『とぅから家。』繁盛記

-oisi・tanoshi・ureshi-

2015年 ありがとうございました◎

2015-12-31 08:58:53 | 日記
「何かを教えたい人は」

結局人は惚れた人から学ぼうとする
だから何かを教えようとする人は
「どうやって知識を増やすか」より
「どのように生きたら惚れられる人になるのか?」
「どのように生きたら好かれることにOKがでるのか?」
を心がけたほうが良いぞー 良いぞー 良いぞー

- 本田晃一 -

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この文章を読んでいたら、私の師匠を思い出しました。

師匠とは「具志堅京子」先生。


そぅそぅ、この方。
・・・違うってば!


はぃ。正解はこのお方です。
肩書きはこんな感じです。

具志堅京子 (ぐしけんきょうこ)
久米島仲里村出身。
日本三板協会理事長。
幼い頃より民謡や舞踊と琉球芸能に興味を持つ。
高校卒業後、那覇へ出てきて山川徳一門下に。
19歳で早くも「宮里のサンデー小」にてレコードデビュー。
結婚後しばらく子育てしながら歌の道に励む。
現在、「豊見城そば」の女将しながら芸能活動に取り組む。
CD「春待つちゅるちぶみ」など多数。


私が沖縄へ旅立ったのは、この方がきっかけでした。

友人の持っていたCDで、たまたま聴いた曲がきっかけで
どぉぉぉぉぉぉ~しても、この方の元で唄を習いたいっ!と思い
ラブレターを書きました。

全然返事が返ってこなくて、諦めかけていた頃
「私なんかでいぃ~んですかぁ。」
と、電話をかけてきて下さいました。

「いぃ~んです、いぃ~んです。あなたがいぃんですっ!フ八ッ!」
と、鼻息を荒く即答したワタシ。

その数ヶ月後には三線とバックと3万円を握り締めて旅立ちました。

伝手、なし。
お金、なし。
仕事、なし。
友人、なし。

あるのは、京子先生に唄を習う。
ただ、それだけでした。

それだけが私の原動力で、それだけで満たされていました。

実際に習わせて頂いた時は、本当に感動したものです。

目の前に、あの憧れの京子先生がいるっ!
一緒に唄っているっ!

もぅ、それだけで幸せでした。

気持ちいぃとは、まさにこの瞬間のコト。


習っている間、京子先生からのアドバイスはほとんどありませんでした。
「あやちゃん、いぃよぉ~。」
と、いつも褒めてくれます。

そして、自分を飾ることなく、ありのままの姿でいつも対応してくれました。
一度は、お客さんの前で唄う時に時間が無くて着替えられず
「エプロンライブ~♪」
と言って、本当にエプロンで唄っていました。

そんな姿を間近で拝見させて頂きながら過ごして
「はぁ~、これでいぃんだぁ。」
と、何度も感心しました。

ビシビシ教えてもらえるかと思って行った私でしたが
予想外の教え方に沢山の学びを頂きました。

きっと、冒頭でもあったように、そぅゆぅコトなんだろうなぁと思います。

背中で感じる。

そ~ゆ~コト☆


文美
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さて、2015年も本日で終了~
きっと、あなたもワタシも、色々色々ありましたね。

嬉しいことばかりじゃないし
悲しいことばかりじゃなかったでしょ。

きっと、来年もそぅでしょう。

そしてそれは、全てパーフェクトですから。

それで、いぃんです◎

さぁ、楽しみだ~☆

本年もお世話になりました。
2016年も宜しくお願い致します