人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

食べない

2015年08月23日 | 日記
野菜を食べない

肉を食べない

果物を食べない

漬け物も

はてはチョコレートも

食べない子どもたち

あれも食べない

これも食べない

という姿に

敗戦のどん底を知る老婆は

むしろ

今の平和を感じてしまいます。

またベジタリアンなんてものが

出現して

老婆の度肝を抜きました、

卵も肉も牛乳もだめなんだって?

なんという平和で

贅沢で

のんきな時代になったのでしょう。

「食べ物を選ぶ」なんて

贅沢で傲慢で

老婆には到底理解しかねます

そこに食べるものがある

それだけで

子どもだった老婆は

生きてこれたのです。

いい時代ですね。

皮肉も込めて

今日も老婆は

「あるもの」なら選ばずに

いただきます・・・・あ

違う!

あのジャンクフードだけは

いただきませぬ・・・



芥川賞・・・

2015年08月22日 | 日記
「自分は今まで、祖父の魂の叫びを、形骸化した対応で聞き流していた」

例えばこんな文章・・・

友人が読んだと

書き送ってきた一節

なんという生硬さ

友人は言います

「魂の叫び」なんて文学者の

表現じゃないよと。

他にもこの作品のあちこちに

似たような表現の

オンパレードで

しかも村上龍が

表現の技術を絶賛しているらしい

つまりこれは

今回の芥川賞を受賞した人の

作品の一部分。

又吉氏のではありません、

彼の作品を友人は

高く評価していましたが

老婆はもはや

読むにはエネルギーはありません

店頭に山積みされた

そしてあそこまで喧伝された

作品に触れるだけの

エネルギーが・・・

あまりにももてはやされると

近づくのがいやになるという

老婆のひねくれ根性です。

でもねえ

「芥川賞」ってなんなんでしょうか・・・


自己カウンセリング (2)

2015年08月21日 | 読書
自己カウンセリングは

効果満点!

たとえばこういうことが

ありました、

お嫁さんが

二年生の孫に

算数を教えているのを

目の当たりにしたとき・・・

まあなんともせっかちで

ヒステリックで

大声で

聞いてる方が

耐えられなくなって

逃げ出した・・・

それでも孫はじっと

耐えてがんばっていた・・・

私は一言も発することなく

ただ自分自身に話し続けました

「G{孫}はえらい、よくぞ耐えてる」

そして言い続けたのです

「救いはある、彼女にはいいところがいっぱいある

百点満点の人間なんかいない

私自身を見るがいい。

Gが耐えていられるのは

ママを信じているからだ・・・」

とまあ

ポジティブな言葉を

自分にかぶせ続けるのです。

そして後になって

Gにそっと言いました

「ママに教わったこと、わかったの?」

「うん」

「えらいのね、ばあばにも教えてくれない?」

「いいよ」

みごと、孫は

ママのやり方をきちんと

教えてくれました、

老婆の救いの一瞬でした。

自己カウンセリング

2015年08月20日 | 日記
老婆の私

悶々としている時期が

長かった。

長すぎると

自然にそこから抜け出したいと

反作用が起きまして

自分の中の

他者が目覚めて

私に問いかけたのでした。

他者は優しく厳しく

いろいろに問いかけまして

「おまえにはほかにすることがあるだろう」と

一喝を加えますと

すっと楽になり

そうです、こんなことに

かかわらずっている間に

お前の人生は終わってしまうよと

冷たく優しく

諭してくれたのでした。

そうしたら

今までのことがとても

小さくなって

楽になったら

他の人たちまでもが

私に対して

とても気楽に親密に

なってくれたように

感じるのでした、

相手の人たちはもともと

ちっとも変わっていない

のかも知れず

変わったのはこちらだけだったのかも

知れないですが、

楽になりました。

とっても。

人生を導いてやろうという

ような安易な

他人の言葉には

動じることもなく逆に

なんて傲慢なと

忌避していた私

自分の中の他者には

心を許して

楽になりました。

自己と自己との対話ほど

効果的なカウンセリングはないと

「相田みつを」とかいう偉い人の

「人生の言葉」や

新興宗教なんかにすぐはまる

人たちに

いやーな感じを受けていた老婆は

やっと楽になりました。

「自然」を愛さない日本人

2015年08月19日 | 読書
富山和子氏の

著書の中で

明治になって

電信柱をつけるというので

日本人はどしどし

東海道の松を

切り倒して

いったそうな、

あまりにひどいと

それを止めたのは

なんと

フランス人だったそうな。

一里塚の名残の松は

ほとんど姿を消したし

街道の景観はきっと

明治の文明開化で

終わったのでしょう、

つまり

「文明」は「開化」など

していなかった

本当の文明と開化は

街道の姿を

そのまま残そうという

そんな意識のはずだった。

ドイツの都会のど真ん中が

中世そのままの姿をとどめ

それも戦後の復興の仕方だったと

聞いた老婆は

はらはらと涙を流す

まではしなかったけれど

日本の文明度には

つくづく「情けなや」

と嘆いたのでした。