ブリヂストンA工場で働いて、私が見たもの、私がしたこと、私に起きたことを発信します。

闘いにおけるジレンマ

2019-07-02 | 社会・政治のこと

私は、闘いの為のあらゆる参考資料、証拠を管理・保管しています。(参照:証拠の整理・管理

必要な情報を、必要な時にすぐ出せるように工夫して整理しています。強迫性症状が出ているのもあって。

だから、一見すると事務能力が高くみえて、関心されることもあります。

 

でも本当は逆で、苦手だからこそ、そうしています。

本当は、私はそういうことをしたくなくて 管理とか体系立てとかが苦手なタイプです。

ピアノを弾いたり、絵を描いたり、生活で使える綺麗な布を見つけてきたり、捨ててあった素敵な物を拾って来たりするのが好きなんです。

 

     

 

でも、闘うためには、私の好きではない土俵に上がらないと行けなくて、それに付随して

私の好きでないことを色々としないといけません。弱点を工夫でカバーしながら。

悪質な屁理屈ばかり言う人を理屈で黙らせるのも、自分たちの首を締める土壌を強化してやしないかと思いながら。

私は基本的に直線的なもの、四角いものが苦手です。それらは常に正そうな体(てい)をしていますが、

大きな誤りを初めから含んでいます。直線的なものや四角いものは、深遠なる自然界には1つもなく

軽薄さ 底の浅さ 短絡さ 安易さ 早とちり 傲慢さなどを感じさせます。

直線的で四角いもの以外感じさせない人が判定人であった場合、それだけでこちらには不利となり、四角いものとの闘いになります。

 

土俵に上がらないといけないが、上がり過ぎてもいけない。(参照:土俵に乗る罠

当たり前に感性でわかっていた大切なものが、見えなくなってしまいます。

一方的に舗装された道路に自動的に乗ってそこの硬くて限定された幅内で歩かされてしまいます。

 

     

  tunagaretamama taikou suru      sokokara wa detewa dame 



闘うというのは、色々なコツというのか、創意工夫、心構えがいるものですね。

   


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