私の場合の話だが
ピアノを弾くことと引き換えに、聴衆からお金をとるならば、いい演奏はしにくくなる。
私にとってピアノを弾くことや音楽とは、そういうことではないから。
私の下手くそな技量ではというのはもちろんだけど、
どっちにしても何様だよという感じだし、その時間が急に汚れる感じ。
本当なら柔らかでみずみずしく自由に流れるはずの時間が、急になにかに縛られる。
結婚式でピアノを弾くのはどこか、自分にはやや不向き。お葬式や慰霊祭で弾くのは向いてる。
老人ホームや精神を病んだ人達のいる保養施設で弾くのは好き。
でも、私が好きでない曲を弾いて、お年寄りが喜ぶのは微妙な気持ち。
♪それもまた~ 人生~ ~ ♪愛燦々と~~ 戦争に積極的に協力した山田耕筰も嫌い。
お年寄りを喜ばせても、その演奏は本当には、空しい。 ピアノの力
いい演奏ができた体験はどれも、聴衆に向かってではなく1人でピアノに向かって弾いていた時。
昔、人と競い合って優劣を決めるコンクールに出たことがある。(大した権威はないコンクールだが4段階の勝ち進み式になっていて、浜松での最終ステージを目前にして、高額な費用を主催者に支払うことを課す案内を受け取り、それ以上進むのをやめた。こういうブルジョア的なピアノの世界は本当に嫌い)
コンクールの第1ステージで弾いた某曲は、緊張のせいで、惨澹たる演奏だった。
百足が急に、どの足から歩けばいいのかわからなくなるような
人間が急に、呼吸をどうやってしていたかわからなくなるような感じ。
その会場を後にして、私はひどい消化不良に襲われて、ある場所に向かった。
歴史的遺産となっているドイツ製の古いグランドピアノを弾ける所。
そこで、さっき大失敗した曲をもう一度弾いた。さっきできなかったことを全部した。
ここでなら、誰にも評価されないしなんの心配もなく忌憚なく、弾けた。
とても楽しくて充実した時間だった。
弾き終わると、足を止めてずっと聴いていたおばちゃんが、私の近くに来て
歓びに満ち溢れた顔で、心からの賞賛と祝福をくれた。
本当によかった。
コンクールで惨澹たる演奏をやらかして、そのまま家に帰れずにあのピアノで弾き直した
そこにあのおばちゃんが立ち会ってくれて、本当によかった。
その曲を弾く時は、今でもあの時のことを想い出して弾いている。