「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

美人は得か?

2014-11-10 19:03:28 | 日記

 

美人は得か?

 

先日仲間と飲みに行き、「美人は得か?」という話題で盛り上がった。もり上がったと言っても、そこに参加している中で、私は紅一点だったので、殆ど聞き役に徹していた。女性を目の前にこういう話題で盛り上がるってどうよ!?と、疑問に思わないでもなったが、つまりは、私が其処に参加を許されていると言うことは、女性と言うよりも男同士の友情?故であると思わざるをえない。

 

「男は顔じゃないよな。仕事出来る事や金だったりする」

「しかし、女は美人以外は存在の意味がないよな」

「女なら相手を選ばないと言う男もいるけどさ」

「大体、ブスを連れて歩いている男は、自分に自信が無い証拠だよ」

「・・・・・」(この御つまみ美味しいわ♪)

「でも、結局は似たもの同士がくっつくものだと思うね」

「美人は永遠に手に入らないから追いかけたくなる」

「知り合った頃は、美人だと思っても一緒に生活するうちに、慣れで美人に感じなくなってしまうことも在るし、実際に美人が衰えて、美人じゃない若い女の方が魅力的に感じる事もある」

などなど・・・

 

聞いていると、「美人は得である」という結論だった。しかし、お酒が進むと、様々な社会的事象などに話題が広がった。

 

「昔は、末は大臣か博士か!?というセリフが在ったようだけど、最近じゃ、大臣と言えばA、博士と言えばO」

「どっちもどうにもならないよな」

 

 

最近の政治について論じた?(単なるたわいのないおしゃべり)後、また「美人は得か」という話題に戻って行った。

いや・・・大臣云々に関しては兎も角、博士問題となると、同席した者は誰も、勿論私を含めてであるが、人様のレベルなど語れない。

 

「まあ、レベルとなると人の事など言えないが・・・」

「不正となると話は別だ」

「だいたい、Oが美人だったらこういう問題は起きなかった」

「男に取って一番タチが悪いのが、ブサカワだよなぁ~。現実的に言って美人を手に入れるのは誰でもビビるし、手間が掛かる」

「美人への憧れは憧れで終わることが多いしな」

「鼻の穴が上を向いていても、ブサカワ程度が一番気が楽だ。ましてや向こうから来られたんじゃ、折角のチャンスをはね返す男はいないだろう。」

「金持ちを誑し込む結婚詐欺師は、美人は出来ない仕事だと言うしな。美人だと自分は騙されているんじゃないかと警戒して、詐欺にまでならないらしい」

「美人を望みながら、美人とは付き合えないという否定的感情があるから何時まで経っても、美人は手に入らない」

「要するに、「引き寄せの法則」の通りだ」

「これほど望んでいるのに引き寄せられないのは何故か?の理由分析だな」

「心から望まないものや事は、手に入らないか・・・・」

「欲しい物は望みながらも、自分では駄目かもしれないと少しでも思うと駄目なんだよ」

「ブスでも女は化粧と衣装でなんとか誤魔化せるからな。ブスが着飾ってセンセ、センセと言って尻尾を振ってくれば、しかもだ、自分が欲しい手土産持参とあれば、可愛く思える。ブサカワ故の安心感だな。」

「人形みたいな美人より、体当たりしてくれるブサカワの方が、その場では魅力的かもな」

「美人はプライドが高いから、尻尾振って男に纏わりつかないからな」

「自分から男に纏わりつくのは、恥じを知らないブス」

「ブスでも女は女だから、女から体当たりで寄ってこられると男は弱い」

「やっぱり、ブサカワが得だな」

「下心が在る女でブスは、化粧と着飾りで盛るのが得意だから」

「Oはこの上なくタチが悪い。AO入試で味をしめてから、地道に努力をしないでプレゼン力と女子力の全開で渡りきって世間をなめていたんだろう」

「でもやっぱり、あんなブスに丸め込まれるのは納得いかない。胸を押し付けるようにして腕を組んだ写真見たか?」

「細身の華奢な美人より、ずんぐりポッチャリがオヤジの心を、いや、それも一部のオヤジの心を惹きつけるのだろう」

「そうだよな。一部だよな。XX氏は、あの年でも毅然と美人しか好きじゃないというオーラを自信満々に出しているからな」

「Oは、同性の友人何て一人もいないだろうし、女子力といったって同年代の独身男を引き寄せられないのは、やっぱりオヤジやシニアにしか通じないのだろう」

「ブスカワでもいいんだよ。男だって美人を手に入れる自信が無いから、それで釣り合うもんだ。でも、Oは性格が悪すぎる」

「練炭女とどうも重なって見える」

「AO入試どころか、苦学生のために用意された奨学金の不正受給まで受けているからな。その年に限って、人数枠を一人増やしOが受給している。そんな事認める組織もタチが悪い。」

「金持ちが不正で奨学金受給か・・・」

「あれは授業料どころか生活費まで支給され、返還しなくていい金だろ?!」

「汚さすぎる」

「私学助成金を打ち切るべきだよな」

「最近、グーグルやヤフーで、検索できない様になっているだろう。肝心な例のワードでは検索できなくなって、「かわいい」「女子力」「彼氏」とかのワードなら検索できるようになっているから。本人の各方面への工作だろう。残す言葉も笑わせる」

