寒空に何時間も並んだのに!
押されて怖かった!
JRの誘導がなかった!
涙を流して訴える人も・・・
この二つの出来事、どこか共通しているような・・・。
そして、一昨日
窓からの景色・・・
サンタさんの駆けっこは延々と続きました
そして、JRはカードを増刷して全員の機嫌を取るらしい
山裾の住宅街に、隠れ家風の創作割烹の店がある。
最近チョクチョク噂に上る店だが20年前から趣味をかねて、少数の客を取っていたという。
どれどれと行ってみた。
まず、膳と膳の間隔の長さに驚いた。
何を食べたか忘れた頃に次の膳が来る。
途中で満腹感が訪れる。
何のための予約か?
隣部屋の女性客の話し声が、私の同伴者よりも大きいのも気にいらない。
それに、目を見張るような創作料理は一向に出てこない。
氷を盛り上げた大きな舟に、刺身が少し。
白味噌が濃すぎて、アサリの味が飛んでしまった味噌汁。
生麩の天ぷらをあわぶ?の天ぷらと言い間違う仲居。
等など。
見せ掛けだけで2時間もの長い間、薄暗い個室に閉じ込めらた食事にゲンナリ。
ネットの口コミや人の噂のいい加減さに腹が立つ。
味覚や美意識の欠如としか言いようが無い(ーー;)
家の前の原っぱ。
先の台風ではこの辺りまで水がヒタヒタと寄せてきました。
何十年に一度の大雨をもたらした台風18号。
刻々と水かさの増える桂川を窓から眺めた昨日でした。
あくる朝、中ノ島に様子を見に行きました。
中ノ島橋から下流
オオジュリンやホオジロが飛び交った葦の茂みも草叢も無く、一面の濁流
母がよく一服していた東屋には沢山の漂流物が・・・
向こう岸は「右京区」
堤の石積みがあちこち剥ぎ取られ、大きな穴が穿たれています。
置石もかなり移動しています。
昨日に比べ水位はずい分低くなりました。
台風が抜けると雨脚も穏やかになり、見る見るうちに水位が下がり始め、胸を撫で下ろしたのです。
ベンチには若いカップルの替わりに流木が座っています。
早くから、沢山の人たちが跡片付けや、測量、報道、見物に駆けつけました。
数年前の大きな台風では敷き詰められた砂利がかなりさらわれましたが、今回は砂利はもとより大きな石までもって行かれ、基礎の部分がむき出しになっています。
渡月橋そのものはしっかり踏ん張っていました(^^♪
橋の上流からです。
漂流物を沢山纏っていますね^_^;
魅力的な枝ぶりです。
ホテルの送迎船がダメージを受けました。
料理屋さんにも濁流が流れ込み、建物の洗浄に懸命に取り掛かっていました。
汚れた畳や、調度、食器も外に積み上げられています。
でも泥だらけの食器は見たくありませんでしたね。
嵐山の一般民家に被害はありませんでした。
しかし、観光旅館や料亭は、景観重視のため川と同じくらいの高さにあるため浸水したのでしょう。
かつての雅を取り戻すのにどれくらいの月日が掛かるのでしょうか?
そんなに遠いことではないように思われますが・・・