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花鳥風月猫三昧 Ⅱ

京都にて四匹の猫とマッタリ暮らしています・・・ バオバオ

平安神宮御苑

2009年06月28日 | 文化・歴史

20090623 白い砂に朱の柱、そして緋の袴の鮮明なコントラストは、以外に清涼感があります。

前回、平安神宮の苑にやって来たのは記憶の彼方。

ずい分、久しぶりです。

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萩の咲く小道を辿ります。

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涼しげなガクアジサイ

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20090623_011 池の辺には「花菖蒲」がひしめき合っています。

20090623_015 私の通った小学校が、この庭のすぐ裏手にあるものだから、お絵かきの時間はここで、観光客に覗かれ、批評されながら写生をしたものです。

20090623_024 平安神宮は「長岡京」「平安京」と、奈良の都から2度の遷都をした「桓武天皇」と、都最後の天皇、孝明天皇を祀った神社です。

20090623_030 桓武天皇には実に、23人の妃と36人の皇子女がいたといいます。

20090623_038 彼が帝位に即けたのは藤原氏(式家)の援助と陰謀のおかげ、また皇太子の早良親王(実弟)を藤原種継暗殺の疑いで流罪、死なせています。

陰謀、策略の渦中にいた彼は、終生、怨霊の祟りを恐れたようです。

20090623_043 母は百済系渡来人、「和(ヤマト)氏」の出で、「高野新笠」です。

天皇が渡来系なのは、桓武に限ったことではないでしょうが。

陵は伏見の柏原陵とされていますが、確かな場所は不明だそうです。

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池に架かった屋根つきの風雅な橋は、涼しい風が吹き抜け、疲れた足を休ませるには最適でした。


松尾大社の山吹

2009年04月21日 | 文化・歴史

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20090419_037 松尾大社では今、山吹が満開です。

20090419_002 かつてはこの辺り一帯が山吹の群生地だったようですが、開発によって大部分が消滅したそうです。

20090419_016 夜にはライトアップもされました。

20090419_019  毎年この時期にやって来るカメラマンも多いようです。

一重も良いですね。

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「ほろほろと 山吹散るか 滝の音」  芭蕉

北海道から九州まで分布する山吹の原産は日本と中国とのこと

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「~~山吹の 実の一つだに なきに悲しき」

は八重咲きの山吹を歌ったもので、一重のものには秋に実が生るそうです。

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20090419_009_2 花びらが白い山吹。

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20090419_051 シャガの季節でもあります。

    


京都薪能

2008年06月07日 | 文化・歴史

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6月3日、前日からの強い雨も昼過ぎからは止んで、順延になっていた「京都薪能(たきぎのう)」を鑑賞するべく平安神宮に行きました。

(鳥居の向うに見えるのは美術館です。)

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「薪能」とは夏の夜、能楽堂または野外で、仮設の舞台の周囲に篝火を焚いて、そこで演じられる能のことです。

「待ち」を覚悟で文庫本を持参、立ち読みです。

ところで、中央の建て看板の上から二番目の字、「都邑」と同じ意味だと思いますが、手持ちの辞典には載ってないのですが?

今年は「源氏物語千年紀」といわれるだけあって、演目には「夕顔」「紅葉の賀」「おばんと光君」「葵上」があります。

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狂言師、茂山家の御曹司がおばさんたちのサイン攻めに合っていました。

中学時代の国語の先生は茂山~子さんという方でしたが、狂言師、茂山家の出身でした。

いつも紫色の上着を着て、長い髪を引きつめ、後ろでお饅頭にしていました。

高くよく通る声の持ち主だったことと、その古風な美貌を、今でもおかしいほど鮮明に覚えています。

今回の能は「観世流」(能楽堂、観世会館はこのすぐ近くにあります。)と「金剛流」の共演とかで、とても珍しいことのようです。

4時30分、ようやく待ち人の列が動き出しました。

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応天門の脇の通用門から入ると、大極殿に似せた社殿の、広い前庭に舞台がしつらえてあり、その周りには注連縄がめぐらせてあります。

案の定、上演中での撮影は×。ケチ!

