10年以上、出前させていただいている小学校へ
~ 相模原市立大野北小学校 5年生 4クラス ~
~ 相模原市立南大野小学校 5年生 3クラス ~
~ 相模原市立大野北小学校 5年生 4クラス ~
~ 相模原市立南大野小学校 5年生 3クラス ~
2012年2月24日 3,4時限と5,6時限の2コマ
大野北小 ランチルームにて
2012年2月27日 5時限
南大野小 視聴覚室にて
●つづけていくということの重さ
南大野小学校5年生への出前は、伝えるネット設立のきっかとなった1999年度から、大野北小5年生への出前は、2003年度から毎年取り組んでいます。
大野北小では、公害教育というだけでなく、いのちの総合学習という形で位置づけてくださり、確実に毎年申し送りされて呼んでいただくので、とてもありがたく受け止めています。会場も、毎年同じなので、安心です。今年は、一緒に出向くことになっていたメンバーが急病となり、ひとりで行くことになりましたが、その安心さが支えとなりました。もちろん、子どもたち総出で机やいすを並べたり、写真パネルを並べたりしてくれたのが、いちばんだったのですが。
メンバーのなかには21年間PTAに在籍していた者もいる南大野小学校も、メンバーたちの子どもたちが卒業してから4年が経ちました。あんなに馴れ親しんだ校舎も、やはり雰囲気の違いを感じないではいられませんでした。出前も13回目、13年目になるのですから、当たり前ですね。
しかし、南大野小学校は、私たちの出前活動を育ててくれた学校だと、私たちは思っています。家の脇を通って学校に行く子どもたちにこそ伝えたい、という願いも揺るぎません。指導要領の改訂や、さまざまな行事のやりくりをして13年目の設定をつくってくださった南大野小学校に感謝であります。
振り返って、子どもたちに伝えるということの上に流れる月日の意味を思います。私たちは、教育専門家でも評論家でもないのですが、「伝える」ということや「教育」なるものは、たぶん、目に見えるような成果や結果を求めるものとは、違う種類の営みなのだろうと思います。
大袈裟かもしれませんが、つづけていくというなかで、人というもののタイムスパン、あるいは、人が知り、学ぶということのあり方がぼんやりと見えてくるような気がします。
市井の生活者としての私たちがそんなことを感じたり考えたりする活動が、「伝える」ということだと、今さらにして実感します。そして、このような場を与えてくれた学校や先生方への感謝を深くするものです。
しかし、伝える中身が社会に反映された時代がやってきたとは、残念ながら思えません。むしろ、3.11後フクシマで起きていることを見ると、それでももっと「伝える」ことに力があればいいのにと、一方で思わないではいられないのです・・・。
改めて、私たちの活動の重さを振り返りたいと思っています。
●大野北の教頭先生は、高校生のとき川本さんにインタビュー経験あり
前述のとおり、同行メンバーの急病でひとりきりで2コマ。取り組みの不安を払しょくしてくれたのは、キビキビとした子どもたちの援助でした。準備から後片付けまで、本当に助かりました。
2クラスずつランチルームに入ってもらって、1日に2回お話をさせていただきました。黙って入って行儀よく着席、私語もほとんどない子どもたちでした。でも、いざ「水俣」の話にはいると、投げかけには元気よく答えてくれて、深くうなづくその姿も、まことに子どもらしい子どもたちでした。
午前の1回が終わると、そのまま誘われて5年1組で給食をいただきました。給食前は読書タイムになっているそうで、給食当番でない子たちは、ちゃんと読書。給食当番の子どもたちの整然とした動きにもびっくり。
給食の牛乳パックの後片付けも、みんな、すごく合理的に身についているみたいでした。
ばっかり食べの様子が気にかかったものの、校内放送で流れた餅つき大会のアナウンスは、あとで訊けば、「おやじの会」の取組みとか、子どもたちを囲む様子をなんとなく知る機会となりました。