「検索できるワードが総て本人の妄想と願望と言うのが何とも・・・

「あのレベルが一番性悪なんだよ。美人は我が道を行くマイペースで仕事はきっちりとする。

「子供の頃から可愛いなどと言われたことがないのだろう。容姿は兎も角、どんな女の子も子供の頃は子供と言うだけで可愛いが、性格が悪すぎる。」

「そうだな。今のどうしようもない人間性を見ていると、誰もが嫌気がさして近寄らないだろう」

「自分のしでかした事に責任は取らない。責任転嫁。」

「親の責任だよな」

 

「・・・・・」(悪酔いしない様に、1杯で留めて置かなくっちゃ・・・)

 

聞いていると延々続き、結局は「美人は得ではない」と言う結論と言う事だろうか?いや、そういう事ではなくて、性質の悪い女性の話にまとまったようだった。

 

「いや、ブサカワでもない。そう思うのも一部の男だよ。可愛いくもなんともない。20歳も年下女なら、どんな男も可愛く思うだろう。自分の娘みたいなもんだ。彼女をはじめて見た時、知性も品性も欠片も感じなかった。テカテカとした顔ではしゃいで目がキョロキョロして、何かがおかしいと思ったよ。統合失調症どころかサイコパスだよなって。次に出て来た時は、ああ~ヤッパリかと言う感じで、あんなのに発情した男は哀れ過ぎる・・・」

「あのレベルで美人だの可愛いだのと自己演出は、神をも恐れぬ所業だよ」

「アーメン」

「マスコミの賞賛に合せて、なんとかポジティブな解釈を試みたけど、どうしても拭い去れない違和感があったな。やっぱり、人は外見で判断すると言うのは正しいかも知れない」

「盛らないと可愛くないというのは何とも。美人は飾らなくても自分自身を持っているし美人だしな。第一、美人は性格が良い」

「顔は良くても性格が悪いというのは、本当の美人を求められない男が納得するレベルだ。」

「僕は美人が好きだ」

「いや、僕も・・・・」

「うむ・・・いや、僕も・・・」

「男なんだから美人が好きだと素直に言える男は、性格が良い輩だと思わないか」

「うむ」

「ふむ」

「うん」

一同納得。

 

 

「・・・・・・・」(女性を目の前にそういう事を話題にされてもねぇ~)

 

お酒が進み、話題は更に発展して、組織としての在り方や、正義とは何か、学者とは教員とは、教員でない研究者とは、あるいは、組織内で個人のものではない公金を大きく動かせる力があると、人はどう動くかなどなど・・・etc

私には余り関係ない話なので、相変わらず殆ど声を上げる事なしに、頷きながら黙って料理を摘まんでいた。

 

会話を楽しみながら美味しい料理を(ラーメンも大好きですヨン♪)を頂きながら、ゆったりと楽しく過ごしたいなぁ~。

 

 

私には良く解らないけれども、もしかしたら美人さんには美人さんの苦労があるかもしれない。

 

美人さんは、望まないのにセクハラ受けたりすることも在るだろうし。単純に男性に媚びさえすれば良いことがあるなんて思わないでしょうし、恐ろしくて媚びるなど寸分も思わないのではないかしら?セクハラに良い顔しないと、逆恨みされて冷遇されたりもすることも在るかもしれない。そう言うことを納得した上で、余程腹黒く立ち回る自信がなければ、自然と実力勝負しか選択肢がなくなるのではないのかしら?

何処でもモテると言うことは、意外に孤独かもしれない。多分、甘えたいと思える男性には心から甘えるのかもしれないでしょうが・・・・

 

美人さんは得かどうかはわからない。女性に生まれた以上美しくありたいと思う。しかし、変えられない物は受け入れられる知性と、変えられる事は自分の努力で賄え善き方向へ変えられる勇気を持ちたいと思う。

多分、子供の頃に美人だとしても、ある程度の年齢を重ねると、それ以降の人生は美人でも美人ではなくなるし、美人ではなくても美人に成り得るのかもしれない。いずれにしろ、大人になると自分の責任で努力するしかないと思う。毎年、次々と若く美しい美人が産出されるから、年齢を重ねて大人になると、佇まいを整える「深み」が女性を美しくしてくれるのかもしれない。

 

水鳥が優雅にスイスイと泳いでいる水面下の脚の運動量を相当なものでしょうね、きっと。そう言う女性に憧れてしまう。

 

さて、「末は大臣か、博士か・・・」で、学位保持者でなくても、素晴らしい業績のある学者さんを沢山存じている。年代的に自ら博士号を求めてこなかった方々や日本のアカデミック社会の様相も相まっている。一言、博士と言っても本当に様々で、過程を得てきっちり勉強をして取得する者、学卒で社会に出て、その現場で業績をなし論文博士の者、その専門性から修士学位なしに博士号授与されるもの。最近では、一部の職業系大学院で研究者ではなくても、XX博士という学位も出現しているので、一概に学位云々は語れないだろう。また、学者でも教員を兼ねている人は、教員としての指導力は、学位以上にその責任は重たいかもしれない。

 

 

長々と書いてしまった。

一つラテン語を紹介して今日は終えたい。

 

Respubulica geranda est viris optimus.

 

国家は、最良の人間により運営されるべきである。

 

古代人も、人間の営みは現代と同じく、ラテン語を読むと本当に人間臭さを感じるのである。

Good night!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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