正面の中間あたりの長椅子に陣取って、買い求めたパンフレットに目を通していると、瀬戸内寂聴さんがおなじみの笑顔で目の前を横切って、招待席の方へ行かれました。

寂聴さんも「源氏物語」とは関わりの深い方ですね。

日が少し落ちてきた頃「夕顔」が演じられました。

舞台裏から楽器の音合わせが遠く聞こえた後、薄ねず色の揃いの裃を着た囃し方がスタンバイ、鋭い笛の音が空に抜けると、大鼓の乾いた音と、小鼓の円やかな調子が長い間を取り合い、太鼓の音も穏やかに、地謡の流れる中、時折の掛け声が場を引き締めます。

演目「夕顔」は六条御息所の生霊に取り殺された夕顔の霊が通りかかった僧にわが身の無念さを物語るものです。

20080605_010 夕顔の霊は白拍子のように、白い絽の狩衣みたいなのを着て、青磁色の袴を穿いていて清らかでした。(画像はパンフから拝借)

地謡は全く意味不明でした^_^;が七五調の流れは耳に心地よいものでした。

20080605_012 「紅葉の賀」では帝の前で光源氏と頭の中将が舞いを披露するのですが、能の動きはとにかくゆっくり、動作も少ないので初心者はくたびれます(^^)

光源氏(金剛流)と頭の中将(観世流)の舞の違いは全く分かりません。

ただ、能装束の豪華さは目を愉しませますね。

高級な西陣織の衣装だそうです。

神苑劇場が薄暗くなってきた頃、白装束の白丁姿の人たちが、松明からかがり火に点火をしてまわると、白い煙が風に流れ、燃えた木の香りが漂ってきました。

大極殿を模した神殿を背景に、白砂の上にしつらえた舞台。

その上に鼓や謡が流れ、静々と舞うきらびやかな姿を照らすかがり火のパチパチ爆ぜる音。

空高く薄明かりの中、ねぐらへ帰る鷺のシルエット。

広々とした野外劇場の大らかな催しはこの上なく雅なものでした。

ーーーーーこの日は寒さが戻って、4月中頃の気温でしたので、「おばんと光君」という茂山一族の狂言をさいごに帰ることにしました。

20080605_011 この演目は、老女、典侍と光君、頭の中将たちをもじって「おばんの典侍、蛍の君、とうふの中将」と命名したパロディーで、好きもの同士のおかしげなお話。ーーーー

先の二話が「おもて」を付けた仮面劇であるのに、この劇は「直面」(ひたおもて)で、前者が書き言葉に対して、後者は話し言葉です。

初心者にもよく分かり、見物席からも笑いが聞こえました。

能楽は約600年前に猿楽から、観阿弥・世阿弥親子達によって大成されたといわれています。

面、囃子、衣装・扇、謡、どれをとっても美しさと高度な技術に裏打ちされた要素を集約した能楽は、ユネスコ第一回世界無形遺産に登録されているそうです。


葵祭 その2

2008年05月16日 | 文化・歴史

20080515_032 太田神社(大田神社)です。

上賀茂さんから徒歩10分位でしょうか。

上賀茂神社の摂社になっていますが、この神社のほうが古いそうです。

天鈿女命を祀っていますが、猿田彦神を祀った「福徳社」など

他にも小さな祠があり、これらの神をまとめて「大田神」?というらしい。

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この地には、もと、壬生、丹生、小野などの氏族がいて、大田神を祀っていたところへ、カモ氏がやって来て湿地帯のこのあたりを開拓、力をもったようです。

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カモ氏と大和政権との繋がりは深く、カモ氏は大和政権の山背(京都)進出の先鞭を努めたとの説もあります。

20080515_039 この日は大田神社もお祭りでした

20080515_020 神苑の向うに小さな神輿が見えますね。

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厄除けの傘

上・下賀茂神社もそうですが、この神社の神殿の屋根には千木、鰹木がないのです。

そういえば、松尾大社の本殿の屋根にも見当たりません。

20080515_010 すぐ近くのレストラン「愛染倉」で昼食をとって上賀茂神社へ向かいます。

此処は、以前美味しい蕎麦を食べさせていたのに、今はパスタを食べさせます。

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20080515_037 道中、上賀茂神社の神官たちの家が並ぶ社家街を通ります。