そして、午後の回。余り十分にとれたとは言えない質問タイムのあと、子どもたちに感想をもらった最後、教頭先生が発言されました。なんと教頭先生、高校生のとき川本輝夫さんにインタビューしに行ったことがあって、そのときのことを話してくださいました。
そうです。いろいろな人がいろいろな関わりのなかで「水俣」の話をしていくことができたら、なんとステキなことでしょうか。
帰りがけ、教頭先生とお茶したら、なんと、学年こそちがえ、同じ年生まれだったんですよ。
●インターンシップの学生さんに手伝ってもらった南大野小
どうしても自分の住む校区の、南大野小学校に出前に行きたくて、まるで営業のように、昨年末から働きかけ、他の小学校からどんどん出前依頼が入ってきて、この按配では地元の南大野に出前する余裕がなくなってしまわないかと不安で、ためらう気持ちを押さえて出前の時間を作りだしていただきました。なので、恒例の2時つづきをとることはできず、第5時限、1時間のバージョンをつくってのぞみました。1時間バージョンにするには、いろいろと削らなくてはなりません。先生方と削る部分の確認を直前15分前に行うという綱渡りでありました。
それに、このところ、周辺でまちづくりのNPOを立ち上げるために伝えるネットのメンバーはそちらに時間を取られてしまい、出前体制を取ることが不十分でありました。
持ち込んだ水俣の写真を一巡して見る南大野小の子どもたち
なんと、お昼休みを削って、写真を見る時間をつくりだしてくれたのでした。
大切なお昼休みを削ってつきあってくれて、ありがとうね、みんな。
なんと、お昼休みを削って、写真を見る時間をつくりだしてくれたのでした。
大切なお昼休みを削ってつきあってくれて、ありがとうね、みんな。
そこで助けを求めたのが、相模原市立環境情報センター。当日は、インターンシップの桜美林大学生2名を含む3人の助っ人が得られました。
とにかく、この日はショート・バージョン。手際よくPPスライドを送ってもらうこと、そして、しゃべり過ぎてしまうことを防ぐタイムキーパーの役割をお願いしました。話しかけていると、タイムを見ながらなんて、とうていできないので、タイムキーパーの合図を頼りに進めることができました。
でもね、子どもたちの瞳は、1時限も2時限も変わりません。
大人の私が、子どもたちの瞳に支えられて、ようよう活動できているという次第であります。
キチキチのカリキュラムをさいてくださって、ありがとうございました。南大野の先生方。
●インターンシップの学生さんによる出前の感想
水俣病については、それなりに知っているつもりでいましたが、実際の写真や映像を見てイメージが変わりました。
講座中私が一番印象に残ったのは田嶋さんの人が人と認め合えられれば公害病は防ぐことが出来るという言葉でした。助け合いというような簡単な言葉では言い表せられないが、水俣病は勿論その患者も取りあえず無視するのは、いけないのではないかという気持ちにさせられた。また、私もボランティアで取り組める何か熱くなれるものを見つけたいと思いました。
また機会がありましたら是非とも田嶋さんの講演に参加したいと思います。
(桜美林大学2年 谷口さん)
水俣病については、今まで学校などでたくさん教わってきました。
ですが、今回の授業では、今まで見たことのないたくさんの写真や動画を見せていただき、知識を教わるより深く心に響きました。
「私達が海や森を守るのではなく、海や森が私達を守ってくれているのだ」という言葉にはっとさせられ、
「治る病は医者に何とかしてもらうしかないが、治らない病は、私たち自身が出来ることがある」という言葉に衝撃を受けました。私にとって今までにない発想でした。
当事者の方のお話を直接聞きに行く機会というのはなかなかないと思うので、田嶋さんの様に人と人との間を埋めて伝えるという方の存在はとても重要だと思います。
今後、水俣病のような過ちを繰り返さない為にも、人を人と思い尊重し、海や山にも恩返しをしていかなくてはならないと思いました。事が起きてからでは遅いですよね。
今回このようなお話を聞かせていただくことが出来て良かったです。私も、まずは身の周りの人に少しでも伝えていけたらなと思います。ありがとうございました。
(桜美林大学2年 高橋さん)