さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

ならフォーク村チャリティーコンサート・・・なんでもいいんだけどね。

2014年06月11日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・すべての情報は、すでに国と電力会社が中心となって操作されてる。 被爆者が増え続けてる現況すら、黙認・隠ぺい・・・くだらんバラエティー番組の裏側では、誰もが認めたくない事実がたくさん隠され隠れている。 自分の手と目で確かめたい・・・その思いは今も変わらず抱いているが、日常の生活環境がそう簡単にゆるすわけもなく、それなら微力であろうが、何もしないよりいいに決まってるんだとはじめたチャリティーイベント。 原動力は、友人の竹本信幸が、大阪・難波リバープレイスで毎月行うチャリティーイベント「LOVE YOUTHFULL PARK」だ。 彼は毎月一回のこのイベントを10年も続けている・・・偽善や売名で10年、毎月出来るかい? これには脱帽、いまの俺にはとうてい真似出来ないが、形は違えど彼の意思を俺も継がせてもらって、この奈良県内のどこかで種を蒔きたいと思っていた。 

きっかけなんて何だっていいんだ。 何もしないよりいいに決まってる。

たった一日、一時間、困っている誰かのために自分の時間を使うことから始めよう。

ただそれだけしかアホな俺には言えないけど。


49年

2014年06月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
チェーンソーが狭い家のふすまを破いたこともあった。

包丁を振り回す親父にむかって、分厚いガラスの灰皿を投げつけ、額から出血させたこともあった。

小学校もまともに出てない母は、常識知らずの行動を起こすこともあり、それにまた親父は暴力をふるった。

シャブ中の連れが来るたび、俺は親父とそのアホどもを恨み、こいつら早く死んでくれよと布団の中でつぶやいていた。

酒で自分の弱さをごまかす最低な人間にはなりたくなかった。

だから酒を憎み、酒は絶対に飲まないと思ったが、己が社会人になってから楽しい酒を知ったのは幸いだった。

ご飯に醤油をかけて食っていた時もあった。

米屋の集金が来るたび居留守を使う母親が 可哀そうというより情けなかった。

貧乏を恨んだ。

トタン屋根を恥た。

アホな母親と、酒飲み親父を憎んでいた。

それでも友達の家に行けば、家にないおもちゃや本があって楽しかった。

友達に嫌われたくないから、ひょうきんに人を笑わせる知恵をつけた。

ひとさまの暮しが羨ましかった。

家を知られたくなかった。

6畳二間の家に、仕方なく友達を呼んだこともあった。

友達がいる部屋に 親父が布団敷いて寝てる・・・いま思えば笑ってしまう。

せめて友達と同じ服やおもちゃ、ラジカセが欲しかった。

だから13歳から新聞配達を始めた。

いつしか妹ふたりも同じように新聞配達を始めた。

いまから思うに、そんなんだから兄妹3人は、喧嘩をしても団結力が強かったのだろう。

素面の親父はおとなしかったし、働き者だった。

ただ、手足の怪我の後遺症や、ろくでもない悪友のせいか、いっこうに貧乏から逃げられなかった。

とにかく貧乏を恨んだ。

とにかくお金がなかった。

・・・・・・・・・・・・・・。

親父が死んだときも生命保険すらかけてなかったもんだから、葬式代がなかった。

勤め始めた会社から借りたお金で葬式を済ませた。

当時20歳の俺は、母親の代わりに喪主を務め、なんとかすべてを済ませた。

住んでいた家を早く出て行けという奴が現れた。

お前等の土地じゃないんだと、近所のアホどもまでが敵となった。

そして俺は決意した。

アホどもにバカにされてばかりではあかんのやと、兄妹で話し合った。

3人で光熱費を分担すれば、賃貸マンションに住めるとふんだ。

大和高田市に住んだ。

環境が変われば行動が変わる 行動が変われば人付き合いも変わる

人付き合いが変われば 生活が変わる・・・そして変わった。

いまの妻と出会い、ふたりの娘の親父になった。

新しい仲間がたくさん増えた。

音楽活動も始まった。

親父にも出来なかった「家を買う」ことが出来た。





だけどそれからもいろんなことがあった。

妹が男と失踪して数年間行方不明だったり、己の結婚とともに離れて住むことになったもうひとりの妹。

その妹の苦労、そして無知な母親と嫁との問題。


妹の結婚、見つかった妹との兄妹3人の対面に関わる、不思議な出来事。

一緒に歌ってきた相棒の死。

俺の借金問題、離婚騒動、バイク事故、22年振りの朝刊配達と寝不足車の玉突き3台事故、母親の繰り返す入院と介護、そして母親の死。

そしてつい3年前のトラック巻き込まれ事故と入院。

49年は波瀾万丈だったような気がする。

まあ、嬉し事も楽しい事もそれなりにあったんだろうけどね。

どこかで恨みや妬みがつきまとっていた。

これから何年生かせていただけるのかわからないが、出来るなら笑える日を多く持ちたいのと

自分の出来る範囲で、世間様に恩返しをしていきたいなと思う。

まるで俺が吐いたゲロを見せつけたかのようなブログを最後まで読んでくれたみなさんへ。

時々、あからさまに昔の苦労話を自慢しようとする俺を嘲笑ってください。

それが本当に自慢ならまだマシだが、恥ということも解ってるんだけどね。

僕のいないところで思いっきり笑ってください。

僕の心底にある、湿った土と苔の生えた石ころを、見てほしいと思う時があるんです。

身体はでかいのに、実は臆病で寂しがりやで・・・だからいつも仲間を募って構ってほしいと思う

それが僕なのです。

読んでくれてありがとう、久しぶりに酒に酔ってます。

49歳からの僕も、どうかよろしくお願いします。