20080515_042 賀茂川から引いた川が、神社の境内を通り抜け、明神川として社家の前を流れます。

この川の水を、屋敷内に引き入れ、また川に戻すよう工夫されているそうです。

今も、神官がこの屋敷内に住んでいるかどうかは分かりません。

上賀茂神社は神山(神社から北へ2キロほどのところにある丸く、ぷっくりした山)をご神体とし、別雷神を祀っています。

午後2時半、上賀茂神社にやってきましたが、行列の到着まで、1時間はあります。

指定席に陣取る人たちがかなりいますが、この炎天下、とてもあそこに座る勇気がありません。

しかし、御所での立ち見の忌々しさを思うと、良く見える場所の魅力には抗えません。

向かいの指定席の一部は木陰になっていますが、ぎっしり人で埋まっています。

ジリジリ、クラクラ、イライラ・・・ため息と後悔の連続を耐えました(~_~;)

嗚呼!ついに一の鳥居に異変が・・・

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「乗尻」

行列を騎馬にて先導、露払いをします。

一の鳥居の手前で馬を降ります。

牛馬、山車といったものは全て境内の外に置かれ、人は徒にて参道を二の鳥居のほうへ進みます。

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「衛士」御幣物唐櫃を守護します。

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「内蔵寮史生」上司に御幣物を手渡す役人

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千円の出費はあったけど、しみ、ソバカス、シワの恐怖は残ったけど、この美しさには替えられません。

白昼夢を見た思いです。


葵祭その1

2008年05月15日 | 文化・歴史

今日、五月十五日は葵祭です。

今まで、休みの日にかち合わず、一度も見たことがないので出かけました。

出発地点である、「京都御苑(京都御所)」に行くことにしました。

地下鉄烏丸線を四条から丸太町まで乗りましたがその混雑振りはかなりなものです。

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葵祭は[賀茂祭」ともいって起源は飛鳥時代にまでさかのぼるそうです。

賀茂神社の斎王には未婚の内親王がなり、天皇の代が替わるまで

その身分は続いたそうです。

今年の斎王代には料亭の若女将がなりますが、彼女のお父さんをテレビの料理番組で見かけたりします。

20080515_063 王朝装束をまとった、五百余名、長さ八百メートルに及ぶ行列は、午前十時半、京都御所を出発し下賀茂神社を経て上賀茂神社まで約八キロを練ります。

上賀茂神社に到着するのは、十五時三十分頃のようです。

この、あせた紅色の装束を着た武官は「看督長(かどののおさ)といって警察官のようなものです。

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賀茂神社の紋が「双葉葵」のためか、どの人も体のどこかに双葉葵の小枝を刺しています。

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「源氏物語」で名高い、葵上と六条御息所の車争いの場面を思い起こします。

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巡行のコースは交通規制や通行止めになり、沿道は壁のように隙間なく人々に埋め尽くされます。

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「風流傘」といって行列に花を添える大きな傘です。

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御所の中は最も見物客が多く、沢山の指定席の後ろに十重二十重の人垣で、その間の小さな隙間からカメラのシャッターを切るのです^^;

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テレビのロケ隊の櫓や背の高い欧米人を横目で見ながら隙間を探して右往左往するのも疲れます

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藤の花で飾られた華やかな車がやってきました。

斎王代の輿も近づいてきたようです。

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初々しく、凛とした斎王代です

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輿のうしろから十二単の裾がこぼれて華やかでした。

この後、行列はトップの写真、「堺町御門」から出て市中に繰り出します。

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私もペットボトルのお茶を飲みながら、川原町通りを北上する行列を追いました。

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葵橋の西詰めから賀茂川を渡って下賀茂神社に入り、二時過ぎから上賀茂神社に向かいます。

私はここからバスに乗って、植物園前で下車し、あとタクシーで「太田神社」のかきつばたの群生を見てから、上賀茂神社に向かいます。

次回「葵祭その2」をお楽しみに

(画像をクリック)