6月3日、前日からの強い雨も昼過ぎからは止んで、順延になっていた「京都薪能(たきぎのう)」を鑑賞するべく平安神宮に行きました。
(鳥居の向うに見えるのは美術館です。)
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「薪能」とは夏の夜、能楽堂または野外で、仮設の舞台の周囲に篝火を焚いて、そこで演じられる能のことです。
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「待ち」を覚悟で文庫本を持参、立ち読みです。
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ところで、中央の建て看板の上から二番目の字、「都邑」と同じ意味だと思いますが、手持ちの辞典には載ってないのですが?
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今年は「源氏物語千年紀」といわれるだけあって、演目には「夕顔」「紅葉の賀」「おばんと光君」「葵上」があります。
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狂言師、茂山家の御曹司がおばさんたちのサイン攻めに合っていました。
中学時代の国語の先生は茂山~子さんという方でしたが、狂言師、茂山家の出身でした。
いつも紫色の上着を着て、長い髪を引きつめ、後ろでお饅頭にしていました。
高くよく通る声の持ち主だったことと、その古風な美貌を、今でもおかしいほど鮮明に覚えています。
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今回の能は「観世流」(能楽堂、観世会館はこのすぐ近くにあります。)と「金剛流」の共演とかで、とても珍しいことのようです。
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4時30分、ようやく待ち人の列が動き出しました。
応天門の脇の通用門から入ると、大極殿に似せた社殿の、広い前庭に舞台がしつらえてあり、その周りには注連縄がめぐらせてあります。
案の定、上演中での撮影は×。ケチ!
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正面の中間あたりの長椅子に陣取って、買い求めたパンフレットに目を通していると、瀬戸内寂聴さんがおなじみの笑顔で目の前を横切って、招待席の方へ行かれました。
寂聴さんも「源氏物語」とは関わりの深い方ですね。
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日が少し落ちてきた頃「夕顔」が演じられました。
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舞台裏から楽器の音合わせが遠く聞こえた後、薄ねず色の揃いの裃を着た囃し方がスタンバイ、鋭い笛の音が空に抜けると、大鼓の乾いた音と、小鼓の円やかな調子が長い間を取り合い、太鼓の音も穏やかに、地謡の流れる中、時折の掛け声が場を引き締めます。
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演目「夕顔」は六条御息所の生霊に取り殺された夕顔の霊が通りかかった僧にわが身の無念さを物語るものです。
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夕顔の霊は白拍子のように、白い絽の狩衣みたいなのを着て、青磁色の袴を穿いていて清らかでした。(画像はパンフから拝借)
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地謡は全く意味不明でした^_^;が七五調の流れは耳に心地よいものでした。
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「紅葉の賀」では帝の前で光源氏と頭の中将が舞いを披露するのですが、能の動きはとにかくゆっくり、動作も少ないので初心者はくたびれます(^^)
光源氏(金剛流)と頭の中将(観世流)の舞の違いは全く分かりません。
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ただ、能装束の豪華さは目を愉しませますね。
高級な西陣織の衣装だそうです。
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神苑劇場が薄暗くなってきた頃、白装束の白丁姿の人たちが、松明からかがり火に点火をしてまわると、白い煙が風に流れ、燃えた木の香りが漂ってきました。
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大極殿を模した神殿を背景に、白砂の上にしつらえた舞台。
その上に鼓や謡が流れ、静々と舞うきらびやかな姿を照らすかがり火のパチパチ爆ぜる音。
空高く薄明かりの中、ねぐらへ帰る鷺のシルエット。
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広々とした野外劇場の大らかな催しはこの上なく雅なものでした。
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ーーーーーこの日は寒さが戻って、4月中頃の気温でしたので、「おばんと光君」という茂山一族の狂言をさいごに帰ることにしました。
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この演目は、老女、典侍と光君、頭の中将たちをもじって「おばんの典侍、蛍の君、とうふの中将」と命名したパロディーで、好きもの同士のおかしげなお話。ーーーー
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先の二話が「おもて」を付けた仮面劇であるのに、この劇は「直面」(ひたおもて)で、前者が書き言葉に対して、後者は話し言葉です。
初心者にもよく分かり、見物席からも笑いが聞こえました。
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能楽は約600年前に猿楽から、観阿弥・世阿弥親子達によって大成されたといわれています。
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面、囃子、衣装・扇、謡、どれをとっても美しさと高度な技術に裏打ちされた要素を集約した能楽は、ユネスコ第一回世界無形遺産に登録されているそうです。